見出し画像

お花見行ってきました【氣比神宮及び奥琵琶湖パークウェイ編】

前回は敦賀ヨーロッパ軒で昼食を済ませたところまで書いたが、この記事はその続きになる。

この後の目的地は琵琶湖の湖北部にある奥琵琶湖パークウェイなのだが、せっかく敦賀市内まで足を伸ばしたということもあり、同市内にある氣比神宮へ参拝してから向かうことにした。

国道8号氣比神宮交差点

氣比神宮

北陸道総鎮守越前国一宮として敦賀市内に鎮座する神社が、この氣比神宮けひじんぐうだ。
「気比(氣比)」と書いて「けひ」と読むのだが、知っていなければ読む事が困難な難読地名の一つだろう。

氣比神宮の他に気比の名を冠する有名なものと言えば、気比の松原があげられる。
気比の松原は日本三大松原の一つであり、清水の三保の松原、唐津の虹の松原に並ぶ松原だ。
もしかすると、松原の方が有名かもしれない。

話が逸れてしまったので、神社の話に戻そう。
ともあれ私は敦賀にはこれまで幾度となく足を運んできたにもかかわらず、氣比神宮には一度も参拝したことが無かったのだ。
そのため、御朱印巡りを機に参拝していくことにしたわけである。

ちなみにこの氣比神宮は国道8号に面しており、その上敦賀ヨーロッパ軒本店からも近いので、敦賀観光で訪れるにはピッタリの場所だと言えよう。


気比の大鳥居

この真っ赤な大鳥居は、かつては旧国宝として、現在は国指定重要文化財として指定されているものだ。
江戸時代初期に建設されたものだが、適切に管理され補修が施されているため、古びた感じもせず現在もその威容を誇っている。


常夜灯

「献灯」の二文字が刻まれた石灯は、形状からして左のものと同様の常夜灯だろう。

この常夜灯の後ろには年号が刻まれているのだが、撮影した時点では「明和二龍集(判読不能)八月吉祥日」までしか読み取ることが出来ず、「龍集」の意味も分からなかった。
恐らくこれは当時の年月日の表記方法であり、干支等が含まれているのではないかと推測していたのだが、後述するとおり私の推測は当たっていたようだ。

帰宅してから調べた結果、常夜燈後部に刻まれた文字列の全文は次の通りであると思われる。
明和二龍集乙酉八月吉祥日

まず、文中にある龍集という単語は一年の事を表す言葉であり、東洋において年号の末尾に記載されるものだという。
つまり、これは明和二年(1765年)という事を表現している。

次に、判読できなかった箇所についてだが、これはどうやら「乙酉」(きのととり)だと思われる。
先に推測したとおり、昔は年号の後に続く形で干支を記載する習慣があったようであり、明和二年の干支を調べたところ「乙酉」であったことから、間違いないだろう。

末尾の吉祥日というのは縁起の良い日という意味で、特定の日付を指しているものではない。
これについては現代でも手紙の末尾に「吉日」と記載して縁起の良い日に作成した事を示す習慣があることから、同様の事情で刻まれたものだろう。

永代常夜燈

これは先の常夜燈よりも新しいもので、天保15年(1844年)に設置されたようだ。

刻まれた文字列は「天保十五歳辰正月吉日」であり、判読も容易だった。
「年」の代わりに「」を用いたり、干支は「甲辰」だが十干を略して十二支の「」だけを用いている等、表記方法には統一性がみられない。

奉献とある

本殿

かつては国宝として指定されていたが、昭和20年の敦賀空襲により焼失したため、現在の本殿は昭和25年に再建されたものだという。

御朱印

奥琵琶湖パークウェイ

氣比神宮を出て向かったのは、再び滋賀の桜の名所たる奥琵琶湖パークウェイだ。
沿道に約三千本もの桜並木があるドライブコースで、頂上にあるつづら尾崎展望台からの眺望は絶景というより他ない。
展望台には売店等も多数あり、例年花見客で賑わっている。

売店
琵琶湖を望む
西野水道があるのは、ちょうどこのあたりだろう

つづら尾崎展望台を出て長浜方面へ向かうと、二箇所ほど駐車スペースがある。
一つは月出峠展望台で、もう一つは月出峠より手前にある名称不明の展望台だ。
私が停まって愛車を撮影したのは、後者だった。


これにて滋賀県でのお花見ドライブは終了し、帰路についた。

琵琶湖を背にして咲く桜を観られるというのは格別であり、各地の公園や河川などの堤防等で観られる桜とはまた違う魅力がある。
少し足を伸ばしてでも観に行くだけの価値は十分すぎるほどあると断言してもいい。

とりあえず、私は来年こそ海津大崎の桜を遊覧船から観たいと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?