ありがとう村上淳


執筆のきっかけ

過ぎていく時間の中で新しいものに目移りしていくことは仕方がない。

今これを書いている瞬間も、ドリブンズファンとされる人達の中では村上淳の麻雀よりも丸山奏子の歌ってみたの記憶が鮮烈に残っている人間が多いだろうし、反ドリブンズの人は選手より越山剛の印象の方が強い人が多いだろうし、その他多くのMリーグファンは鈴木大介や中田花奈を始めとした新Mリーガーに心を馳せていることだろう。

契約期間が残っているとはいえ、もう赤坂ドリブンズのユニフォームを着た村上淳の姿を見る機会はあと1回あるかないかといったところか。

このまま時が過ぎ、来シーズンが始まればMリーガー村上淳の記憶は自分の中からどんどん薄れていくだろう。
自分の気持ちを文章として残す習慣はないし、時間が経てば忘れてしまうことに虚しさを感じこそすれ実行に移すことはなかったが、これだけは残しておきたいなと思った。

萬子だ伍萬引いた!凄すぎる!

Mリーグを初めて見たのは公式がYouTubeの切り抜き動画だった。
投稿は対局翌日?だったが実際に見たのはシーズンの終わった2020年8月ごろだったと思う。

この動画から遡ること数年前、ネット麻雀を暇つぶし程度に打ってみてすぐに飽きた(そもそも対人ゲーム全般に向いていなかった)ので、なんでこの動画があのタイミングでおすすめ動画にあがって来たのかは分からない。
この時はどちらかというと将棋に熱中していて、この年団体戦と化した将棋のAbemaトーナメントの影響でプレミアム会員になっていたからかもしれない。ありがとうAbema。ありがとうYouTubeのおすすめ機能。

この動画、おっさんが顔を真っ赤にしていくつもの分岐を乗り越えながら細い糸を手繰りよせた瞬間に猛烈に感動した。
それを辿々しくも熱烈に伝えてくれた日吉もすき。

強烈に魅入られた私は、AbemaプレミアムでMリーグ関連の動画を見て、この男が赤坂ドリブンズというチームの村上淳であることを知った。

この男の所属するチームが敗退の危機にあったこと。
この男が苦戦するチームメイトを引っ張り戦線を維持していたこと。
そして最後には敗れたこと。

初年度のドキュメンタリーやファイナルステージ12戦目の園田賢のビタ止め2連発からの敵チームの心をへし折るオーラス海底自摸を見てすっかりドリブンズの麻雀に魅せられた私は、次のシーズンから早速Mリーグの視聴を始めた。

そして、ドリブンズが気持ちよくシーズンを終えたシーンを一度も見ていない。

序盤負け続け、見るのが苦しくなって仕事に逃げていたら4連勝していたのでウキウキで視聴を再開したら4ラス引いた(多分)こともあったし、リアルタイムで見ていて村上の浮き牌を待ちにしたリーチがかかった瞬間見ていられず放送を閉じたことも何度もある。
村上の配牌がどうしようもなくバラバラな所を見て放送を閉じ、眠りにつき、翌朝起きて村上が箱ラスを引いた観戦記を読み続けた時期もあった。
なんとあの手牌を丁寧に仕上げ勝負形に持っていったあげく跳満に放銃したらしい。なんてこった。

とにもかくにもドリブンズと村上淳は負け続け、地上にいることの方が珍しかった。
(そもそも1/4しか勝てないゲーム応援するのってコスパ悪く無いか?)
それでも村上淳の麻雀は面白かったし、後述する理由から彼と彼の見せる麻雀に惹きつけられ続けた。


