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とある緻密なオババのこと


師走も師走に強烈な記事を読んでしまった。kozuさんのこちらの記事。


すれ違ったオバハン三人組から聞こえてきた

私たちってどうでもいいを通り越したババアなんだから

このパワーワード。

あまりにも強烈でもう3日くらい頭から離れないので私も考察してみたくなってしまった。


オババ3人組のどんな会話の中からこの言葉が産み出されたのだろう。

kozuさんも道でたまたますれ違った時に、聞き逃さなかった(笑)ワードなので、前後の会話はわからないのである。

自らを「ババアなんだから」という心理

自虐?

仮に見ず知らずの私が、

あんたたちはどうでもいいを通り越したババアなんだから

なんて言おうものなら、オババ三人から総攻撃を喰らうのは間違いない。

でも自分で自分のことをババアなんだからと言うのは構わないのだ。おかしな話だが、ひとまずこれは「自虐」としよう。

「私たち」に注目

「私って」とか「あんたって」じゃないところが興味深い。

「私って」からも「自虐」なニュアンスを感じる。

私ってどうでもいいを通り越したババアなんだから

おや?こうして繋げてみると単純に「自虐」の二乗にはならないのが面白い。

これが独り言ならどんよりしてくるが、仲良しオババ三人組の会話なら何故かあっけらかんとした雰囲気も見えてくる。

二人称はどうだろう?

あんたってどうでもいいを通り越したババアなんだから

これは決して相手を貶めているのではなく、慰め、いや、むしろ褒めているような感じもするが、言われた本人がどうとらえるか危うい一面もある。

「私たちって」と一人称複数形になると全く違う意味合いを帯びてくる。

同意を求める、もしくは、強引に仲間に引きずり込む、そんな感じがある。

オババBとオババCが自分達のことを決して「どうでもいいを通り越したババア」だと思っていなくても、

オババAが「私たち」と言った時点で同類と化してしまう恐ろしい力を秘めている。


「どうでもいい」はどうだろう?

自分がどうでもいい、という言葉を使うシーンは…。

ハニュウユズルが速攻離婚しようがどうでもいい。

知らんがな、親戚でもないし(笑)
この場合は、心の本音。
まったく関心がない「どうでもいい」

どう見ても見た目同じの大根をじっくり吟味してなかなか買わない人。

どうでもいいけど時間かけすぎ、その右端のでいいじゃん、とか思ったりする。

この場合、私の時間を浪費させらているので、無関心とは違う。
どうでもいいと言いながら実は「どうでもよくない」。

さて、ここでオババたちの言う「どうでもいい」を推察するのは非常に難しい。

ただ、ある特定の、ハニュウユズルや大根など限定された事象に対する「どうでもいい」ではなく、総括的、普遍的な事柄に対して「どうでもいい」と言っているのではないだろうか?

オババAが犬の💩を踏んでしまった

だぁいじょうぶ、だいじょうぶ
私たちってどうでもいいを通り越したババアなんだから

いや、これはなんかおかしい(笑)

オババBの誕生日を家族全員忘れてる

しょうがない、しょうがない
私たちってどうでもいいを通り越したババアなんだから

こっちのほうがしっくりくる。

オババB「今日、私の誕生日なんだけど、こうして祝ってくれるのはあんたたちだけよ。旦那も子どもたちも絶対忘れてるわよ」

二人称単数形で答えると、

オババA「あんたってどうでもいいババアだから」

即座にオババ連合に亀裂が入りそうな、辛辣な言い方になってしまう。

一人称複数形に変えるだけで、

オババC「私たちってどうでもいいババアだから」

共感。仲間意識。一気に優しい世界が花開く。
ただこれでは悲壮感がただよい、オババたちの明日への希望が見えてこない。


ここで「を通り越した」の登場

記事を書かれたkozuさんは、「悟り」だと即座に看破されている。さすがライターさんだ。

「を通り越した」が追加されることで、慰めと自虐のさらに先、共感と連帯意識、同志へのエールと言った領域に到達する。

「私たちってどうでもいいを通り越したババアなんだから」

共感は「私たちって」、と複数人称であることからも明白だ。

「私って」でもなく、「あんたって」でもない。

オババたちの揺るぎない友情。
自虐を超越した誇りのようなもの。

ざわざわざわざわ

カイジのナレーションに出てきそうだ。


どうでもいいを通り越して一周回った悟りの境地。
例え一周回ってこれなかったとしても、どこまでも突っ走っていく潔さ。

この言葉を発したオババは相当な切れ者だろう。

「どうせ」なんていうネガティブワードを頭に入れないクレバーなところも、

一人称単数でも二人称単数でもなく、一人称複数形の「私たち」を使うことで三人組の連帯感を損なわないリーダーシップも、

「どうでもいい」に、「を通り越した」と紡ぐ、凡人には考えつかない言い回しも、

これらすべてが緻密で繊細な計算のもと完璧なバランスで創造されたに違いない。

こらこら、

なにをこんな長文でどうでもいいことをつらつらと…。

なんて思ってるあなた!!

「どうでもいいを通り越した」考察なので、そこは区別しないといかんのです!(笑)


来年の抱負。

なにかひとつ、どうでもいいを通り越した高みに到達する。

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