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ぺこーらに、告白しようと思ってる。in 平安

ぺこーら告白コピペ(リンクはWiki)を友人(ポタモケイロス氏)と一緒に中古文っぽくしてみました。指摘などあればお気軽にコメントにお寄せください。随時修正します

原文

ぺこーらに、告白しようと思ってる。
スレのみんなには、悪いけど。
抜け駆けで。
次の給料日、お金入るから。
スパチャして。そこで気持ち伝える。
ぺこーらは男の人と付き合ったことないから。
びっくりするかもだけど。
もう気持ちを伝えるのを我慢できないから。

訳文

へかふらに ふみをおくらむとぞおもふ
にくまぬひとこそ あらまじけれど
ぬけがけにて
またの禄あれば べちなるものをば いかでかしたためざる
へかふらに かよふをのこ なかりしかば
あさましがりこそすめれど
志をなむつたへまほしきを えしのびざれば


解釈と解説

1-3行目

 まず、原文の最初から3行目までを見る。

ぺこーらに、告白しようと思ってる。
スレのみんなには悪いけど。
抜け駆けで。

 1行目が、既に七五調となっており、耳に残るインパクトと口ずさみたくなるリズムを持っている。間違いなく、これがこのコピペが流行した最も重要な要因の一つである。ここで言うところの「告白」は、後に記されている通りスーパーチャットにて愛の言葉を書き込むことだが、目的としては恐らく男女交際を始めたい、ということだろう。このような現代的な「告白」(または恋愛)観念は平安時代の貴族(文字資料を残している人たち)にはないから、当然中古文らしくするには、多少の読み替えが必要だ。つまり、恋愛とは恋文を送る仲になるか、更に進んで「逢う(性的な関係を結ぶ)≒結婚」であって、現代語で言う「付き合う」はない。ここでは恋愛の端緒であるから、「告白する」=「恋文を送ること」、とした。

 2行目は、「スレのみんな」と「悪いけど」に分割して考える。原文の文意は当然、(恐らくは)「ぺこーら」を好いている者の集うスレッド(※1)において、そこの住人を出し抜く形(3行目「抜け駆け」)になってしまうということを(形式的にでも)申し訳なく思う気持ちの表明である。「スレ」はこの場合、書き手にとって同じ女性を好く同志、いわば仲間でもあるため、これを「ともがら」と訳すことも考えた。しかし、後半部の「悪いけど」を「~には気の毒だ」「~に遠慮する」「~に申し訳ない」などと訳してしまうと、中古文のイメージではそれを理由に言外にその行為を取りやめたように見えてしまい前後で矛盾したように読めるとか、そもそもそんな言い方はあまりポピュラーでないとかの問題が浮上したから、思い切って主語を「みんな」の方にすることで、婉曲的に書き手が「みんな」の(書き手の想像上の)抵抗感を想定しているということを示した。つまり、「(私がしようとしている告白を)嫌がって止めたいと思わない人はいないだろうけど」という二重否定文の意味に変換した。「みんな」の全称性はここに保存されている。

 3行目は、原文がよく引用される最後部となっており、倒置を利用した味わい深い一言である。書き手の中では抜け駆けということになっているのか、と最後にわかり「悪いけど」の理由を明確化する重要部であり、それと同じくらい語感が重要であるから、ほぼ形を変えないまま「抜け駆けにて」とした。

  ※1:元のスレッドは不明のようだが、Vtuberのファン関係のスレッドであろう。

4・5行目

 訳文では、これらをまとめて1行にしている。

次の給料日、お金入るから。
スパチャして。そこで気持ち伝える。

 4行目のポイントは「給料」であり、現代のサラリーマンのような感覚での収入は平安時代にはあり得ない。代わりに官位あるものが勤め先の朝廷から与えられる「禄」を、これの代わりとした。禄があったということは財産が潤ったということなので、敢えて資産の増減を繰り返し表現する必要もない。「から」の理由説明まで含めて、「次の禄が入るので」スパチャを行う、という形に直した。

