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ゲームの遺伝子 解析記録 vol.14 甲虫王者ムシキング/オシャレ魔女 ラブandベリー

いつも番組をご覧いただき、ありがとうございます! ゲームゲノム「おとなへの階段~甲虫王者ムシキング/オシャレ魔女 ラブandベリー~」を担当しました、ディレクターの大野稚香子と申します。幼少期の記憶に残り続けるこの2作品。たくさんの方々の協力のもと無事番組にできたこと、感無量でございます!!今回は一緒に番組を制作した最高の先輩、植木Dとともに、企画~制作~放送までの発見や、番組にのせきれなかった情報をお伝えできればと思います。以下、最大の愛を込めて両作品を『ムシキング』、『ラブベリ』と呼ばせていただきます。


潜在意識にすり込まれていた『ラブベリ』

皆さんは、ゲームによって自分の一部が形作られたり、価値観に大きな影響を与えられたりした経験はありますか?

私は現在、NHK名古屋局勤務、関西出身、1997年生まれの入局4年目です。なにを隠そう、『おジャ魔女どれみ』や『エンジェルブルー』、『一期一会』、『ハッチポッチステーション』世代でございます(同志の方いらっしゃいますでしょうか?)。以前この「ゲームゲノム」を見たとき、「自分には大きな影響を受けたゲームってあったかな?」と記憶をたどりました。元々ゲームセンターが大好きで、幼いころから両親に頼み込んで遊んでいたものの、今の私といえば、忙しさを言い訳に、胸を張ってコレと言える趣味もなく…。

強いて言うなら、毎晩ネットで新作コスメをチェックし、国内外のファッションサイトを眺めるのが至福のひととき。なんとなく職場への足取りが重いときは、ハデな色の服を着て、まつげをバチバチにあげて自分の機嫌をとってみたり。企画が思いつかず上司に相談に行くときは、場が少しでも和むよう、かわいいネコが大きくプリントされた服を着てみたり(効果があったことはありませんが)。とにかく「オシャレをすること」が今の自分を勇気づけてくれています

一方、普段はインドアなので、服はたくさんあるのに着ていく場所がない。クローゼットには似たような服がちらほら。うわぁ~、私は一体いつからこんなことに…。でも、そんなクローゼットを眺めている時間やたくさんの服からコーディネートを考えている瞬間がとっても幸せだったりもします。なんでなんでしょうか…?

…あれだ、『ラブベリ』だ。状況に合わせて服を変えたり、「オシャレ」は自分の「パワー」になると最初に教えてくれたのは、間違いなくあのゲームだ!

『ラブベリ』以降もゲームはいくつもプレイしてきましたが、これにはよりいっそう思い入れがあるのです。『ラブベリ』を遊び倒していた当時の私は8才。もう、それはそれはドハマりしていました。でも振り返ってみると、ただ“世代だったから”では片づけられない、そんな奥深さがあるような予感がしたのです。その予感を確信に変えるため、「ゲームゲノム」で本作の神髄をひも解くことにしました。こうして、私たちの世代に絶大なブームを巻き起こした『ラブベリ』と『ムシキング』の“ゲームゲノム”を探す旅路が始まりました。

カードでよみがえるのは…プレイヤー共通の“ある記憶”

とは言っても、プレイしていたのは小学2年生ごろ。細かな記憶や情報は、はるか遠くへと薄れていました。ゲームセンターやショッピングモールに大量にあった筐体きょうたいも、今は稼働終了。企画書を書くにあたって、「まずやってみないとはじまらない!」ということで実家からカードとNintendo DSを送ってもらいました(そう、アーケードでの取材はできずとも、DS版があったことが最初の光明でした)。

か、かわいい~!!元々のデザインもかわいいうえに、Y2Kブームの今、「着たい!」と思えるアイテムがたくさん!目のえた方は、このカードたちを見ただけで私がラブ派かベリー派か分かってしまうかもしれませんね。特にストリートコート向けのファッションは、今をときめくK-POPアイドルが着ていてもおかしくないくらいのクオリティ。あのころは気づかなかったですが、幼少期に胸がときめくファッションに触れられていたことは、かなり恵まれていたなと感じました。しかも、ゲームだからこそ子どもだった自分でも“手が届く”!

