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CODAの私が内側から見たデフ・ヴォイス

作品との出会い

JR新宿駅南口コンコース内の書店で、私と「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」(丸山正樹 著/文春文庫)は出会いました。
まず、棚に面陳めんちんされていた書影しょえいとタイトルの「デフ」が目に飛び込んできました。
「Deaf」は、ろう者という意味を持つ英単語で、私にとって非常になじみ深い言葉でした。

Children Of Deaf Adults

耳の聞こえない親から生まれた聞こえる子ども
その頭文字を取って「CODA」
私は、CODAとしてこの世に生を受け、生きてきたからです。

米内山 陽子
広島県出身。脚本家・舞台手話通訳。
代表作にTVアニメ「パリピ孔明」(シリーズ構成)、TVアニメ「ウマ娘―プリティーダービーSeason1,2」(脚本)、TVアニメ「スキップとローファー」(脚本)、実写映画「思い、思われ、ふり、ふられ」など。
ドラマ「デフ・ヴォイス」ではCODA考証・手話指導を担当。

その日、私は「ほほーん」と思いながらその文庫本を手に取り、少し懐疑的な気持ちでレジへ向かいました。
どうせ聞こえる人が便利にろう者を使った物語だろう。
聞こえない人は心がキレイだとか言うんだろう。
お涙ちょうだいの感動ポルノだろう。
そのくらいスレていました。

なぜか。
ちまたにあふれる手話やろう者が題材になった作品は、そういう感想を抱くものが多かったから。
それでもかつては「これでろう者や手話を知ってもらえる入り口になれば」と健気けなげに思っていました。

30年以上、同じことを思っているのにはもう飽きました。
いつまで入り口でウロウロしなきゃいけないんでしょう。
なのに、私の両親が生きる世界が題材になったら読まずにはいられないのです。
ハリウッド映画に日本人キャストが出てきたら気になってしまうのと近いかもしれません。

恐る恐るページをめくってまず驚いたのは、主人公がCODAであることでした。CODAが主人公の作品なんて今まで触れたことがありません。
(「CODAあいのうた」が上映されるずっとずっと前のことでした)
そこに出てくる家族との確執、ろう者とのやりとり、聴者とわかり合えない苦悩、どちらの世界にも居場所を見つけられない寂しさ……
描かれているのは、私の知っている世界そのものでした。
胸の奥に沈めて隠していたものを引きずり出されて丸裸にされたような気持ちでした。
丸裸にされた傷のひとつひとつを、慰めてくれる作品でした。

この物語は、私のために書かれたのではないか。
こんなに“近い”物語は、「デフ・ヴォイス」の他にはありませんでした。
近すぎて、俯瞰ふかんできない。
そこから続刊が出る度に読みふけり、その物語のなかにいる自分の断片を見つけてはむせび泣き、胸震わせました。

劇中写真

映像化へ

この物語の生みの親、丸山正樹さんと知己を得て、いろいろなお話をさせていただくなかで、映像化の企画が動いているというお話を聞き、やがてNHKから手話指導の打診をいただきました。

私がCODAであること、脚本家であること、舞台手話通訳を行っていること。
今まで培ってきたことの全部を、この作品に生かせたらうれしい。
これは、「デフ・ヴォイス」という作品への恩返しになるかもしれない。
そんな決意で手話指導に挑むことになりました。

撮影の前に

手話指導は通常、脚本ができあがった状態から関わり始めます。
手話のセリフを翻訳し、俳優さんに指導する時間があり、撮影現場で間違いのないように確認をする。
ですが、「デフ・ヴォイス」は脚本作りの段階で、制作チームとお話をする機会をいただきました。

私だけでなく、ろう者や、手話通訳士などともお話したそうです。
CODAとは?ろう者とは?手話通訳士とは?
物語に書かれていない部分も細かく細かく共有します。

このような機会はめったにないことで、制作チームの本気を感じてとてもうれしくなりました。
そして、この状態がいまだ通常でないことにも軽く絶望しました。
しかし絶望ばかりもしていられません。
ここから、ここからだ。この作品が、今後を占うんだ。

