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友と呼ばれた冬~第8話

 阿佐ヶ谷辺りで千尋が後ろで動く気配があった。

「起きたか?」
「すいません、わたし、いつの間に」
「疲れたんだろう。無理もない」

 千尋から詳しい場所を聞き、他の車の流れに乗って目立たないように走り続けた。

 千尋と祖母が住む家は天沼陸橋の手前を東に入って行った邸宅街の一画にあった。「肥後」と表札の出ている立派な門構えの家の前で

「ここです」

 と千尋の声が車を止めた。大野のアパートとは何一つ共通点がない格式高い建物が雪の中で静かに存在感を主張していた。

「ここはお母さんの実家なのか?」
「はい。今は私と祖母の二人だけですけど」

 千尋がリュックから財布を出そうとした。

「そうか、君が寝ている時に言ったんだが」

 自分の言っていることがおかしくなり苦笑いした。そんな俺を千尋は不思議そうな顔をして見ている。

「実費経費でつけておく。この家を見て取りっぱぐれの心配は無くなったからな」

 俺の嫌味は千尋の屈託の無い笑顔にかき消された。

「ありがとうございます、真山さん」
「なにかわかったら連絡する」
「はい、よろしくお願いします。おやすみなさい」

 気をつけて、と言う言葉を飲み込んでドアを開けた。

 自分の背丈より高い頑丈な門を開けて千尋は屋敷の中に入って行った。門の向こうに見えた玄関の格子戸の中には灯りがついていた。千尋を見届け、冷めかけた珈琲を飲みながら新宿へ向けて車を出した。俺の勤務時間はまだ9時間以上残っている。雪が止む様子はなく灰色の景色が心の中にまで浸食してきたような気分だった。


 翌朝は予想以上に積もった雪が都内の交通網を混乱させた。他県から乗り入れする路線電車は動いていたが軒並み大幅に遅延していた。高速道路は出入り口が封鎖され一般道路は未明から混み始めた。夜中に移動を諦めたノーマルタイヤの車がそこら中に放置されている。

 チェーンをつけたタクシーだけが元気よく走り回っていたが、空車を探す客とタクシーを呼ぶ無線があとを立たない。こんな日にもヒールや革靴を履いて出勤してきた会社員たちがあちこちで転んでいる。雪国育ちの俺は東京の脆さもろさに失笑しながらノーマルタイヤで営業を続け何とか形になる売上を確保して切り上げた。

 営業所に戻ると、この雪で早々に帰ってきた車と、自損事故や貰い事故で壊れた車で溢れていた。今日は仕事に来ない乗務員が何人も出てくるだろう。こんな路面状態で無理に仕事をして事故でも起こしたら目も当てられない。
 会社は天候など関係なく当然稼いでこいと言うスタンスで当日欠勤を嫌がるが、事故で馬鹿を見るのは乗務員当人だ。一日の稼ぎを棒に振るのと、事故で怪我をしたり商売道具の免許証に傷がつくことを天秤にかけたら、嫌みを言われようが休んだ方が賢いやり方だ。

 雪のインパクトが勝ったのか、聞き耳を立てていたが大野の失踪の話は聞こえてこなかった。早々に納金を終えて車を洗いに外に出たが、雪道を走ってひどく汚れた車を見てすぐに取り掛かる気になれず、喫煙所に入って行った。

 同期の坂本が自販機で買ったカップ入りの珈琲を飲みながらタバコをふかしていた。

「できたか?」
「いつも通り、最低ラインはな」
「相変わらずやる気ねぇなぁ」

 坂本は笑いながら灰皿にタバコを捨て、すぐに新しいタバコに火をつけた。

「乗務中に行方不明になった奴の話、聞いたか?」
「噂だけな」

 坂本は疑うような目を向けてきた。

「昨日、梅島さんから電話があったんだよ」
「俺らの教習をしてくれた梅島さんか?」
「あぁ、あの人今、新宿営業所の課長をやっているみたいだ」

 梅島は俺達が受けた新人研修の担当だった。口は悪いが男気のある男だったが、出世欲があるようには見えなかった。課長になった梅島は想像できなかった。

 黙っていると坂本は続けた。

「行方不明になったのは大野だって話だ。なにか心当たりはないか聞いてきた。他の同期にも何人か連絡があったようだが、お前にはなかったみたいだな」
梅島さんからは●●●●●●●連絡はなかったよ」

 坂本の口許が緩んだ。頭の切れるこの男は信頼できる数少ない同期だ。昨日の夜のことを話したい衝動に駆られたが、なにもまだ明らかになっていない今、話を広げるのは避けた方がよかった。

「おまえ、大野と連絡を取っていたか?」
「俺はお前らと違って歌舞伎町には近寄らないからな」
「そうだったな」

 坂本はそれ以上詮索はしてこなかった。

「じゃあな。真面目に仕事しろよ」
「お前もな」

 これから向かおうとしている新宿営業所に梅島が居ると分かったのは朗報だった。そこまで読んで俺に話しかけてきたとは思えないが、坂本の背中に礼を言って洗車を始めた。


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