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向かいのベンチ、バッターボックス、こんなとこにいるはずの大谷

【ロサンゼルス紀行#7】

エンゼルスタジアム・オブ・アナハイムへ向かう。ロサンゼルス・エンゼルスというチーム名ではあるが、その本拠地はアナハイムというロサンゼルスの隣町にある。東京ディズニーランドが千葉にある的な話と思ってもらえればいいかもしれない。ちなみによくロサンゼルスにあるような感じで言われている世界最初のディズニーランドもアナハイムにある。アナハイム市民と千葉県民は話が合うのではないだろうか。

移動はアムトラックという列車を使うことにした。日本の特急列車のような位置付けで、アナハイムまでの所要時間は約40分、料金は21ドル。地下鉄に比べると高めの料金設定となっており、その分治安が良くて安心らしい。ユニオンステーションというロサンゼルスの一番大きい駅から乗り込む。背の高い車体の迫力に圧倒されつつ、すでにホームにたくさん集まっていた人々の流れに身を任せると、車内は二階建てになっているようで、皆ずらずらと階段を上がっていく。果たして座れるだろうか。不安になって夫に話しかける。

「ねえ、これって一階に座ってもいいのかな。空いてるっぽいけど。」

「ほんとだ、空いてる。」

「一階は指定席らしいですよ。」

「あっ、そうなんですか、ありがとうございます。」

ありがとうございます???

反射的に答えたのちビビる。数日ぶりに夫以外の人間と交わす日本語。教えてくれたのは、我々のすぐ前にいた男性だ。

乗客は日本人だらけだった。このアムトラック、もはや日本人をエンゼルスタジアムに運ぶ列車、大谷翔平熱烈応援ツアー号と化している。メジャーリーグ観戦に向かうシチュエーションとしては少々趣に欠けるが、そんなことを思っている自分もそのツアーの立派な一員なので文句を言う資格はない。縦に2つずつ並んだ席に、夫と共に収まる。

はじめは順調に走っていたアムトラックだが、途中で一度停車。その後、歩いた方が早いのではと思うほどの徐行、そしてまた停車、を何度も繰り返し、結局アナハイムに到着するのに2時間近くかかった。遅れることもよくあるとの情報をネットで仕入れていたので、早めの列車を選んでおいて正解だった。試合開始は18時38分(何故こんな中途半端なのか)で、アナハイムの駅に到着したのは16時半を過ぎた頃。ゲートが開くのは試合開始の90分前なので、「早く来すぎてもどうせ入れないからむしろ遅れて丁度よかったね」などと、我々はいい感じに噛み合った時間の歯車に満足げな表情を浮かべた。

アムトラック アナハイム駅にて

スタジアムのゲートに到着すると、すでに列はあるがそれほど長くはない。高まってきた我々、スタジアムを背景にお互いの写真や2ショットなど撮影しながらワイワイする。散々はしゃいだあと、ふと気づいた。よくテレビ中継で映る大きなヘルメットのオブジェや、大谷の写真が見当たらない。

「いやこれ正門じゃないじゃん!」

慌てて列を離れ、ぐるっと回って正門へと急ぐ。正門はすでに長蛇の列だった。真裏の閑散としたゲートで無駄にはしゃいでいた時間が悔やまれる。大きな赤いヘルメットのオブジェ、そしてスタジアムの外壁には大谷やトラウトの写真。テレビで何度も見た光景がそこにはあった。今度こそとばかりに写真を撮りまくる。

この間にスマホでニュースを確認すると、ちょうどスタメンが発表されており、大谷もそこに名を連ねていた。

ゲートが開いて、ぞろぞろ入場。まずはグッズを調達し、そのあとビールとフードを購入、スタジアムに入っていざ観戦、という計画だったのだが、予想していなかった事態に見舞われる。グッズショップがとんでもないことになっていた。まずもう店に入れない。入り口にスタッフがいて、店に入るまでの列が通路にずっと続いている。絶望しながらどうにか最後尾まで辿りつく。もっと早く到着していれば、とアムトラックの異常なノロさを呪っても今更どうしようもない。とにかく並ぶしかないので並ぶ。

