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夏の備前を行く!岡山兵庫の重文巡り!!【吉備津神社編】

初日に旅の一番のメインだった錦鯉の独演会は観終わったので、二日目は適当に岡山周辺を観光することにしていた。
以前に倉敷や高梁、蒜山などには足を運んだことがあるが、岡山市周辺を観光したことは無かった。
そのため、これを機にあれこれ見て回ることにしたのだ。


二日目(7月2日)

岡山シティホテル桑田町

今回宿泊したホテルはイオンモール岡山からほど近いビジネスホテルで、岡山駅からもほど近い。
このような駅前付近のビジネスホテルは駐車場が有料の事も多いが、ここについては駐車料金は無料だった。
こういうところは地方の良いところだ。

おはよう岡山

先の記事で記述したとおり錦鯉の岡山公演はイオンモール岡山内のおかやま未来ホールだったことから、イオンモールに最も近い場所という事でこのホテルに白羽の矢が立ったというわけだ。
ここならばチェックインしてから徒歩でイオンモールへ向かうことが出来る距離であり、まさにこの上ない立地条件だったと言えよう。

正面
偶然にもホテルの向かいの建物が取り壊し中だった。大変開放的だ。

吉備津神社

備中国一宮であり、その独特な造りが特徴の国宝として指定された本殿及び拝殿を有する神社が吉備津きびつ神社だ。
巨大な入母屋破風が2つ並ぶ姿は比翼入母屋造ひよくいりもやづくり(又は吉備津造)と言われ、その建築様式は全国唯一のものであるという。
そのような貴重な建築物であることから、かねてより一度この目で見たいと思っていたのだ。

本殿
最近の神社はハイテクだ

回廊

吉備津神社は国宝指定を受けている本殿及び拝殿が目立つが、この回廊部分も美しい。
内部も然ることながら、山に沿ってなだらかにアップダウンを繰り返す造形は外から見たほうが美しさを堪能できるだろう。

本殿が見える

地元の人から聞いた話

回廊の端まで行ったところで現地のおじいさんに声をかけられたのだが、その人から聞いた話がまた興味深いものだった。

まず、この長い回廊についてだが、かつてはこの吉備の中山の周りを一周する程あったのだという。

次に、桃太郎伝説は史実が元になっていたらしいのだ。
おじいさんによると、鬼(温羅)のモデルとなったのは大陸から渡ってきた朝鮮人の集団であり、元々は山陰地方に居住して製鉄等の技術を我が国へ伝えたのだという。
その後、寒冷で過酷な山陰を嫌い、温暖で快適な吉備国へ移り住んで支配していたが、後に朝廷と争いになって滅ぼされたのだそうだ。

そして、その朝廷から派遣された軍隊の司令官こそが天皇の息子であり、そして桃太郎のモデルだという。
実際に吉備の中山には中山茶臼山古墳という古墳があり、皇族の墳墓という事で宮内庁により管理されている。

この他、各地に残る地名は朝鮮人の掃討をしたことに由来するものであるという話もしていた。
こうした話を聞き、桃太郎伝説の由来をしっかりと調べたことがない私たちはなるほどなあと思っていた。

しかし、後日ネットで調べてみると、どうもこれらの話は地元の観光用に創作されたらしいという話を見つけたのだ。
そもそも鬼=温羅=朝鮮人説は諸説あるうちの一つに過ぎないが、それも信憑性が低いような事が記載されていた。
この話の真偽もまた分からないが、いずれにせよ諸説あるうちの一つだという程度に留めておき、これが史実であると思い込まないほうが良いようだ。

私は歴史上の出来事を調べる際は、その出来事などについて道徳的な善悪による判断をしないように努めている。
そのため、朝廷と朝鮮人(温羅・鬼)との対立や争いについても何とも思わなかった。
おそらく究極的には利害の不一致で起きた数多の争いと大差なく、そこに現代の道徳的価値観により善悪を決することに何ら意義がないと思っているからだ。

その点から言うと、地元のおじいさんの話は妙に朝鮮人(温羅・鬼)寄りの話をしていて、あたかも鬼側は被害者であるかのような口ぶりが所々にみられたような覚えがある。
先述のとおり原則として史実に対して現代の価値基準で善悪を判断しない考え方で生きているので、そうした点については軽く聞き流して話を聞いていたが、今思えばという話だ。

最も、おじいさんの行為は格別政治的信条からきたものではなく、単純に観光客を楽しませるため、もしくは観光客と話したいがための行為だろう。
不快な印象はないし、むしろ無料の観光ガイドのような事をしてくれて楽しかったとすら思っている。


犬養毅銅像

話せば分かる」「問答無用
最期のやり取りがあまりにも有名な五・一五事件で殺害された時の内閣総理大臣である犬養毅の銅像で、どうやら彼は岡山出身の地元の名士だったようだ。
時間の都合上記念館には行っていないが、まさか国指定重要文化財だったとは思いもしなかった。

法務死というのは、終戦後に連合国により戦犯の汚名を着せられて処刑された軍人などに対して用いられる表現だ。
勝てば官軍負ければ賊軍というように、戦後の連合国による軍事裁判が勝者による一方的な報復に過ぎなかったことは周知の事実である。
言わば敵軍の手にかかったも同然の軍人等を戦争犯罪人などという汚名で呼ぶことは不適切というより他なく、故に殉国烈士という言葉を用いているのだろう。 


宇賀神社と普賢院(吉備津聖天)

吉備津神社と道路を挟んで向側にある寺院と神社だ。
池の中に浮かぶ小島に赤い社が見える様が非常に絵になる。

吉備津神社回廊から撮影
ガラス窓などが使用されており、凝った意匠の割に古い建物ではないようだ。

次の記事では、2件目の国宝である閑谷学校と、3件目の国宝である姫路城について書くとしよう。

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