子供について思うこと
やあ、おはよう。
やや昨日の酒が残っていて、少し気分が悪いよ。
今日はこんなものを作りながら待っていたよ。
ルービックキューブinルービックキューブ!!!
5×5だからできる遊びだよね。
さて、今日は子供嫌いについて話そう。
僕は子供が嫌いだ。
世間には一定数、僕のような人がいる。
たぶん小学生のころには、子供が嫌いだった。
大人と話すほうが楽しかった記憶がある。
もちろん、会話のレベルは僕に合わせてくれていただろうけど。
僕が嫌いなものを3つ挙げろと言われれば、
集団、子供、女性の3つになる。
つまり子供は3強の一角なのだ。
まず、子供の嫌いな点。
1つ。
完全に自立行動をしていないこと。
具体的には、親や周囲の行動がその子の行動に大きく関わるという点だ。
特にテレビで出てくる子供は大嫌いだ。
その上、才能があることをひけらかしていればもっと嫌いになる。
ひけらかすという行動は子供にとって必要な行動ではない。
それは大人になってからすればいいのだ。
子供のうちに社会性を身に着けることがそれほど役に立つとは思えない。
その可能性にあふれた頭脳でより多くの体験と知識を吸収し、ただ気の向くままに自分の世界を広げていくことができるのはその時間しかないというのに。
僕はその点で、さかなクンが大好きだ。
彼のように、本当に好きなものを見つけることができる時間はあっという間に消えていく。
そして次に、
できるのにしないことが多いということ。
これはスーパーで走り回っている子供に言える。
そもそもだが、僕は子供が馬鹿だとは思っていない。
むしろ十分すぎるくらいの知性を持っていると感じる。
幼いころの僕は馬鹿ではなかったし、十分に話の通じる子も多くいた。
それがいい証拠だ。
だから、スーパーでは走り回ってはいけないということも知っていた。
きっと子供のころ、誰もがそのことを知っていたはずだ。
それに、別に走り回らずにいることだってできた。
学校の教室で走り回っていなかったのなら、我慢はできるだろう。
だけど、走ったり、さわいだりする子供がいる。
理解できない。
親のしつけがどうだとかの前に、出来ることをしないのは純粋に子供の怠慢だ。
馬鹿だと言われたくないのなら、最低限のマナー位守っていただきたい。
よく、「年齢はただの数字である。」と言われる。
大人が大人に言っているのなら、何も思わない。
だが、それが子供から、もしくは子供への発言であるのなら
僕は、「それは違う」と声を大にして言いたい。
特に子供のころ、年齢は重要なファクターだ。
なぜ、年齢で成人が決定するのかを考えればそれはよくわかるだろう。
年齢によって、出来ることが変わってくる。
取扱説明書も変わっていく。
それは大人よりも急激に変わる。
だが、どれだけうまく立ち振る舞っても、どれだけ大人びていようと年齢制限は看過されない。
今の僕から子供の諸君に言いたいのは、
「今のうちに好きなことを見つけておけ。」
ということだ。
本当に好きなものと子供のころに出会えれば、きっと君の人生は変わる。
ちなみに、余談になるが
僕は子供のころ、自分のことが子供であるという理由で嫌いだった
今考えると相当変な子だ(笑)
さて、今日はこのくらいにしておこう。
それじゃあ、また
この店で
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