やっと順番が回ってきてショップに入ると、そこは戦場だった。身動きがとれないほどの激混み。そんな中、人々が目当ての商品を我先にと物色している。飛び交っているのは日本語。ほとんどが日本人だ。たぶんこの場所が今アメリカで最も日本人の密度が高い。

私は背中にOHTANIの名が入ったユニフォームを買うと決めていた。しかし、オオタニのユニフォーム、まるで見つからない。人混みを掻き分け、決死の思いでハンガーに掛かっているユニフォームの名前を確認していくが、トラウト、トラウト、トラウト、トラウト……トラウトばっかりである。エンゼルスの2大スターであるオオタニとトラウト。トラウトも大人気の超有名選手なのに、大谷を見にきた日本人がオオタニを根こそぎ買っていくせいで結果として世にも悲惨なトラウト余りが起きてしまっている。本人がこの状況を見たら泣いてしまうぞ。

しかし、トラウトに同情している暇はない。人混みの中にはオオタニのユニフォームを手にしている人も確かにいて、まだ残っている希望を捨てきれなかった。人を掻き分けどうにか店内を移動し、隅々まで見て回る。すると、ジュニアサイズのコーナーにオオタニのユニフォームを発見、素早く抱え込む。ジュニアサイズとはいえ、小柄ならば大人でも十分着れるサイズだった。よし、自分のユニフォームはこれで手を打とう。それからAの文字入りの赤いキャップ、勢い余って応援グッズの赤い猿もショッピングバッグに放り込んだ。

しかし、戦いはまだ終わらない。というのも我々、今回の旅行に際して両家から決して少なくはない額の餞別をもらっており、お土産として「オオタニのTシャツが欲しい」とのリクエストを受けていた。ユニフォームと同じくTシャツ売り場もトラウトだらけで、オオタニが見当たらない状況。やったことはないが、砂金採りとはこういう感じなのかもしれない。唯一「大谷翔平」と達筆な筆文字で印字されたTシャツはたくさん残っていた。海外土産で漢字Tシャツを買って帰るほどむなしいことはない。

捜索の末、やはりジュニアサイズのコーナーにオオタニを数枚発見したので確保。アメリカのジュニアたちがデカくて救われた。

買うものは揃ったが、レジがこれまた外まで続く長蛇の列。試合開始の時間が迫る。このままでは間に合いそうにない。このピンチに夫は、「俺はいいから先に行け!」と私を送り出した。漫画だったら死ぬやつだ。夫に会計を任せ、店を飛び出した。夫よ、おまえの犠牲を無駄にはしない。まずはビールを調達? いやそれともフードが先か? 時間に追われている焦りと、もうすぐ大谷を見られるという昂りで判断力が鈍った私は、興奮を持て余した野生動物の如く無駄にフロアをウロウロしたのち、なんかもういいやとりあえず席に座って夫を待とう! と決めて、チケット番号を確認しながら入り口を探していた、その時だった。夫からLINEが届く。「まじかよ」という言葉と共に送られてきたニュースのリンク。

「大谷翔平、急きょスタメン外れる 右脇腹の張り」

私は一瞬死んだのかもしれない。走馬灯が見えた。大谷翔平と私の歴史。日ハム時代には何度も札幌ドームで大谷を見た。大谷が投げて日ハムが優勝したときは泣いたし、寒空の下震えながら優勝パレードも見に行った。メジャーに行ってからは、遠いアメリカで大谷がホームランを打つ姿に毎朝元気をもらった。そして、新婚旅行をロサンゼルスに決めた。円安の真っ只中、金銭的に無理しながらも、今しかないと思い切った。順調に中5日で登板すればピッチャー大谷が見られるはずだった。しかし、一週間ほど前に肘を痛めて今季の登板は終了との知らせ。でも、まだバッター大谷がいる。大谷が二刀流であることに心から感謝した。そして、ついにやってきたロサンゼルス。昨日は大谷が夢にまで出てきた。戦場でユニフォームも掴み取った。それなのに。

おいしい!