 5行目は、1行目における「告白」の具体的な言い換えである。「スパチャ」は金銭を付したメッセージだが、中古文の時代のイメージでは、贈り物を付けた恋文だろうか。「ふみ」は一度使用している表現だから重複を避けて抽象名詞「もの」を、「(文章を)著す」という意味の「したためる」に繋げて、これが「文」であることを示した。「スーパー」チャットであるから、「特別な」という意味を込めて「べちなるもの」とする。「そこで気持ち伝える」の「気持ち」は既に「べちなるもの(=恋文)」で意味を補完したので、文を細かく区切る力強い意志を、「いかでか~ざる」の反語の形で変換した。

6・7行目

 原文におけるクライマックスである。

ぺこーらは男の人と付き合ったことないから。
びっくりするかもだけど。

 6行目は、元のテクストの真髄、最も気持ち悪い部分で、魅力の一つと言える。「ぺこーら」が男性経験がないことを勝手に決めつけており、「~だろうから」などといった推量の入る隙間がない。かと言って、「~のだから」と断定する口調でもなく、まるで「太陽は東からあがるから」とでも言ってのけるように、あくまで自明のことがらとして書き手は言い放ち、5行目の推量の理由付けとして恐ろしくあっさりと通り過ぎられてしまう。さて、1行目の解説で触れた通り、「付き合う」はそのままの概念を中古文に持ち込むことができないから、「誰の懸想もいなしている」とか「誰も彼女の家には通ったことがない」(※2)とかが、「付き合ったことがない」にあたるだろう。「ぺこーら(の家)に通う(若い)男は(いままで)いなかったから」と言い換えた。原文の類まれなる気持ち悪さは、常に「ぺこーら」の家を見張っていなければそうは言えないであろうことを平然と言っている点で再現した。
 
なお、

「をのこの へかふらに かよふなかりしかば」

 と、同格表現を用いた訳も案が存在したが、6・7行目では「ぺこーら」で一致している主語が訳文では「をのこ」→「(へかふら)」にずれている上、「へかふら」と目に馴染みのない固有名詞を使用してる以上、原文の象徴的な文構造を改変するのは危険と判断し、採用に至らなかった。

 7行目は、6行目とは違って推量表現が原文にある。本当に「男の人と付き合ったこと」がないなら(いや、あったとしても)驚かれるのは当然だが、ここでは推量で留めているのは、書き手にとって不都合な事実を意識しないようにしている不安の表れだろうか。ともかく、「びっくりする」=「あさましがる」でよいとして、敢えて推量の助動詞を「めり」とした。視覚的な根拠から来る推量や婉曲表現に用いられるが、書き手が常日頃「ぺこーら」のライブを通して彼女の表情を観察し、彼女の驚く顔を脳裏にはっきりと映し出せているであろう点や、ほぼ確定事項である「驚かれる」を譲歩的な言い回しで婉曲している原文のニュアンスをここで補完した。

  ※2:平安時代の結婚形態は妻訪婚つまどいこんが一般的であると言われている。男が女の家に訪問する形。

8行目

 余情の残る最後。

もう気持ちを伝えるのを我慢できないから。

 最終行では、今まで抑圧してきた「ぺこーら」への好意を表現せずにはいられない状態にあることを表明する。そしてそのために、上記のような行動に出る、と言外に繰り返している。「告白すること」に対して倒置された追加の理由付けである。「志」は好意のことである。「もう」という「我慢できない」にかかる強調表現は、かける場所を変えて係助詞「なむ」として変換した。原文では「伝えるのを我慢できない」とあるが、正確には我慢する対象は「伝える行為」または「伝えたいという欲求」であるから、「まほし」で希望を示した。「え~ず」の不可能表現で、「我慢する」=「しのぶ」を囲み、原文通り理由説明の途中で切る。

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