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友と呼ばれた冬~第11話

「西口まで」

 俺と同じ年くらいの運転手は返事もしなかったが、文句を言う気力もなかった。新宿駅西口の家電量販店に行き、大野のノートパソコンに合う電源コードを買った俺は朝から何も食べていないことに気づいた。普段持ち歩くことの無いノートパソコンの重さがきつくなってきた。

 甲州街道沿いのハンバーガーショップに入ると、店内では新宿らしい雑多な言語が飛び交っていた。カウンターに座り薄い珈琲で味気ないハンバーガーを流し込む。

 都心に向かう車の流れは新南口に新しく出来たバスターミナルへと入っていく長距離バスの列で渋滞している。昨日の雪で運行ダイヤが乱れているに違いない。

 赤信号に変わっても携帯電話を見ながら横断歩道をゆっくり歩く歩行者が渋滞に拍車をかけていた。空腹が満たされると急激にタバコを吸いたくなったが店内は全面禁煙だった。喫煙者はいつだって迫害される。

 西口に戻り路線バス乗り場の脇にある喫煙所でタバコを吸った。タクシー乗り場には付け待ちのタクシーの列がおおガードの近くまで延びている。雪の影響もあって普段より街に人が出ていないようだったが、それでも1日平均乗降者数347万人と言われる新宿駅から吐き出され、吸い込まれていく人の波は蟻の行進のように絶え間ない。

 疲れた身体を引き摺るひきずるように歩き出した。駅の構内は人で溢れあふれかえり、人混みに入るといつもそうなるように目の焦点がぼやけて目眩めまいを覚えた。頭も身体も限界が近づいていた。一刻も早く独りになりたかった。電車に乗り座席に座ると少しだけ自分の空間が出来た気がして、すぐに睡魔が襲ってきた。

 西日暮里駅で目を覚ますとドアが閉まる寸前だった。半ばドアをこじ開けながらホームに出るとベンチに座っていた女性が眉間みけんに皺を寄せて睨みつけてきた。俺が自分の眉間に指をあてて皺を伸ばす動作を二回繰り返すと驚いた顔をして不機嫌に立ち上がりホームの端へと歩いていった。

 電車を乗り継いで北千住駅に着いたのはもう夕方近くだった。駅前の飲み屋街はすでに会社帰りの男達と呼び込みの男達でごった返している。アーケード街を抜けて国道4号線を越え、繁華街の喧騒けんそうから離れた一画に俺の住むマンションがある。

 マンションの入口の横に「Live house サテンドール」と書かれた看板がかかり、そこから地下のライブハウスへと続く階段がある。

 俺の好きなバンドの曲と同じ名前のこのライブハウスに惹かれてこのマンションに移り住んだ。初めてこの店に行った時、オーナーに店の名前の由来を尋ねると思った通り「The Street Sliders」が好きでこの名前を付けたと知り、俺は店に出入りするようになった。
 地下から微かにライブの音が漏れ聞こえてきていたが、疲れ切っていた俺はマンションの入り口の方へ入って行った。

 ポストには不動産屋のチラシ以外何も入っていなかった。集合ポストの下にある共有のごみ箱にチラシを投げ入れエレベーターで5階に上がる。廊下の突き当たり、非常階段に通じるドアの手前、505号室が俺の部屋だ。自分の部屋に入るとようやく一人になることが出来た安堵あんどで肩の力が抜け、鎧と仮面が剥がれ落ちた。

 リビングの水槽に近づき、水槽の外に貼り付けてある水温計のデジタル表示を見ると13.5℃を表示していた。安物のヒーターは替え時かもしれない。餌を入れると金魚は水面に浮き上がり、あっと言う間に食べ尽くして無秩序に自由に泳ぎ回っていた。


 ゆっくりとシャワーを浴びながら大野に最後に会ったのはいつだったろう、と考えたが思い出したところで今回の失踪のヒントにはならないのは分かっていた。

 シャワーから出て冷蔵庫から缶ビールを取り出したが、考え直してウォーターサーバーから冷えた水をコップに注ぎ一息に飲み干した。大野のノートパソコンを調べるには、頭を冴えたままにしておきたかった。

 買ってきた電源コードをノートパソコンに繋ぎ電源ボタンを押してみたが通電していないのか電源が入らない。
 形状からも相当古いパソコンであることはわかるが、壊れて不動のものを大野がわざわざテーブルの上に置いていたとは考えにくかった。

 電源が入らなくては調べようがない。このまま電源を繋いでおけば充電池が生き返り明日の朝には起動するかもしれない。
 出鼻を挫かれたにしても、そんな根拠のない細い線に期待を持つのは頭が働いてない証拠だった。

 大野のプライベートは今日明らかになったこと以外、ほとんど知らなかった。
 あの殺風景なアパートの一室で大野は何を思い生きていたのだろうか。あんなに可愛がっていた千尋と別居をしなければならない理由はなんだったのだろうか。

 水槽のライトが壁にかけたフォトフレームを浮かび上がらせていた。大野と何一つ変わらない生き方をしていることに気がついた。

 俺は一旦パソコンを開くのを諦めた。ビールを飲んでいい理由が欲しかっただけかもしれない。缶ビールをあけようと立ち上がった時、携帯電話が鳴った。


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