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年金保険とシニアの生きる意味

 シニアになると頑張って下さいと、優しい言葉はいただけますが、仕事は一般的な才能だけでは回ってきません。

命を守り、幸せであるための大切な手段は、集団生活のメリットとして、年金保険と生きる意味の2つを獲得することです。

2つは、異なった性格に見えつつも実は集団のもたらす果実として、一帯の繋がりがあります。

どちらも智惠のある人間が創りだす約束でできたフィクション(虚構)です。手に取って見ようとすると、お金は紙切れで、生きる意味は行動ですから空気のように通過して行き、触れることができません。

2つのフィクションが集団の中に揃うことによってリアルの生活を幸せに生活できるのです。

年金保険は、長生きリスクのために国がオーナとなった相互扶助の保険であり、早死にした人には残念ですが、積み立て損になる仕組みです。生きる意味は、生き甲斐であるとともに集団である国を支える個人としての前向きな活動です。

年金保険は、定年を意識する前までは、積み立てるだけの厄介なものとして感じています。また、生きる意味については、若いうちは、目の前の生活に夢中で、他人や社会の重要性について考える余裕がないものです。両方とも、集団を支えることが翻って自分のためになるとする思いがなければ成り立ちません。

国が亡くなることは、幻想ではありません。例えば、我々の祖先であるホモサピエンスの歴史は大きな集団を造って、効率的な生活をしていました。ネアンデルタール人が滅んだ理由は、生活集団のサイズが小さかったことにあったとされています。我々は集団社会でなければ弱いのです。集団を支えるのは生きる意味としての仕事をすることです。

軍事技術が様変わりに発展して、政治的、歴史的、集団的、リーダー的な間違いで起きることもあります。日本の終戦は1945年8月15日、天皇の玉音放送を聞いて国民は敗戦を受け入れました。平和がいつまで続くのか、江戸時代のように続くことを期待します。

シニアの生きる意味は、地域やコミュニティ集団の存続に係わる活動で、いわゆる仲間や人助けをして感謝し合える関係です。その積み重ねが国の維持です。

例えば、地域の清掃作業などに参加して貢献することです。室町時代には惣村という自治体制度があって厳しい掟を作って、個人個人が村社会の存続と発展に共同して義務を負っていました。鳥取県三朝町では現在でも「惣事」といわれる共同作業が山林の管理などに残っています。

生きる意味は、集団に加わり、或いは消費者として係わり、何かの役に立つことです。

集団生活に馴染めず、引っ籠もる人もいますが、少数派です。多くの人は、仲間に対して責任をもって貢献することで存在を認められ、楽しく生きる意味を体験しています。

ホモサピエンスが動物としてこれほどまでの発展につながった理由である集団生活のメリットを理解すると、年金保険のシステムと生きる意味を果たすことが、自分のことと共に国を支えるための国民の義務と思えます。


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