みんなファイルにとじてカードを保管するんですよね。残っていたカードだけでも70枚、1枚ゲットするのに100円だから…お父さんお母さんありがとう…。社会人になりお金を稼ぐことの大変さを痛感する今、感謝の気持ちはひとしおです。ファイルには当時の友達と交換したカードや、プリクラなども一緒にとじてありました。このファイル、あのころの自分にとっては本当に宝物だったんだなぁ。

『ラブベリ』は、ゲームの時間は1回わずか3分ほど。どんな工夫や体験が隠されていたのかを探すため、ひたすら実戦しました。デスクにカードを広げていると次第に同世代ディレクターが集まってきます。そして、みんなで口ずさみながらプレイ(良い職場です)。こうした実機プレイという名の取材では周りに助けられました。

同世代のディレクターたち

さて、同僚みんなでカードを見ているときにふと気づいたのですが、私たち、筐体の前にいるとき以外のプレイ体験―共通の“思い出”があったんです。それは、家にいる間もカードの組み合わせをひたすら考えて、ファイリングしたカードを眺める時間が最高に楽しかったこと。それを友達と見せ合うという恒例行事があったこと。そして、筐体が置いてあるゲームセンターは子どもが1人で行くには距離も遠く、少し大人の世界だったので、みんな親や祖父母と(時にめちゃくちゃおねだりして)通っていたこと。そう、カードの周りにはいつも、家族や友達との楽しいひとときがあったということでした。出身地が全く違うのに、こうもかぶる思い出ってあるんですね。「あぁそうか、このゲームに感じていた不思議ないとしさは、ゲーム自体の楽しさと、大切な人との思い出とが合わさっているからなんだな」と謎が1つ解けたのでした。

当初私は、この2作品のゲームゲノムは、「無限のカードの組み合わせから、幼いながらに“自分らしい正解”を見つけ出して勝負すること」だと考えていました。『ムシキング』では、たとえ弱いムシカードしか持っていなくても、そのムシを熱心に研究し、長所を見つけ、戦略を練れば強いムシと対等に戦うことができる。『ラブベリ』では、各ステージのファッションの系統を見極めさえすれば、自分の好みのオシャレで強くなれる。つまり、「“らしさ”を愛する」ということを、当時の子どもたちに一番最初に教えてくれたゲームなのではないだろうか?そんな思いを番組打ち合わせでぶつけてみたところ、総合演出である平元さんから目からうろこなアドバイスが。

「《“らしさ”を愛する》というのは良いテーマだと思うけど、番組でひも解くには結論じみているんじゃないかな。《“らしさ”を愛する》は裏テーマとして、視聴者と一緒に30分かけてひも解いていく先になにが待っているのか、を言語化したいよね。当時の子どもたちは、ゲーセンに行けちゃう大人たちとか、オシャレだったりカッコいい大人たちにあこがれたんじゃない?もっと言うと、我々も今“おとな”なのか“オトナ”なのか…憧れた“大人”になれてるのかなぁ。」
 
なるほど、この2作品は、ゲーム内容はもちろん、家からカードを持って行きゲームセンターでプレイするまでの過程ですら、“おとな”への第一歩だった、ということに気づきました。その結果、今回のゲームゲノムである「おとなへの階段」にたどり着くことができたのです。

筐体きょうたい、レアすぎ!

こうして見つけ出したゲームゲノム…「おとなへの階段」と植木先輩がリサーチしたゲーム史上の2作品の立ち位置(後述)を基に、企画書をブラッシュアップしていきました。それをゲーム制作会社さんへ持ち込み、協議を重ねたところ…無事取材に協力していただけることになりました! 本当にたくさんの方々に助けていただき、本格的な番組制作スタートまであと一歩!となったところで、ある問題が立ちはだかったのです。
 
ゲーム映像の撮影に必要不可欠な、「筐体」の拝借をお願いしたところ、実は制作会社さんが保管している筐体数は『ムシキング』『ラブベリ』共にごくごく少数。『ラブベリ』に関してはイベントにて展示使用中とのことだったのです!家庭用ゲーム機版で収録するか?はたまた、イベント会場に毎日通って(しかも来場者がいない夜中とか…)収録するか?など、メーカーさんと番組チームで代案を模索しました。
 
しかし、結果的に最も良い形に着地しました。なんと開発で使用していた海外向け筐体を改造し、日本版としてプレイできるようにしてくださったのです! メーカーさんのさすがの技術力! 本当に感謝してもしきれません、ありがとうございました…!

