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やさしさって何だろう。

「吾輩は猫である。名前はまだない。」
(夏目漱石、吾輩は猫である)

「胎児よ 胎児よ 何故躍る 母親の心がわかって おそろしいのか」
(夢野久作、ドグラ・マグラ)

「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国であった。」
(川端康成、雪国)

名作と呼ばれる小説の始まりはなぜここまで魅力的なのだろうか。

その一言で作品の世界観に浸ることができる底知れぬ魔力を持つ。

数秒前までその作品と私たちは他者的関係であった。

あった「はず」である。

確証を失うのも無理はないだろう。

先ほどまでそこにあった間隙をものともせずに一方的にやってくるとは、よもや誰も思うまい。

皆がその強大な力に屈することになる。

僕は芸術の魅力はその力にあると思う。

圧倒的なものになればなるほど、悲しいほどに一方的で強くなる。

しかし、それでは疲れる。
限界を超えて腹にものを詰められるような。
そこにやさしさはない。

触れられているかもわからないような弱弱しい力を持ってはかなく輝くように、
「やさしさ」を持った名作を僕は知らない

というより、おそらくそれは作品として成立しないだろう。
満腹中枢を刺激しない料理はないように。

でもやさしさを持ったものはそこかしこにあふれている。

誰かにかけてもらった声にも
誰かの笑顔にも
あなたの中にも

だけど自分自身にやさしくできるのは自分だけだ。
それをどうとらえるかは自分次第。

最後の最後の最後にそこにいるのは自分自身だ。

安心してほしい、やさしさはどれだけあっても中毒にはならないから。


ある人に触発されて書いた今回の記事ですが、
どうしても僕の言葉でも表したくなり書きました。

めっっっっっちゃ読みづらくて申し訳ない!!!!!

やさしさについて書いているのにやさしさがどこにも見られない(笑)

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