炎上し続けた村上淳

時系列が遡るが、3年目のファイナルシリーズ、なんの望みもなくなった最終戦で久しく見なかった目の覚めるような好配牌を幾度ももらい、それを存分に生かし、いつも通りやれること全てを実行しトップを取り切った。
(親番以外でも)和了に向かうこと、それに伴って不要牌を余らせること、他家の和了気配に差し込むこと、全てが試合の進行をスムーズにする結果につながる。半年間観続けたMリーグの最終戦があっけなく終わることに、大切にしてきたものを台無しにされる感覚を抱く人が多かったことは想像に難く無い。
村上やドリブンズは覚悟の上だったと思うが、恐らくはそれ以上の反感を買い、人格否定のような文言も飛び交い、ドリブンズファンはずっと肩身の狭い思いをしている(多分。)
それでもあの最終戦は村上淳がこれまで向き合ってきた麻雀人生全てを総動員して導き出した最善の行動だという信頼は揺らがなかった。

その後、村上淳は全ての批判を受け止め、真摯に卓に向き合い、大きな発声と丁寧なリーチ麻雀で闘牌し、2年間負けに負けた。

そしてその負けを村上淳の言葉で説明する機会を周りの人間が数多く作り出し、彼はその全てに同じような内容で正直に答え、ことごとく炎上した。

上手くかわせよ!と何度思ったことか。メディアは村上淳を燃料に閲覧数を稼ごうとしているように見えたし、どの媒体にも同じような人間が同じような批判をしているし、私も毎回毎回懲りずに批判が目に入って凹んでいる。

それでも村上淳が、ドリブンズが、好きな理由


先の動画を見た時には自覚していなかったが何年も経って今ならわかる。
私は人間の理性の挑戦に弱いのだ。
名探偵が閃きと才能で華麗に解決する小説より、冴えない刑事が一つ一つ集めた証拠で地道に犯人に迫っていくものの方が好きだし、災害や異常事態に直面した時に人間の理性と忍耐が試されるストーリーに虚実問わず感動してしまう。
理由としては、自分にそういった才能がないからというのが大きいと思う。一つのことに熱中も出来なければ、日々に懸命に生きている訳でもない。惰性に満ちた毎日である。
そもそも、麻雀において盤面の全ての要素を拾って後悔のない一打を繰り返すほどの集中力を持っている人間はそれほど多くない。日常生活でも同様で、どこかで「このくらいでいいや」「時間無いからこれは後で」という妥協に負けてしまうことの方が多いのでは無いか。

村上淳は1打1打決して妥協せず、1局1局自分の手牌の可能性を最大限に追求し、1半荘に全てを賭けて臨んでいる。ように見える。
麻雀を人生に喩える解説は多いが、私は村上淳の熟慮を厭わず最善を追求する麻雀を見るたび、本当はこう生きられたらと思わずにはいられない。

もしMリーグを見始めてから、村上淳が悩む必要のない手牌から好形リーチを自摸りまくるところばかり見せられていたら、ここまで応援することは無かったかもしれない。

村上淳がぐちゃくぢゃの手牌から最高の期待値を追い求め、報われず、最後に散った姿を見て、それでも尚麻雀の鍛錬をやめない姿を見て励まされる人間がいることを忘れないで欲しい。当然勝ちたかっただろうが、真摯に競技に向き合ったあなたの負けた姿にも人の心を打つ魅力がある。

長考や作法について

村上淳批判に欠かせないのが長考や作法に対するものである。
特に例の最終戦以降、放送中のコメント欄やTwitterでその数は爆増した。
共感してもらえるとは思わないが、私は長考や強打、ため息こそ人間が行う頭脳スポーツにおいて欠かせない要素だと思っている。

将棋の話に逸れてしまい申し訳ない。
将棋界には佐藤康光という棋士がいる。
今年6月まで日本将棋連盟の会長を6年4か月の間勤め上げた。
将棋ソフト不正使用問題による前任者の辞任後、火中の栗を拾い、藤井フィーバーにもうまく乗りつつ、これまでの歴史にないほど多くの新棋戦を立ち上げ、斜陽の新聞産業に依存していた棋戦スポンサーに数多くの企業を引き入れ、今年100周年を迎える将棋連盟を次の100年へと繋げる大きな架け橋となり、会長のバトンを同年代最大のライバル羽生善治へと渡した。
今年BeastJapanextに指名された鈴木大介も理事としてその一翼を担った。おつかれさま。これからも頑張れD介。