さらにボディ部分はNHK美術チームに再現していただき、いよいよ筐体とのご対面。実に16年ぶりに見た最初の感想は…「ちっちゃ!」こんなに小さかったっけ? 当時は画面を見上げてプレイしていたような気がしていたのに。番組内でも藤田さん、森本さんが全く同じ反応をしていらっしゃいましたね。私たち、知らないうちに大きくなったんですね…。

制作者の皆さんの愛

さらに、2作品の開発者、根布谷朋範さん(『ムシキング』)、近野俊昭さん(『ラブベリ』)、そして両作のプロデューサーを務めた植村比呂志さんに取材させていただけることになりました。皆様とても真摯しんしにゲーム制作に向き合っていらっしゃったことが、番組内のお話だけでもすごく伝わったと思います。

根布谷朋範さん と 近野俊昭さん

当時、青年向けのゲームが多く、大人の世界だったゲームセンターを、親子で楽しめる場所にしよう!という大きな志のもと作られた『ムシキング』と『ラブベリ』。「ムシ」と「ファッション」という、実在するものをテーマにしたのもこだわりが。子どもたちが、祖父母などゲーム自体を知らない人たちともこのゲームについて話せるようにという願いが込められていたんです。たしかに、どの世代でも「ムシり」や「着せ替えごっこ」は経験しますし、それをゲームで楽しんでいる、というのであれば一緒にお話できますよね!
 
制作チームの方々は、実際にゲームセンターにも足を運び、現場で遊んでいる子どもたちの反応を見ながら、ゲームの改良を重ねていったのだそうです。あの楽しい思い出は、制作者の方々が、「子どもたちの喜ぶ顔が見たい!」という情熱のもと作られていたんですね。当時は何の気なしに遊んでいた私ですが、たくさんの大人に「思われていた」のだと思うと、自分の幼少期がより愛おしく感じるのが不思議です。

いざ収録、憧れの無限プレイ!

ということで、なんとか筐体を東京のNHKスタジオまで運び、ゲーム研究と収録ができることになりました。実はあの筐体の下にはキャスターがついていて、コロコロ移動させることができるんです!ゲームに夢中すぎてあのころは全く気づきませんでした。

「『ムシキング』と『ラブベリ』が帰ってきた!」といううわさを聞きつけ、植木さん以外の先輩も対戦プレイの収録を手伝いに来てくれました。

筐体のスピーカーから流れる音楽…不思議と手がリズムを覚えています。なんと言っても、『まちでうわさの…』を聞いたときは本当にこみ上げるものがありました。地方出身の私に渋谷のハチ公の存在を教えてくれたのもこの楽曲です。しかし、これだけオシャレか否かで勝負するゲームが歌詞で…。

  「でも だいじなことはミタメじゃなくて ナカミ
   やさしくなくちゃ オシャレしたって ダメ!ダメ!」
 
と、人の本質に言及しているんですよね…シビれる! 体裁ばかり気にするようになった自分に、なお刺さります。
 
ということで、頼れる植木先輩のサポートのもと、ばっちり稼働する筐体も手に入り、ゲーム画面収録方法についてはNHK技術職の方々のお知恵を借りて万全の体制!まさに「ABCD イイかんじ♪」じゃない! そう思った矢先、再び壁が立ちはだかるのです。この植木先輩の写真…決してハチ公のまねをしているわけではありません。

一体なにが…!? 植木先輩の取材後記で真相は明らかになります…。ここまで読んでいただいた皆さん、本当にありがとうございました! 頼りにしかならない先輩である植木さんの取材後記は、信じられないくらい面白いです。このままお読みください!
(ディレクター 大野稚香子)
  