私の心に住まう若手芸人が叫んだ。

おいしい! おいしい! おいしい! こんな不運、滅多にない。ウケる。こんなん絶対ウケる。一生もののネタ! おいしすぎ!

痛々しくて泣けてくるが、これはあまりのショックで精神が参ってしまわないよう私の脳が発動した自己防衛である。こんな事態、正面から受け止めたらゲロ吐いちゃう。

その時、私の頭に浮かんだのは「代打の神様」という言葉だった。ベンチで試合を見守り、ここぞというタイミングで打席に向かい、重圧の中、一振りで結果を残す職人のような選手の異名。それが代打の神様。

そうだ、スタメンじゃなくても、代打で出る可能性がまだある。大谷は代打の神様となった。全然そういうタイプの選手じゃないしそんなこと言われてるの一度も聞いたことないが、とにかくそういうことになった。そういうことになった!

スタジアムは開放的で最高だった。清々しい青空が広がって、芝の緑が眩しい。夕方の乾いた風が心地よく吹き抜けていく。これが、メジャーリーグの球場か。テレビでいつも見ていた外野スタンドの岩山もちゃんとそこにある。ホームランが出ると、あの岩山から花火が打ち上がるのだ。

大型ビジョンでは、エンゼルスの今シーズンの名場面が派手な演出とともに映し出されている。もちろん、そこには大谷の姿がある。今シーズン特に大活躍だった大谷。ここが大谷がプレーしていた場所。大谷の立っていたマウンド、大谷が立っていたバッターボックス、大谷が走っていた芝、大谷が座っていたベンチ。すべてが目の前にある。それなのに、大谷だけがここにいない。こんなとこにいるはずの大谷。

あ、まずいまずい。山崎まさよし来ちゃう。よし、大谷のことは一旦置いておこう。せっかくメジャーリーグを観戦するのだから、満喫しないと勿体ない。

周囲を見渡すと、日本人がかなり多かった。シーズン終盤、エンゼルスはすでにポストシーズン行きを逃しているので、地元民は相当熱心なファンでないと観戦に来ないのだろう。高額な前方の席だったので尚更だ。ちなみにエンゼルスのホームは三塁側なのだが、私は一塁側を選んだ。今年の大谷は打撃が良すぎて敬遠されることが多々あり、その場合に一塁側なら盗塁を狙ってうろちょろする大谷がよく見えるだろうという作戦だった。まあ、そんな作戦も無意味に終わりそうだが。

あ、ダメダメ、心が潰れる。とにかく、大谷以外のことを予定通り遂行するしかない。

アメリカ国歌にオーと思ったり、ビジョンのCMで突然「ちゅ〜るちゅ〜るちゃおちゅ〜る〜」と流れて二度見するなどしているうちにプレイボール。少ししてグッズの会計が終わった夫と合流し、苦笑いで肩を叩き合った後、気を取り直してビールとフードを調達しに向かった。

物価高、円安、そこに球場価格が加わって、ビールは一杯なんと2,400円だった。しかし、こんなにも不運で可哀想な我々、2,400円だろうとなんだろうとビールは飲む、飲ませてもらう、飲まなきゃやってられんのである。ユニフォームとTシャツも結構なお値段だったので、もはやどうにでもなれだ。

2,400円

事前にネットで調べて、目をつけていた球場グルメがあった。被れるくらいのサイズのヘルメットに、トルティーヤチップスと肉などの具材が盛ってあるヘルメット・ナチョス。このヘルメットを持って帰ることでお土産にもできるというそのお得感が小市民の心をくすぐった。食べ応えのある肉と、グリーンチリの辛味がビールによく合う。メジャーリーグ観戦、最高!

