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定年世代の「若気の至り」

 定年世代は、処遇が下がるなどに、1人感情的になって、悩みを抱えてしまうことがあります。

例えば、感情的になって、培ってきた自信やプライドを傷つけられたと思うことがあります。
 
潜在意識の中に会社の利益を稼いできたのは、この自分だ、という自負や思い込みがあるので、定年を不遇人事と思い、自己肯定感やモチベーションを失い、理性的な思考ができなくなるのです。

経験者として、遠い過去を振り返ってみると「若気の至り」であったと思って自分を微笑ましく思い出します。

もしも、定年のネガティブな感情に取り憑かれて仕事が厭になり、悠々自適な生活を選択することになると、長い年月を消化ゲーム化するサイクルとになります。

何時の日か、歳月が経てば、悲しみから立ち直り、定年は予め決められていたことだった、と客観的に解釈することになります。

立ち直りが、できなければ絶望の人生が続きます。
 
今後の30年に向かって、自分を「一人の尊い人間」と理性的に捉えることが、熟年の一生に渡る、生きる意味づけとなります。

若い時代のプライド、自尊心、自信とは別の意味づけです。
 
実例は、認知症専門医の第一人者であった故長谷川和夫先生に見ることができます。

自身が認知症になった後の自著『ボクはやっと認知症のことが分かった』KADOKAWAから抜粋しますと、「認知症になると、何も分からなくなると思っている人がいますが、そんなことはありません。厭なことをされれば傷つくし、褒められれば嬉しい。一人の尊い人間であることを認めて欲しい」とありました。
 
定年世代は、長谷川先生がいう「一人の尊い人間」として自分を見直すと、今後の30年を自分らしく生きる土台となります。
 
具体的には、
良心に恥じることをしないこと
愛を感じることができること
他人を信頼すること
他人との違いを知っていること
社会的な役割を引き受けること
人の狡さを感じたら、自分の反面教師にすること

  「自分を尊い一人の人間」と考える人は、比べることをしないので、感情に振り回されず、人や社会と繋がることを幸せと考える理性が働きます。

幸せは、他人との繋がりが在って感じるものです。
 
 私は、定年の人生の節目を感情の判断に任せ、悠々自適な生活を選択した結果、10年間に渡り、人との繋が薄く、孤独で悲しい思いをしました。

今では、歳月が過ぎ、人と繋がることに復帰できましたので、過去の悠々自適な生活を、若い血潮の蛮勇による「若気の至り」であったと自分史の失敗の一つにしています。

新しい定年世代の方へ、この失敗の経験を伝えたいと思います。

定年世代は、皆も自分も「尊い一人の人間」として相対することが、処世術になります。

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