はじめまして!大野Dとともに「おとなへの階段~甲虫王者ムシキング/オシャレ魔女 ラブandベリー~」を担当したディレクターの植木翔吾と申します。1993年生まれの30歳です。
 
『ムシキング』稼働開始が2003年、『ラブベリ』は2004年ですので、もう20年以上も前なんですよね~。当時、僕は小学3~4年生でした。それはもう空前の大ブームでしたよね。子どもたちがゲームセンターやショッピングモールで大行列を作って、自分の番を今か今かと待ちながら先頭の子どものプレイをジーっと眺め、レアな大型甲虫や目当てのカードが出たなんてことがあれば大歓喜! 後ろに並んでいる子たちは「いいなぁ、欲しかった…」なんて素直なねたましさをあらわにする、そんな光景が広がっていたのを記憶しています。
 
僕はというと、「小さい子がやるゲームだよね」と思い込んでプレイしたことはありませんでした(って、自分もそんなに変わらない“子ども”だったわけですが…)。あれからおよそ20年―――“子ども向け”と思っていた作品の“奥深さ”を私は知ることになったのです。

ギラつきがたまらない「ムシカード」たち

『ムシベリ』がなければ、ゲームは衰退していた⁉

あくまで取材所感です。ただ、過言ではないとさえ感じさせてくれた出来事がたくさんありました。その1つがゲームの歴史から見た両作品の立ち位置です。そもそも僕がこの「ムシキング/ラブベリ」回に参画したのは、昨年の夏。総合演出の平元さんから、「この回の制作に入ってほしい」と依頼されたのが始まりでした。大野Dが並々なみなみならぬ熱意をもって「ゲームゲノム」を『ラブベリ』でやりたい!と企画・提案し、さらに『ムシキング』と合わせて、両作品に通ずる“ゲームゲノム”=大テーマを模索していたのですが、その言語化に苦労しているということでした。僕に最初に下されたミッションは「アーケードゲームの歴史を調べる」というもの。番組の中で、アーケードゲームの歴史をたどるパートがあってもよいのでは?というアイデアもあり、その目線から見たときに両作品の“ゲームゲノム”が見つかるかもしれないとリサーチに入りました。
 
書籍やネットをあさっていたとき、アーケードゲームの大ファンの方が作ったサイトが目に留まりました。そこにあったのは、アーケードゲームの歴史年表。それは、ただアーケードゲームの稼働年が年代ごとに網羅されているだけのものではなく、時事・世相、ゲームセンターの状況、執筆者なりの考察についても詳細にまとめられていました。
 
1971年、世界初のアーケードゲーム『コンピューター・スペース』の誕生から、社会現象となった『インベーダー』ブーム、70年代後半には不良のたまり場・不健全な場所というレッテルを貼られてしまったゲームセンターに、“敵であるゴーストにかみつく”という、ゲームをかわいく、ポップにデザインした『パックマン』の登場で女性やカップルが足を運ぶようになり、発展した経緯。『テトリス』や対戦台の普及、グラフィックはこのぐらいから進化して、「音ゲー」ブームが―――と、ここには書ききれないほど《アーケードゲームの歴史と叙情詩》が書かれていたのです。 その年表を読み込んでいると、もちろんありました!『ムシキング』や『ラブベリ』が。そこに書かれていたことにハッとしたのを今でも覚えています。要約しますと…
 
「ゲームは年々複雑化していき、このころになると児童でも気軽に遊べるゲームは無くなっていた。しかしそこに、児童向けアーケードカードゲームという新ジャンルを築き、ふたたび児童や親子連れがゲームセンターに戻ってきた。」
 