ヘルメットナチョス

そんな我々にチャンスが訪れる。ファールボールがこちらに向かって飛んできたのだ。私が座っていた席の右側は端まで空席だったのだが、なんと、そこにボールが転がった。

「あっ! 取れる取れる! 取って!」

左隣の夫が叫ぶ。

完全に私の守備範囲である。しかし、私はすぐに動くことができなかった。なぜなら、膝の上にヘルメット・ナチョスを抱えていたからである。底が丸くて不安定なヘルメット・ナチョスをどうすることもできず、抱えてアワアワしているうちに、後ろの席の男の子が手を伸ばして私の真横に転がっているボールを掴んでしまった。

「あ〜〜! 絶対取れたのに!」

「だって、ナチョスが、ナチョス持ってたから……!」

ナチョナチョ言っても時すでに遅し。男の子は後ろで大喜びしている。ヘルメット・ナチョスにまで足を引っ張られ、もう散々である。

ナチョ……

あっという間に試合は終盤。祈るほかなかった。ホームランだなんて贅沢は言わない。代打で三振でもいい。なんなら姿を一目で見るだけでもいい。大谷が見たい。見せてくれ。まさかこういう形の「見せ大谷」を期待することになるとは、2016年日本シリーズ第6戦のときは想像し得なかったことである。

とはいえ、エンゼルスがチャンスを生み出さなければ、代打が呼ばれることはない。大谷以外にも、トラウトなど主力選手が軒並み怪我で離脱しているエンゼルス。7回の時点で2-6の4点差を追う展開。相手のオリオールズはその時点で地区トップの強豪である。

オリオールズには、元阪神の藤浪晋太郎がいる。藤浪といえば、大谷と同学年で同じ年にプロになった長身ピッチャー。この世代のことを大谷・藤浪世代と呼ぶほどの存在である。藤浪はリリーフなので、途中から登板する可能性は大いにある。「大谷は見れなかったけど、藤浪は見れた」というオチなら、多少救いはある気もする。

と思っていたのだが、エンゼルスはかろうじて8回に1点追い上げただけで、9回は三者凡退であっさり敗北。大谷が代打の神様になることはなかった。藤浪も出なかった。いや藤浪は出ろよ! となぜか藤浪に怒りをぶつけた。


帰りは近くのマクドナルドまで歩いて、そこからUberを呼んで帰った。

「でもさ、出ないってわかったのが球場に着いてからでよかったよね。」

「そうそう、球場行くまでは楽しい気持ちでいられたもんね。」

悲しすぎる会話である。同情するならドルをくれ。

でも、夫は言ってくれた。

「このままじゃ帰れない。帰る前に、もう一回リベンジしよう。」

夫は元々、野球にそれほど興味がない。球場のビールにつられて、何度か観戦に付き合ってくれたことはある。行けば楽しんでいるようだが、まあ付き合いだよなと思っていた。今回もそうだ。私が大谷を見たいから、それに付き合ってくれていると思っていた。だから夫が同じ熱量で、もう一回行こうと言ってくれたのが意外だったし、嬉しかった。そうだ、このままじゃ帰れない。one more time だ。one more chanceだ。

と、帰り道まではテンションを保っていたが、ホテルに戻りベッドに入るとだんだん落ち込んできた。こんなときTwitterは助かる。私が大谷を見れなかったこと以外にも、世の中ではいろんなことが起きている。タイムラインを眺めれば、どこかで電車が遅れたり、ペットが迷子になったり、誰かが離婚したりしている。それを眺めていると、なんとなく癒された。

しかし、大谷関連のツイートも目に入ってしまう。ネビン監督は、明日以降の大谷の出場について「あり得る」との回答をしていたが、Twitterでは大多数の人が今季はもう休むべきだと言っていた。無理をさせるなと。

大谷の体のことを第一に考える人たちがいる一方で、私は出場を期待してもう一度観に行こうとしている。こんな私は、大谷のファンとは言えないのだろうか。何十万もかけてロサンゼルスにやってきてこんな自問自答をすることになるとは、我ながら不憫である。


続く。




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