CODAとは(私観測)

CODAとはどういう人々なのか。
ざっくりくくるのは大変にムズイです。
環境も人それぞれだし、親の性格や自分の性格もある。

手話ができる人、できない人、手話をすることをやめた人、自分が大人になって手話を学び始めた人。
子どもの頃いじめやからかいの対象になった人、それをはねのけた人、親のことを隠していた人。
ずっと親の通訳をしてきて、それがアイデンティティとして固定された人。
聞こえない親に反発して、没交渉になった人。

わが家の場合、通訳は必要最低限でした。
後から知りましたが、それは両親の決意でもありました。
子どもには、通訳をさせないようにしたい。子ども時代を子どもらしく過ごしてほしい。

しかし、両親の気持ちがどうあれ、CODAは周辺の人々に手話通訳を期待される場面が多くあります。
それは両親がメモとペンを持って筆談を求めても、関係ありません。
私が小学生であっても、関係ありません。
耳が聞こえて手話がわかる人間には通訳を頼んで良いのだという社会的な刷り込みがあったのかもしれません。
それは聞こえる人だけではなく、聞こえない人にもありました。
両親が止めようもなく通訳をせざるを得ない場面もいくつもありました。
子どもだった私は、両親の役に立てることがうれしく、誇らしいと思っていました。
それを両親が当然だと思わずにいてくれたことが、私にとっては僥倖ぎょうこうでした。
思春期には順当に反抗期を迎え、のびのびと真正面から激しくケンカするようになりました。手話で口論(?)するので、語彙数がぐんと伸びました。

一方、弟は私を反面教師にしたのか、無口になるタイプの反抗期でした。
その時に手話の語彙数が極端に減りました。本人いわく「あの時に大半を忘れた」。
現在弟は、手話の読み取りはできますが、表出はそこまで多くありません。

筆者の家族写真
家族写真

姉弟でもこれだけ違うのです。
ひとくちにCODAを括ることは非常にムズい。
けれど、これまでに色々なCODAと出会って感じていることがありました。
私たちは、寄る辺ない存在であるということでした。

聞こえない親のもとで、ろう文化を浴びて育ち、聞こえる人ばかりの世界には完全にはなじめない。かといって、ろう者のなかでは“聞こえる”人間である。
どちらにも確実な居場所がないこと。
境界線をふらふらと歩む存在であること。

しつこいようですが、すべてのCODAがこうではありません。
ろう文化にぐっと体重を乗せている人もいれば、聴文化にしっかりなじんでいる人もいます。
抱える傷の深さはそれぞれで、形も違うでしょう。
でもきっと、同じ所に傷を抱えている。
そのイメージは、私のなかの尚人像にも当てはまることでした。

劇中写真・草彅剛さん

「デフ・ヴォイス」の主人公・荒井尚人は、もう一人の私でした。
私が選ばなかった未来。私がなり得たかもしれない未来。
少しのボタンの掛け違えで迎えてしまった未来の姿だと感じていました。

私の頭のなかでの尚人はまつろわぬ民のように、居場所の見当たらない現世をゆらゆらと生きていました。
その実体を現代社会にとどめたい。
私たちはここにいるのだと知ってほしい。
居場所がなくても、このまま生きていくことを認められたい。
このドラマに関わることが、私の、この世に生きるCODAの傷を慰めるかもしれない。

制作チームの皆さんは、じっくり真摯しんしに話に向き合ってくださいました。
できあがった脚本のなかで、私は荒井尚人にもう一度出会い直したような気持ちになりました。

ろう者役の配役

この作品には、耳の聞こえない・聞こえにくい登場人物がたくさん出てきます。
全てを、当事者俳優に演じてほしい。
それは長年の悲願でした。

テレビドラマや映画は「作品」であると同時に「商品」で、出演する俳優が誰であるかがその商品の売れ行きを左右する世のなかで、この悲願を(全てではないにしても)実現するには相当の覚悟が必要だったのではないかと思います。

オーディションの様子

全国の耳の聞こえない・聞こえにくい俳優と出会うためのオーディションが行われました。
主催者側は監督、プロデューサー陣、手話監修の木村晴美さん、手話指導の私と江副悟史さんで臨みました。
手話通訳は参加者、主催者双方に読み取り(日本手話→音声日本語)・表出(音声日本語→日本手話)を行います。

オーディションは数日にわたり、老若男女たくさんの当事者俳優に出会いました。
参加者は短い自己紹介の後、3種類のテキストを使って演技を行います。
その表現の多様なことといったら!

