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手作り料理とキスから見る対人距離感の考察:解なし

ある方の投稿がきっかけで、他人が作った料理を食べられない、食べたくない方が意外とたくさんいらっしゃることを知った。

ちなみに私は「他人の手作り料理は食べられる」のだが、
「食物・飲食」に関して苦手とすることはあるだろうかと考えてみた。

そもそも私はこれまで誰かから「手作りの食べ物」をいただいたという記憶がほとんどない。

もちろん母の料理は別だし、姉妹・当時の妻・当時の彼女にも作ってもらったことはある。

「誰かから」と言うのは、隣のおばはんだったり、むかいのじいさんだったり、
会社の同僚だったり、駐車場で待っているネコだったりと、まぁそういった関係の人達のことだ。

友人はその折半的な位置であり、その親密度や共通の趣味で変わってくる。

何人かでキャンプに行ったときに家で作ってきてくれた料理をお裾分けしてもらったり、お互いその場で料理したモノを交換したり、そういうことはある。


そばアレルギーなので、食べ物絡みの仲(どんな仲?)になった方には
まずそのことを伝える。

生魚も全般ダメなのでそれも伝える。

そばアレルギーを伝えておけば、わたしに殺意を抱かない限り、
そば粉入りの茶菓子や手料理を渡されることはないだろう。

という性善説に基づく希望的観測による。

今のところ彼女に恨まれてこっそりそば粉をカレーに入れられたことは一度もない。はず。

ちなみに元カノに青魚を無理やり食べさせられて、腕が蕁麻疹で染まったことがある。
あの時すでに私と別れることを考えていて、あわよくば死因アレルギーの線を狙っていたのかもしれない(笑)

ちょいちょい登場する私の父は、そばアレルギーの息子が居るにも関わらず、なぜか急に自分で蕎麦を打つことを趣味とし始めて、

台所をそば粉まみれにして下手なそば打ちに没頭するという、
なかなかアナーキーな息子攻めをしてきた(笑)


じっくり考えてみたが、わたしが唯一気になるのは「唾液系」だ。

鍋を直箸でつつく状況は、ちょっと腰が引ける。
そういう人と鍋を囲む時は、最初に思いっきり取り分けてチビチビ食べる。

後半はすっかり冷えているシラタキやらネギやらを食べることにる。
一番風呂ならオッケーみたいな感覚だ。


直箸はどうしたってその人の口の中にある程度は箸が入る。
入らないにしても唇には当たる。

その唾液のついた箸を何度も何度も、共同食の鍋に突っ込むのは、
鍋に唾液がどんどん染み込んでいくように思えてしまう。


缶ビールの飲み回しもしんどい。
グラスもしんどい。
口をつける場所を変えたところでさほど意味はない。

「あっ💛これ案外美味しい♪ ねーねー飲んでみる?」

と、黒ぶちメガネにぱっっんぱっつんの白シャツを着たお姉さんに
厚ぼったい卑猥な口元で微笑まれても決して飲まない。

「と、とりあえず今は大丈夫っす。どもども」

とうまいことかわす。


私の目は、怪しく光るグロスではなく、彼女の口もとから少しだけリバースしてグラスに戻っていく液体を見ているからだ。

どうしたって、バキューム的な吸い込み飲みをしない限り、ほんの微量だが、口元からグラス、ないしは缶・瓶・湯飲み茶わん等々に液体は戻る。

ここでもやはり「唾液」が気になるのだ。


そこで、キス問題だ。

キ・・キッスと言うものは、いきなり初対面でするもんじゃないですよね?

