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ダサさの先

 居酒屋ってのは、私が喋ってるときにだけ料理を運んでくる。しかもさくっと置ける梅水晶なら私もとやかく言わない。卓上スペース確保のため、今置かれている皿の移動に飲み会参加者全員の協力が必要な鉄板料理や、居酒屋にしかない焼き鳥を綺麗に盛るためだけの5cm余計に長い皿が運ばれたときに、あれ?と思うのである。

 後、かなりの高確率でトイレのティッシュが流れない。めちゃくちゃティッシュが流れそうな佇まいなのに、全然ティッシュが流れない。そのままにはしておけないから、トイレのタンクに水が貯まるまで待機する。誰に教えられたわけでも、学校で習ったわけでもないのに、タンクのここくらいまで溜まったら流れるという知識も培った。

 エレベーターもそうだ。下を押したのに、乗り込んだ途端上に登ってしまうときがある。上の階から乗り込んできた人は、全然急いでなさそうである。私は、1本電車を乗り過ごした。

 こういう経験が多々あって、スムーズに生きていけてない気がする。スムーズに生きていないところに目を向け過ぎている部分もあるかもしれないが、他人と比べて圧倒的にスムーズに生きていけてなくて、なんだかダサい。

 今じゃこのダサいのはとてもありがたい。こうやってnoteの題材にもできた。みなさんの中でも共感してくださる方はいらっしゃるのではないか。でも、特段、全部の経験でダサいと言われるかというとそうではない。割とスムーズに生きてるときもある。でも、なぜ、私は自分のダサいところだけ目についてしまうのかしばし考えてみた。

 

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