将棋連盟の会長というのは現役棋士が歴任し、そこには複数タイトルを獲得してきた各時代のトップ棋士が名を連ねており、佐藤もその一人である。
その佐藤に以前情熱大陸の密着が付いたことがある。
当時タイトル戦を行なっていた佐藤は対局終盤、すごい勢いで嗚咽を漏らし始めた。
そして絞り出すように一手指すと、フラフラと立ち上がりトイレに向かう。
足取りもおぼつかないままトイレの前に着くと女子トイレに入りかける。男子トイレに入り直し、個室で空っぽの内臓から胃液を吐き出し戻ってくると口を抑え、また死神のような表情で盤面を睨み付ける。
これを何度も繰り返していた。

人間の脳がフル回転していると、こんなことになるのかと思った。
これまで培ってきた経験と技術全てを賭けて真理を追う姿はとても美しかった。

そして、同じ面影を村上淳にも見るのだ。
鼻水を啜り、深すぎるほどの呼吸をして、頬に手を当てて、目の前の牌から少しでも多くの情報を見出そうとする。

よく「余裕ある時は鼻水出ないんだな」といった趣旨のコメントを見ることもあるが、それはそうだろうとも思う。麻雀も将棋も定跡系の序盤は考えることはそれほど多くない。体に酸素は行き渡っているし血流も正常だ。終盤、未知の世界を歩む中で魂が盤面や卓上にこぼれ落ちるほどの集中状態に入る時に、顔は充血し、呼吸は粗くなる。私はその姿勢にこそ美しい頭脳アスリートの姿だと心打たれる。

嫌な人がいるので改善への取り組みをしているという旨の発信も見ている。
その努力は素晴らしいし、村上淳が目指すプロ像へ向かっていくこと自体は応援するが、正直言ってそこまで改善して欲しいとも思わない。
どうやっても抑えきれないほどの集中状態で読みの世界に没頭する姿をこれからも見たいと思っている。

負け続けているドリブンズはダサいのか?


理を追求するとか勝ちにこだわるとか言いながら結局負けるのはダサい。
そういった批判が多く寄せらているし、確かにそうだと思うが、私はそれでもドリブンズが、村上淳が好きなのだ。それは「理を追求する」ことを諦めていないから。
私がドリブンズを見限るとすれば、それを放棄した時だろう。
5シーズン連続でレギュラーシーズンをマイナスし、2シーズン連続の7位敗退。現時点で考え尽くしてやれることをやって負けたのだろうと納得できている。
もしかしたら本当にドリブンズはMリーグの舞台では弱いのかもしれない、最適戦術が取れていないかもしれないし、そもそもの実力が足りていないのかもしれない。
私はそれでもいいと思っている。
足りていない者が理を追求する姿ほど尊いものはない。
負けてもいい、ダサくてもいい、どんなに不恰好でもいい。
それでも村上淳を含めたドリブンズファミリーの6選手には考え続けて後悔の無い一打、1シーズン、麻雀人生を追求することを諦めないで欲しい。

そして村上淳がいつか、決定戦の舞台か、Mリーグのファイナルか、まだ見ぬ新戦線か、本人の望む大きな舞台で報われることを願っている。

結局なにが言いたいの?

細かい修正に時間をかけているが、ここまでの9割くらいは思い立ってから1時間程度で書き殴ってしまったので、2,3日経った今読み返してみれば章立ても起承転結もめちゃくちゃで読めたもんじゃないと思う。
だらだらと綴っているこの文章で何を伝えたかったかというと、競技麻雀を観るきっかけをくれた村上淳への感謝である。
雛が最初に見た動く物を親だと認識する刷り込み効果よろしく、自分の競技麻雀観戦という世界においての親鳥は村上淳だったということだ。
その親鳥がこれまでいた舞台から飛び立つことになったので感傷的になってしまったのだと思う。




こんなさよなら村上淳みたいなこと言ってるけど全然最高位戦のリーグも見ますし神域もずっとアトラス視点で見てます。これからもよろしくずんたん。

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