CODAが一括りにできないように、ろう者だって一括りにはできません。
聞こえる両親から生まれたのか、聞こえない両親から生まれたのか、手話がある環境で育ったのか、声と口話を求められる環境で育ったのか……
オーディションを受けに来てくださったおひとりおひとりの体に、生きていらした歴史が詰まっていました。
高齢の方の明るくふくよかな手話、若い方の弾むようなイキイキとした手話。
晴れて今回、約20名以上の耳の聞こえない・聞こえにくい役のほぼすべてに、当事者の俳優を迎えることになりました。

いざ、手話指導

並行して、完成した台本の手話の部分を、手話監修の木村晴美さんが全訳する作業も行われていました。
手話指導チームは木村さん訳出の手話を元に、草彅剛さん演じる荒井尚人、橋本愛さん演じるNPO法人代表の手塚瑠美の手話を作っていきます。

手話は肉体を使った言語ですので、動きの得意不得意がどうしても目立ち、身体的個性になじまないと、役のセリフになりません。
ろう者俳優にはご本人らしい手話と、役としての手話の融合。
例えば利き手、指の曲がり具合の癖、表情の癖、ご本人の動きの癖などから、適する手話を選び、組み直し、指導していきます。
時には、俳優本人がよく使う手話も組み込んで、手話を表出するときに「無理やり演じている」感が出ないように、相談しながら作ったこともありました。

尚人とやりとりのある役は、尚人の手話とかみ合うように単語の調整などをしていきます。
会話のなかで出てくる共通の単語を違う手話で出すと、会話をしている雰囲気が損なわれてしまうことがあります。
なので、そこは同じ単語を使用するよう調整しました。
監督をはじめとする制作陣立ち会いの下、ひとつひとつ意味を確認しながら、ろう俳優と手話のすり合わせ、役の感情の確認をしていきます。

劇中写真

そして、尚人役の草彅剛さん、瑠美役の橋本愛さんへの手話指導も始まりました。
今回は「手話でおしゃべり」からのスタートでした。
おふたりとも膨大な手話のセリフを抱えているので、まずは目を手話に慣れさせることが大切です。

そこで、通訳を介さず、相手が何を伝えたいのか、自分は音声以外でどう伝えたら良いのかを工夫してもらう時間を設けました。
草彅さんも橋本さんも気さくに応じてくださり、手話がわからなくてもどこまで伝わるかに挑戦してくださいました。
時にはジェスチャーで、時には口をハッキリ開けて、時には指で空に文字を書いて。
今できる範囲で、好きな食べ物の話や、今ハマっていることなどのお話をしました。
伝わった!と実感できたときの明るい表情は、忘れがたいものです。

伝え合うことは、喜びなのだと思いました。
そんなふうに和やかに手話指導は進みます。
時々雑談を交えながら、少しずつセリフの手話を指導していきます。
基本となる動きはビデオで確認しながら、対面で細かな動きや意味を共有していきます。
対話のシーンは相手役の手話も覚えてもらわなくてはなりません。
お二人ともとても勘が良く、動きは問題なく入っていきます。
手話は手の動きだけでなく、口の開閉、眉の動きなども文法に含まれます。
そこも意味を説明しながら指導していきました。