それはいろいろと手順的なことや、僥倖や気の迷いやその日の湿度や、
そういった諸事情にもよりますが、

数回のデートを重ねて、なんとなーくお互いの好意を確かめ合えて、
ちょっとほろ酔い気分になった帰り道なんかに、

「あっ・・・・」と彼女が小石につまずいて、
「おっ!大丈夫!?」と大げさ気味にか細い腕を支えて、

「うん、ありがとう」と見上げた、はにかみ顔に欲情メーターが急激に上がり、

どちらからともなく顔を近づけ、だいたい7秒くらいお互い躊躇して、
鼻息と心拍数がマックスになったところで・・・・。

みたいな感じだと思うんだけど、


そんな場面で、

「先にこれでうがいしてくださいね~」

と彼女が事務的にイソジンを渡してくることはないですよね。


お互いにイソジンしたらキスできる、ってのは、

こっちは性欲、あっちは仕事

と、恋愛感情抜きでのキスをなんとなくオッケーにするための、一つの儀式であって、

こと素人さん同士の恋愛においては不要な儀式。

しかし、そこに唾液が絡み合うことにはなんら変わりはなく、

直箸が鍋にぃとか、グラスに微量にリバースした唾液がぁとかのレベルを
遥かに凌駕した唾液の応酬。

なぜ、あっちの唾液はNGで、こちらの唾液はオッケーなんだろう?
キスをした相手となら鍋もつつけるし、缶ビールを回し飲みできるのか?

やはり躊躇してしまう。

お腹も満たされほどよく酔っぱらい、そのあと始まるかもしれない唾液の応酬に比べたら、

その前段階で、箸やグラスにちょっとだけついた唾液なんて微々たるもののはずだ。

冷静に考えればわかるのだが、こと「飲食」が絡むと途端にピリピリする。

もしかしたらこれは人間の持つ生存本能による警戒心なのかもしれない。

食べる、飲む、という生きるための無垢なる行為。
その崇高な供物を「唾液」という「菌」を想定させるようなもので
穢れさせてはならないという本能。

一方のキスは、外国人はあいさつ代わりに、チュッチュッと
気軽にキスをするわけだが、我々日本人にはそういう文化はなく、

キスをするという行為は、仲良し夫婦のお出かけ挨拶以外は、
頭の中に渦巻くエロスが具現化した一つの「性行為」と考えるのは、
時代錯誤だろうか。

まぁ私はもういい歳のオヤジなのでそんな風にキスをとらえ、
そうしてキスをする時は唾液が云々などと余計な雑念は消え去って、

もう好きにして~ぐらいの勢いのまま突き進むからして、
イソジンがなくてもキスはできるのである。

かと言って、母親の手料理なら食べられるからと言って母親とキスができるわけではないし、
誰の手料理も大丈夫!だからと言って、だれかれ構わずキスをするわけでもない。

いったいこの違いはなんなんだろう。


「気になる」という意味では唾液の他に「食材」が気になる。

その理由はこのたった一回の経験が原因だ。

某エリア。

車でそこを通る時は最徐行で行け、と先輩からうるさく言われていた場所。当たり屋が隙あらば車にぶつかってくるから無法地帯。

今はどうだかわからないが、当時は昼間からドラム缶で焚き火をしていた。そんな、映画に出てくるハーレム街のような場所。

そんな場所にある業者が居て、仕事絡みでたびたび訪れるエリアだった。

そこに、一軒の小さな食堂があった。

食堂といっても、屋台に毛が生えたようなもので、テーブル席は路上だ。
かっこよくいえばオープンテラスだか、ただの路上。ほぼ無法地帯だ。

その食堂は一食200円くらいの日替わり定食みたいなのを出していた。

興味本位で一度だけ食べたことがある。
その日のメニューはビーフカレーだった。

カレーと言うのは滅多にハズレがないものだと思っている。
そのビーフカレーも当然カレーの味がちゃんとして、

「なんだ?意外に普通じゃん」

と思ったのだが、「ビーフ」をかじった瞬間、むむっ?と唸ってしまった。

その食感は決して「ビーフ」ではない。

ニャーと野良猫がすり寄って来た。
ワォーンと野犬の遠吠えも聞こえてくる。

・・・・・。

滅多に食事を残さない私だが、パタリと手が止まってしまい、
再びスプーンを口に運ぶことはなかった。

あまりにも値段にそぐわないメニューは、それ以降「食材」が気になり、
一切口にしなくなった。


人それぞれ、感じるところは違うんだな。
と記事を書いていて改めて思った。


潔癖症とか、神経質とか、それを非難するようなことを言う人も居ますが、
その人にもその人のこだわりが少なからずあると思う。

食べられないものは食べられない。それでいいじゃないか。
幸いなことに、私たちの周りには食べられるものが溢れているのだから。


最後に私の潔癖症のような性癖を記した名作を紹介して終わりとする。


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