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【4月22日】 目覚まし時計が「君に幸せあれ」と鳴る

某日

ニラの味噌汁に卵を入れなかったのは初めてかもしれない。今までニラを味噌汁に入れるときは、必ず卵も入れていた。今日は卵を切らしていたので、仕方なくニラと豆腐で作った。こういうチャンスを狙っていたかのように、ニラが主張してくる。俺、やれますよ。卵がなくても。確かに、卵がなくてもニラの味噌汁はおいしかった。私はニラに対して少々過保護すぎたのかもしれない。ニラは卵があってこそ輝くのだと、いつの間にか思い込んでいた。ニラの可能性を信じていなかった、私の落ち度だ。


某日

知人と飲みに行く。以前入ったことのある居酒屋に行ってみると、最近改装されたらしく、店の雰囲気が変わっていた。広くて明るかった。いや、明るすぎた。居酒屋というよりは、教室のようだ。これは酒を飲む明るさではない。方程式を解く明るさだ。蛍光ペンが映える明るさだ。落ち着かない。知人はサイゼリヤで酔えないという。わかる気がした。サイゼリヤは好きだし、行けばデカンタでワインを頼むが、視界の中に談笑する高校生や親に連れられた小さな子どもの姿があると、酒を飲んでいる自分が異常な気がしてくる。この店にも、そういう落ち着かなさがある。教室で酒盛りをする罪悪感に耐えきれず、早々に店を出た。


某日

フィンランドの監督、アキ・カウリスマキの映画をアマプラで立て続けに観る。アキ・カウリスマキという名前に惹かれて、ずっと気になっていた。秋、飼う、リス、巻、などすべて日本語に当てはめられる親近感と、それ故の違和感みたいなものが合わさった不思議な響きである。映画も面白かった。とんでもない不幸が降りかかっているにもかかわらず、登場人物たちが泣いたり喚いたりしない。淡々と人生を遂行する。ドラマチックな演出もない。自分が普段物語を理解しようとするとき、わかりやすい喜怒哀楽の演技や演出に如何に頼っていたか思い知らされた。不幸なことばかり起こるのに、BGMだけ妙に明るいのも気になった。最初はシュールな笑い的に捉えて観ていたが、考えてみると、実際に不幸が降りかかる時、悲しい音楽が流れているとは限らないわけで、むしろ孤独の表現としてリアルなのかもしれないと思った。


某日

職場の電話。ある申し込みについて、ウェブではなく郵送でできないのか、という問い合わせがあった。こういう問い合わせは何度も受けているが、大抵は年配の方からである。できない旨を伝えると、「パソコンはわからん!」、「年寄りは応募するなということか!」と、怒る人もいる。そういうときは、大袈裟なくらい同調するに限る。「最近はなんでもパソコンで困りますよねぇ。」「そうですよねぇ、難しいですよねぇ。」立場など度外視で、あたかも自分も困っているかのように振る舞うのがコツだ。お年寄りにも聞こえるよう腹から声を出すと、次第に演技もノッてくる。そうすると最後には、「教えてくれてありがとうね。」と、穏やかに電話は切れる。しめしめと思う。嘘をついている人間特有の、変なアドレナリンが出ているのがわかる。悪いなあ、とも思うが、悪くなっている自分にどこか酔っている気もする。電話応対は割と好きだ。もう二度と話さない人なら、どんな自分にもなってしまえる。


某日

最近iPhoneケースを普通のやつから手帳型のやつに変えたのだが、画面がついた状態でケースを閉じたところ、電話アプリが押ささった(「〜さる」自分は悪くないというニュアンスを表現できる便利な北海道弁)。プルルルと数回呼び出し音が鳴ったところで気づき、慌てて止める。先日予約してから食べに行った新大久保の冷麺屋に謎の着信を残してしまった。


某日

夫の母方のお墓がある富山、父方の実家がある新潟へ、2泊3日で行く。車で早朝出発するため、前日は夫の実家に泊まった。朝、なかなか起きようとしない夫に、義母が、「ほらもう起きて! 今日は新緑が綺麗だよ!」と声をかけていた。未だかつてこんなにも爽やかな息子の起こし方があったろうか、と感心したが、新緑に心動かされて目覚めるような人間なら母親に起こされるまでもなく早起きしているに違いないので、やはり夫はギリギリまで起きなかったし、私は私で、富山までの道中、運転を代わるでも会話で盛り上げるでもなく、5時間ほぼ爆睡していた。

昼頃、富山に到着。ランチで寿司を食べたあと、お墓参りに行った。骨壷を入れる両開きの扉を開けると、夫の顔が出てきたので思わず二度見した。夫が数年前に仕事でインタビューされた新聞記事が、骨壷の横に飾られていたのである。どうやら他の親戚が入れて行ったらしい。ご丁寧にラミネート加工までされている。おじいちゃんとおばあちゃんが生きていたら、夫の仕事ぶりをどれほど喜んだことだろう、と切なく思う一方で、墓を開けたら夫の顔、という絵面の面白さには耐えられず、複雑な表情を浮かべる夫の横でしばし爆笑した。


某日

はじめての新潟。道路が赤茶色に変色しているのは、融雪剤の影響らしい。生まれ故郷の北海道では見たことのない現象である。同じ雪国でも雪への対処の仕方が全く違うのだと知る。

夜、親戚のおじちゃんに連れられてスナックに行った。義父が長渕剛の「乾杯」を歌っていた。むかし実家にあった目覚まし時計には歌謡曲のメロディーがいくつか内蔵されていて、それを切り替えてよく遊んでいたのだが、そのうちの一つが「乾杯」だったのを思い出す。私にとって「乾杯」は、長渕剛が歌っている姿より、あの黄色い三角形の目覚まし時計から流れているイメージの方が強い。歌詞を知ったのは大人になってからだ。「君に幸せあれ」と、あの目覚まし時計は何度も私に聴かせていた。
日本酒が好きだと言ったら、ママが新潟のお酒を一本くれた。



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