この数行だけ見ると「ふ~ん」かもしれませんが、70年代にまでさかのぼるアーケードゲームの変遷を読み込んだ後でしたので、とてもに落ちたのです。
 
「なるほど、技術革新によってクリエイターから湧き出るアイデアが形にしやすくなり、よりよいものや新しいものを生み出そうとしたとき、難しさ・システムや世界観の複雑さという方向に進み、クリエイターもコアプレイヤーもそんな複雑さを求める中で、児童たちはゲームに取り残されてしまっていたのかなぁ?」と。もしかしたら、あのとき行列をなした子どもたちにとって、『ムシキング』や『ラブベリ』が初めてのゲーム体験で、ゲームセンターという未知で難しそうで立ち入ることのできないと思っていた場所に、“居てもいいんだよ”と声をかけてくれたような作品だったのかも。もっと言うと、「そのプレイ体験を胸に、その先のゲーム業界を担うゲームクリエイターになった人ってたくさんいるんじゃないか⁉ ゲーム業界の発展において、非常にキーになる作品でしょ!」なんて想像がどんどん膨らんでいき…「だとしたら『ムシキング』と『ラブベリ』ってめっちゃ“ゲームゲノム”を子どもたちに刻んでくれていたじゃん!現に大野ディレクターは打ち合わせ中、『まちでうわさの…』(『ラブベリ』の楽曲)を歌ってたぐらいだもん!絶対刻まれてる!この番組で解析しないなんてありえない!」とまで思ったのです。

こんなことをチームに意気揚々とプレゼン。みんなで議論を交わし、両作品のゲームゲノムは「おとなへの階段」となったのです。結果的に番組でアーケードゲームの歴史パートはありませんが、大きなヒントになっていたことは間違いありません。

戦術研究とじゃんけんの妙

こうして取材がスタートするのですが、このときの『ムシキング』に関する知識は、【「ムシカード」と「わざカード」を使ってじゃんけんをする】ということのみ。カードにえがかれた数字の意味や組み合わせによって、「つよさ」というステータスがアップすることを知ることから始まりました。

「ふむふむ。たしかにカードの組み合わせによって、つよさの上がり方が違うなぁ。ちょっといろいろ試してみるか!」と、DS版ソフトでプレイ取材を始めました。「なるほど。《つよさ120》の小型のカブトムシでも組み合わせ方によっては、《つよさ140》の中型・アトラスオオカブトよりもつよいんだ!《つよさ160》のアルキデスオオヒラタクワガタが《テクニック20》のカード3枚のときよりもつよいぞ!」といった発見をしていきました。

取材当初のノートの一部です。謎に係数計算も。おそらく計算式違います…(文系です)

これもカードがふんだんにあるから、こんなに自由に組み合わせられるけど、当時のプレイヤーたちは、限られた手持ちカードの中からベストな組み合わせを考えて、戦いに挑んでいたんだな、という気づきもありました。当時プレイしていなかった僕にとってはまたたく間の発見の数々。当時、夢中になり、“少しずつ勝ち方がわかっていく”プレイヤーたちをうらやましくも感じました。

番組には入りきりませんでしたが、「わざカード」には「とくしゅわざカード」もあります。つよさのステータスはアップしないものの、体力を回復したり、相手の攻撃力を下げたりするなど、特殊な効果のあるカードです。ゲームって戦い方にも個性が出ますよね。私は“つよさを上げて殴り勝つ”という戦術よりも“相手をイライラさせたり、ネチネチとむしばんでいく”ような戦術が好きなタイプです。自分好みの戦い方で勝っていく自信や手応えは、猛者への階段を上がっていくような感覚がありました。ただ、どれだけ研究しても勝負のきもとなるのは“じゃんけん”

せっかく研究を重ねた戦術もじゃんけんに負けてしまえば、水の泡。大人になった今、こと仕事においては一生懸命準備を重ねてきた企画が「つまらない」と一蹴されて、努力や労力が形にならないなんてことは日常茶飯事です。単純明快でありつつ残酷さもある“じゃんけん”のバトルシステムは、こうした日々を送っている僕には「大人社会ってそうだなよなぁ」と響くものがありました。

本当に子ども向け?『ラブベリ』初プレイ!

