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高等学校国語科が大きく変えられようとしています(4)

 前回までの投稿が思いがけず多くの方の目に止まったようで、うれしくもありがたくも感じています。拡散にご協力くださったみなさまに、心よりお礼を申し上げます。
 週末の合宿研究会から無事戻ってまいりましたので、相変わらずのペースではありますが、少しずつ書いていきたいと思います。引き続きおつき合いいただければさいわいです。

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 現状に何か問題や課題があるとして、それらを「改善」したり「解決」したりするためには、そもそも「何が問題なのか?」を適切に絞り込んでいく必要があります。かりに問題点の所在が明らかな場合でも、「なぜその問題が改善/解決されないのか?」について検討する作業は欠かせませんし、「改善」「解決」のために持ち込まれた方策が周囲にどんな影響をもたらすかを吟味するプロセスも重要でしょう。
 これらをきちんとやっておかないと、ぜんぜん意味をなさない(結局は誰かの仕事を増やすだけの)短絡的な「対策」が実行されてしまったり、ひとつのことを変えることで他の全部がそれに合わせなければならない事態が起こってしまったりと、逆に問題や課題が雪ダルマ式にふくらんでしまうことが起こります。

 最近の例で言えば、「サマータイム導入」の論議が典型的です。「酷暑の中でのオリンピック」という課題解決のためになされた提案のようですが、たかだか一都市の、1ヶ月ほどのスポーツイベントのために、どうして日本列島で暮らすすべての人間の体内時計を(しかも2時間も)狂わせなければならないのか。なぜそれを「レガシー」などという怪しげなカタカナ語で言いくるめて制度化しなければならないのか。
 少し考えれば誰でもわかる通り、時計の針を2時間早めれば、たしかに朝は涼しいかもしれません。ですが、結局午後5時がいまの午後3時になるわけで、へたをすると一日の中で一番暑い時間になってしまう。小中高の児童生徒たちは、いまの午後1時や2時に授業が終わって部活に入るわけです。これで「熱中症対策」になると考える方がたぶんおかしい。また、現東京都知事は「変えるぜよ!」と早朝通勤に熱心ですが、いま午前7時に通勤電車に乗っている方は、同じことをするためには結局午前5時に駅に向かうことになり、となれば、もはや夜明け前に起床しなければならない……。あまりに影響やリスクが大きすぎて、とてもではないですが、正気の沙汰とは思えない(まさか本当にやらないですよね?)。

 でも、適切に「問題」がつかまれ、その「対策」が適切に検討されないと、多かれ少なかれ、こうした困った事態が出来してしまいます。「サマータイム導入」論議ほどではないとしても、みなさんの身近にも、思い当たることの二つや三つはあるのではないでしょうか?

 今回の学習指導要領改訂も、現在の日本の「学校」「教育」が抱えるさまざまな問題への対応・対策として策定されたものです。とくに高校国語科は、いつも以上に気合いが入っている感があります。2018年7月に発表された新しい「高等学校学習指導要領解説 国語編」は全284ページ。文部科学省のホームページにアーカイブされている現行の「解説」は総ページ数79ですから、おおよそ3.5倍の分量です。これは、新指導要領が国語科を各教科の下支えをする基盤的科目と位置づけていることと密接にかかわっているように思われます。
 では、そこでは高校国語科の課題がどのように提起され、表現されているか。「解説」6ページ「第二節 国語科改訂の趣旨及び要点」では、小中高の国語科について、2016年12月の中央教育審議会答申が記述した4つの課題が箇条書きで引用されています。そのまま書くと長くなるので、概要のみ記します(わかりやすくするために、かりに①~④の番号を付しました)。

 ①PISA2015(平成27年実施)で、読解力の得点が「有意に低下」した。この結果は、同調査が子供たちの不慣れなコンピュータ・テストに移行した結果とも考えられるが、そうした影響に加え、「情報化の進展に伴い、特に子供にとって言葉を取り巻く環境が変化する中で、読解力に関して改善すべき課題が明らかになった」。

 ②全国学力・学習状況調査によれば、小学校では文や情報の読み取りに、中学校では根拠を持って明確に話し・書くこと、情報の比較・吟味や論理展開の読み取りに課題がある。

 ③小中学校では国語科の授業改善が進んでいるが、依然として教材への依存度が高い。

 ④高等学校の授業では、教材依存度が高く、主体的な言語活動が軽視され、講義調の伝達型授業に偏っている。また、表現する力や古典学習への意欲の低さにも問題がある。

 役所が作る公的文書の特徴の一つは、課題を記述する文言の中に、「これからなされるであろう対処」があらかじめ書き込まれていることです。例えば、上記①の記述に、いわゆる「ICT教育」への志向性が含まれることは明らかですし(いまや教育は、情報産業にとっての一大公共事業となっている感があります)、④の文言は、いわゆる「アクティブ・ラーニング」(AL)につながっている。

 そのような目で見直したとき、まずはじめにPISAの点数が問題視されていることが気になります。これが課題の冒頭に出てくるということは、(中教審の、そして今回の指導要領の)関心の高さ、優先順位の高さを物語っている。ですが、少し意地悪な見方もできそうです。「PISAの点数を上げること」が国語科での教育の目的なのか? ということです。
 なるほど、課題を洗い出す上では、何らかの指標が必要です。「エビデンス」のない対策は、しばしば声の大きな人の恣意的な思い付きや思い込みに左右されてしまうことも事実でしょう。しかし、PISAとてひとつの指標に過ぎません。OECD(経済協力開発機構)による国際学力比較調査のデータが、なぜ重視されるのか。どうしてこの物差しだけが、とくに言及されているのか。ここには、少し立ち止まって考える余地がありそうです。

(続く)

#教育 #国語科 #新学習指導要領