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仕事を辞めた時の話をしようか

ちょうど3年前。
私は大手企業で20年ほど働いていたが、
とある理由で、早期退職を決断することとなった。

別に会社の人間関係の悩みとか、出世のこととか、
病気になったとか、そんな大義名分はなかった。
ただ、ふと何のために働いているのかが分からなくなってしまったのだ。
いや、正確に言うと、
働くことへの意味付けが、突然うまくできなくなってしまった。
また当時、私の中の断捨離ブームで
自分の人生に必要ないと思ったものは
手放さずにはいられなくなっていたことも相まって、
そんな気持ちで働き続けることが
気持ち悪くて仕方がなくなってしまった。

50歳を目前に控えた独り身の私。
買ったばかりのマンションのローンもまだまだ残っていた。
今後の生活に対する不安はなかったといえば嘘になるが、
気づいてしまった本音を隠して会社に居続けることは
もうできなくなってしまっていた。

実力にそぐわない、立派な企業に思いがけず転職できたのが
29歳の時。
けれども、自分の無能さがいつか露呈してしまうのではないかと、
いつもヒヤヒヤしていた。
家族や友人の目にはとても充実しているように見えていたようだが、
内実、薄氷を履むような毎日だった。
そんな自分をなだめ、鼓舞しながら、結局20年が経ってしまった。

毎日がとてつもなく重く苦しく、限界を感じるようになったある時、
ふと「早期退職制度」の案内を発見した。
それは、当時新しく取り入れられたばかりの制度で、
とても小さな字で、あまり人目につかないように
ひっそりと掲示されていた。
仕事に楽しさを見出して健全な心で働いていたら、
決して目に止まることはなかったであろう、控えめな案内文書。
しかしそれは、私の目にバァーン!と光を放ちながら飛び込んできた。
大袈裟ではなく。
宝の山を発見したような気持ちだった。
その制度は、5歳刻みで年齢が上がるほど退職金が減っていくというものだった。
当時、私はちょうど境目の年齢で、誕生日をすぐそこに控えていた。
ゆっくり考えている時間はなかった。

大きな転機が訪れるきっかけは、人それぞれだ。
それまで私は、そういう時というのは
大病を患った時とか、大事な人をなくした時とか、
天変地異が起こった時とか、
そんな明らかな大事件が身に降りかかった時だけだと思っていた。
けれども違った。
外的に何かが大きくバランスを欠く時というのは言うまでもないが、
自分の内側で何かが弾けたり崩れ去ったりした時にも、転機は訪れる。
それは時に、到底他人からの理解は得難いような、
まるで些細で取るに足らないようなことの場合もある。
自分のしていることに価値が見出せないというのは、
天変地異が起きるのと同じくらい、大きく苦しいことなのだ。

つくづく、本当にいい会社だったと思う。
上司も同僚も、目に涙を浮かべながら引き留めてくれた。
価値を見出せなかった私が未熟だったのだろう。

会社を去る日、一片の後悔もなく、とても清々しい気持ちだった。

次回は、会社を辞めた直後の日々について、綴っていこうと思う。


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