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A子さんへ

A子さん、あなたは素敵な人ですね。私はあなたのことをとても大切な友人だと思っています。大好きです。
あなたは大変な働き者だから、いつも心配しています。無理をしていないか、体調を崩してしまわないか、あなたが忙しそうな愚痴をこぼすたびに私はあなたが精神的に追い詰められてはいないかと、胸がいっぱいになるのです。
そんなあなたの働く姿を見るたびに、ろくに働きもせず学問も中途半端にやりたいことも放りっぱなしのこの身が恨めしくなります。私はあなたのようには生きられない。あなたの生きざまを見るたびに、そう強く思います。A子さん、懸命に働くあなたは美しい。あなたの姿を思うと、心配な気持ちとは裏腹にそんな気持ちが湧き出てきます。

A子さん、あなたに終ぞ言うことはないでしょうけれども、私も文章を書いたりしているのです。けれどその理由も私らしくしょうもないもので、絵が描けないから、文字を書き始めたのです。文字での表現にこだわりがあるわけでも、小説を読んで影響を受けたからでもありません。ただ書くだけならば、この非才な身でも日本の義務教育のおかげで何とか表現することができるからです。
あなたはすごい。一週間で何千字も書いて、何作品も創り上げて。もう、見上げることしかできない。私はいつも自分の中の未熟な魂をどうにかすることばかりに気を取られ、同じ様な言葉ばかりを書いている。同じ場所をグルグル回り続けている。それだけが理由ではありません。私は捕らわれている。言葉に。過去に。A子さん、あなたと、みんなと対等に生きていたあの頃に。ああ、そうなのです。私はあなたばかりが過去に捕らわれていると思っていた。でもそうではなかった。わたしもまた過去に捕らわれた未熟で哀れな屍の一つだった。そんな私の書く小説は私の友人たちをもとにしたような登場人物もいる。故に私はあなたに私の小説を見せることができない。私の昔を知るあなたにこの小説を見せるのどうしようもなく恥ずかしく、惨めだから。

A子さん、私は小学生のとき、あなたのことが好きでした。初恋でした。
私がその感情に気が付いたのはおそらく小学3年か、4年の頃。私たちのグループが仲良く遊ぶようになった頃ですね。もはやその当時の感情を鮮明には覚えてはいません。ですが、4年生のときの2分の1成人式で書かれた自分あての手紙には、あなたと一緒になりたいという願望がにじみ出ていました。それは純粋なのか、それとも邪なのか、今の私にはわかりかねますが今思えば、4年だかのときに言っとけばよかったものをとも思います。まあ、私という人間がいまのような年長者のアドバイスらしきものに対して耳を貸すとも思えませんが。たとえそれが私自身であろうとも。
ともかく、あまりにも思春期だった私は好きな相手であるあなたに対して、ろくに会話をしようとはしませんでした。そして、あなたの名前を呼ぶことすらも、恥ずかしく思っていたのです。いえ、異性の名前ならば誰であってもガキンチョの私は呼ぼうとはしませんでした。そしてそれが今の今まで尾を引くなんてことは夢にも思いませんでした。
結局そのまま私もあなたも友人としてグループで遊ぶ日々が中学まで続きましたね。それが変わったのが高校受験が始まった頃。ほとんど空中分解しましたね。あんなにもほぼ毎日遊んでいたのに一切音沙汰がなくなり、たまにあなたが呼びかける程度。あなたがあのグループLINEで呼びかけるたびに私は罪悪感に蝕まれました。とても申し訳なく思いました。あなた一人に重責を押し付けていると心を痛め、そしてただ痛めただけ、思っただけ。私はその後も何も言うことなくただ沈黙しています。
そんな変化を経て、私の恋心も変化を迎えました。私はあなたを好きなのかどうかよくわからなくなりました。そしてよくわからないまま会わないまま日々が過ぎ、高校での中々に楽しい日々を過ごし、私はある結論を作りました。
「私がA子さんを好きだと思ったのはちょうど思春期に一番近くにいた女子だったからではないのか」と。
つまり、距離と時間が離れてしまえば自然とその思いはなくなるものなのだと。事実、当時の私は高校で好きとはいかずともちょっといいなと思う女子がいたりと完全に昔のような想いはなくなっていました。そんな中でその結論はかちりとハマリ、私は初恋に論理的な終止符を打ったのです。ですが、感情を論理で終わりにしたとて、終わるわけがないですよね。そんなきれいさっぱり。やはりその思いは恋愛感情を含まなくとも私の足を引っ張り続けるのでした。

大学生になり、それでもA子さんは連絡と取ってくれましたね。友人として、本当にうれしかったです。ありがとうございます。そして、私から連絡を取ることができず、本当にごめんなさい。私は人の頼り方を知らないようなのです。
大学生になってからは飲みの席が多くなりました。私は下戸であなたはざるで。楽しかったですが私は少し、緊張もしていました。すべては残り香のせいです。申し訳ない。

私はあなたに私を重ねていた。あなたに私を共感してほしいと願っていた。趣味も似ている。母校も出身地も、思い出もある程度共有している。でも、A子さん。あなたは私よりも深い場所にいた。あらゆる面であなたは私よりも先に、前に、奥にいた。言えなかった。私よりも精神的に追い詰められがちなあなたに私のしょうもない悲しさや寂しさ、置いていかれたような孤独を話すことはできなかった。私よりも何倍も働き日々疲弊するあなたを見て、しょうもない学業の愚痴を言うことはできない。なぜならあなたは私の大切な友達だから。

蝶よ花よと友達を棚に飾るような真似、人を懐に入れられない私一番の悪。

でも、友人の少ない私に比べ、あなたはとても友好関係が広いから。私自身の強がりも相まって、弱いところを、下種な部分を見せられなかった。縋れなかった。

ごめんなさい、A子さん。私は自分を差し置いてあなたを過去にばかり固執する人間だと思っていました。だって、あなたは私と会って話すとき、決まって中学の話をするのですから。いつだってあなたは2016年から2018年までが、自分の人生のピークのように語る。
そして私はそんなあなたに共感できない。
わたしは過去に光がない。あれは他人だから。小学生の私など誰よりも私ではない。
ただの他人だ。中学生の私も同様に。過去の自分は過去の自分であり、それは今の私ではない。故に、というわけでもないが、私は過去に、あなたが縋るようなものに共感できない。

私はあなたのそんな純粋な感傷を自分の欲のために利用してしまおうと考えたことがありました。私はあなたを私の欲の形に当てはめようとした。今思えば荒唐無稽でしょうもない内容ですが、その分邪悪なものでした。
それ以来私は私が怖ろしくなり、よりあなたから距離を取ろうと心が動きました。しかしそれもできず、かといって沈黙を貫き、私はこうしてあなたを追いやるような結果になってしまっている。
本当に申し訳ない。

それでもいつか、整理がついたとき、あなたと笑って話したい。すべてを。
あなたを頼りたい。あなたを誘い出したい。気兼ねなく、負い目もなく。

A子さん、あなたの人生が幸福であるよう、私は願っています。

意気地のない旧友より。

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