指導をしていくなかで印象的だったのは、尚人と高齢のろう者・益岡が中華料理店で対話をするシーンの指導をしているときでした。

益岡役の山岸さん

草彅さんと益岡役の山岸さんと一緒に練習をしていたとき、草彅さんがふいに「これは何を示している手話かな?」と漏らしました。
益岡のセリフは「妻は両親に盲腸だとだまされて手術を受けた」というものでした。
優生保護法の影響を受けた益岡の、本当に悲しい告白です。
音声日本語の場合、言外に含まれている意味はこれだけでも察せられたりしますが、日本手話ははっきりとものを言う言語です。
益岡の手話は「妻は両親にだまされて避妊手術を受けた」と表していました。
「だから我ら夫婦には子どもがいない」

胸が締め付けられるようなシーンです。
草彅さんは書かれているセリフと発しているセリフの翻訳に引っかかりを感じたのでしょう。
振付のように形を覚えるだけでは見抜けないものです。
草彅さんは手話を言葉として、セリフとして捉えて挑んでいるのだと大変感銘を受けました。
このシーンの尚人の表情にもぜひ注目していただきたいです。

劇中写真・橋本愛さん

橋本さんの指導もとても印象的でした。
橋本さんはとても気さくな方で、指導中も撮影の合間も手話で冗談を交わし合ったり、明るくお話をしたりしていました。
手話指導は撮影に入る前に全て終えましたが、瑠美が手話を使うシーンの撮影は終盤に行われます。
間がかなり開いているのが心配になりました。
言語能力は筋肉のようなもので、使っていなければ衰えてしまいます。

しかし、撮影中盤に一度確認させていただいたところ、まるでさっきまでずっと手話で話していたかのような完璧さに舌を巻きました。
瑠美の手話シーン撮影当日、始まる前に一度確認を……と思いましたが、やめました。
そしてやはり、完璧な手話を見せてくださいました。
一度だけNGが出たのですが、当然のようにどこをどう間違えたのかをつぶさに把握していて、私は「すっげぇ……」と感涙するのみでした。

手話指導の難しさ

手話を指導していていつも難しいと感じるのは感情的な手話についてです。
感情表現は俳優さんのお仕事の領分で、どんな感情が沸き上がるかは本番までわからないこともあります。
あらゆるパターンを想定していても、それを超えていく感情が生まれることがあります。
テストで見えなかったものが本番には現れるのです。

劇中写真・橋本愛さん

手話の翻訳は変わらなくても、その感情で動きの速さや強さが変わります。
動きは手話話者として生きてきた文脈を超えると違和感になります。
今回の手話指導は、なぜこの手話をチョイスしたのか、強くなるとどうなるか、弱くなるとどうなるか、シーンの意図などを、監督も交えながら事前に細かく確認して、本番はとにかく信じてお任せしました。
この選択ができたのも、十全な準備があったからこそです。
準備!大切!

ろう俳優たちも、すばらしい活躍をしていました。
テレビドラマに出演経験のあるろう俳優は少なく、緊張と不安で現場にやって来る皆を、温かくもフラットに迎えたスタッフの皆さんの心遣いがすばらしかったです。
全スタッフが簡単な手話を覚え、安心して撮影に挑む空気を作っていました。
カメラの前で演技をするろう俳優たちの姿に、ずっと胸が震えていました。

劇中写真

私にとってのデフ・ヴォイス

撮影最終日は、このドラマの大切なシーンでした。
尚人の母がふと、尚人の名を声で呼ぶ──
その声は、私の母の声にそっくりでした。
聞こえる私に、外では一切出さない声で呼びかける、母のことを思いました。
撮影前に亡くなった、父のことを思いました。
幼いころにお風呂で歌ってくれた父の歌声、学校をサボったことがバレて私を叱りつける父の怒声、ころころと笑う母の笑い声、私や弟を呼びかける母の優しい声。
家族にだけ聞かせる、あの父と母の声を思いました。
あの声が、何度も何度もこの作品のタイトルを思い起こさせてくれます。
「デフ・ヴォイス」

どうかこの作品が、皆さんの世界をそっと広げるものになっていますように。

執筆者へのメッセージ

*「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」見逃し配信はこちら *


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