大野Dの先述のとおり、メーカーさんの多大なるご協力をいただき、いよいよキャプチャーロケに突入! 『ラブベリ』に関しては、基本的には大野Dに任せていたのですが、僕もやってみることに。でも、本当に難しかったです。僕は普段、白のTシャツ以外着ないというファッションに無とん着なタイプなので、アイテム選びから大苦労。ステージやラッキーカラーも考慮しなくちゃいけないし、迫りくる制限時間…(「マジカルタイムプラス」には大変お世話になりました)。リズムゲームも初見殺し。「なんでボタンを叩くタイミングを示すゲージがないんだ!」と怒りすら湧きました(笑)!(なぜ“タイミングゲージ”がないのか…ここにも作品の込めた大切なねらいがあると番組で開発者の近野俊昭さんが語ってくれています。気になる方は、「NHKプラス」の見逃し配信でぜひ)。

ゲームセンターだったら後ろに行列があるわけで、うまくいかない姿をみんなに見られるのってキツいものがあるなと感じ、時空を超えて世間体を気にする自分が嫌にもなりました。同時に、「やっぱり、遊んでいた子どもたち、スゲー!」とリスペクトしました。当時の子どもたちはTPOとラッキーカラーをかんがみて、短い時間で手持ちのカードの中からベストを模索する―あるいは列に並ぶ子に勇気を振り絞ってお願いし、カードを借りてプレイしていたこともあったとか。その試行錯誤さくごやそこで生まれるコミュニケーションがとても尊い空間だなぁと思いをせたりもしました。
 
「よし!『ムシキング』で先輩の意地を見せよう!」と意気込んでロケ。構成も整え、狙ったシチュエーション、ムシとわざの組み合わせで戦いに挑む。そんなロケを3日ほど続けたときでした…筐体から出てくるカードを取ろうとかがんだ瞬間、カミナリが落ちたのです。経験者はわかると思いますが、ずばり腰を痛めてしまったのです。こんなドジな話をしたい訳ではなく、これにはワケがありました。
 
通常ゲームゲノムのロケでは、ゲーム機からキャプチャーデバイスを通して、映像をモニターとPCにつなぎ、PCのキャプチャーソフトを使用して映像を撮影する方法をとっています。

しかし、2000年初期の筐体は出力口が違っていて、どうにもこうにもいつもの方法は通用しなかったのです。もちろん、筐体のモニターに映る映像をカメラでそのまま撮る、という方法も考えましたが、絶対にきれいには撮れない…。そこでNHK内の技術職の大先輩方の知見や機材を使ってこのような感じに。

筐体の中を開けさせていただき、そこからケーブルで変換機に繋いで、収録機材に接続しつつ別モニターに映像を出力。一方、音声は同じケーブルからは出てこない仕様になっており、筐体のスピーカーにピンマイクを付けて、収録機材に接続し…と、複雑な方法で収録しました。さらに、収録機に出力すると、筐体のモニターにはその映像が戻ってこないため、結果筐体に向かってボタンを押しながら横にある小さなモニターを見てプレイしていました。こんな感じです。

ムシキングをプレイする大野D

私も写真のように上半身をひねった姿勢で夢中になってプレイしていたのです。結果、腰を痛めてしまい、この写真をズームバックして見ると…。

でっかいスタジオに「ポポ(本作に登場する妖精のキャラクター)」と「ムシキング」の会話が爆音で流れ、大野Dが無限ともいえるカードの組み合わせを試すのを、先輩である僕が車いすで見守るという不思議な空間が生まれました。と、いろいろありましたが…この番組の映像は、メーカーさんの多大なるご協力と技術職の方々のお知恵と大野Dの熱量あふれるプレイによって、なんとか収録できたのでした(あ、しばらくして腰は無事回復しました)。
 
当時のプレイ体験を知らない。ましてや、その盛り上がりを直接見ることもかなわない—。そんな全くのゼロベースからのスタートでしたが、改めて2作品のスゴさを“今だからこそ”目の当たりにした気持ちです。当時、夢中になった人が、この番組を見たら、押し入れからカードを引っ張り出して眺めたくなるー。作品に触れたことがない人も、自分にとって“おとなの階段”をのぼらせてくれたゲームや映画、本にもう一度触れたくなるー。そんな番組になっていたら幸いです。こうしたエモい気持ちになりたくなったら、「NHKプラス」で2月7日(水)まで配信中ですので、ご覧ください!
( ディレクター 植木翔吾)



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