短編小説 恍惚のモナリザ


 インターホンを押しても返事がない。私は妙な胸騒ぎを覚えた。先週ヘルパー仲間の福本さんが担当していたおじいちゃんの孤独死の第一発見者になったばかりだったのだ。
 急いで預かっていた鍵でドアを開けて、玄関を上がった。多美子さんはダイニングの椅子に座っていた。丸まった背中にかくれて、頭は見えない。
「もう、多美子さんったら。びっくりするじゃないですか。返事がないんだもの」
「あら、ごめんなさい。これに夢中で、聞こえなかったのよ」
 多美子さんはモナリザのジグソーパズルから顔を上げて言った。私がネットで購入して、彼女に渡したのがほんの三日前だった。なのにパズルは胸の真ん中の1ピースだけを残して完成していた。
「まあ、あと1つじゃないですか」と私は言った。
「ええ、だけど、この最後の一つが足りないのよ。どこかその辺に落ちてない?」
 多美子さんに言われて、ざっと辺りに目を走らせたが、ぴーすは見当たらない。
「仕方がないわね。私と一緒で、ぽっかり胸に穴があいちゃったのよね、この人も」
 多美子さんは薄く笑って、壁にかかった写真を見上げた。1年前に亡くなった彼女の夫がほほ笑みかけている。
「亡くなるほんの少し前に、あの人、私の目を見て、『モナ……、リザ……」って言ったのよ」
 多美子さんは照れくさそうに笑った。私は二人の顔を見比べた。まあ、どちらにも、目と鼻と口はある。
「うん。よく似ていますよ」と私が笑うと、多美子さんは両手で完成したパズルを壊し始めた。くしゃくしゃという音をさせて、それは多美子さんの手の中で、不吉な色の花束になった。
「ええっ! どうして……」
「かまわないのよ。壊さないと、また作れないでしょ。私、もう少し楽しみたいの」

 次の訪問日、多美子さんはリビングのソファでぐったりとしていた。目はうつろで顔色もよくない。左の首から肩にかけて、シップを貼っている。
「多美子さん、どうかなさいました?」
「いえ、ちょっと肩がこっちゃって……」
「パズルのやりすぎじゃありませんか?」
「いいえ、作ってる間はとっても気分がいいのよ。でも完成したら頭がぼうっとなるものだから、また壊しちゃうのよ。でも、変なの。壊すたびにピースがなくなっていくの」
「小さなものですからね。掃除機をかける前に捜してみますわ」
 そう言い残して、私はダイニングへ行った。
 テーブルの上の組みあがったパズルを見て、私はぎょっとした。モナリザの左肩の数ピースが抜け落ちて、まるで湿布を貼ったみたいに、白い台紙がのぞいているのだ。偶然か? 多美子さんのお芝居か? 部屋を隅々まで捜したが、ピースは見つからなかった。

 多美子さんの訪問日は、朝から憂鬱な気分になる。その日もまた、多美子さんはパズルと向き合っていた。モナリザの肩の数ピースにくわえて、今度は左目の部分に白くぽっかり穴が空いている。
「ものもらいができちゃったのよ」
 振り向いた多美子さんは眼帯をかけていた。ちゃかされているのではないかと思い、私はあらぬほうへ向いて、
「パズルのやりすぎですって」とそっけなく言った。

  湿布、眼帯とくれば……、次はあれしかない。その日、珍しく玄関で私を出迎えてくれた多美子さんを見て、私は噴き出した。予想が当たったのだ。湿布と眼帯に、今日はマスクが加わった。おまけに団子に結っていた白髪はほどかれて、肩まで垂れている。パズルの人も同じだった。こうなると、二人はやっと似てきた。

 それから四日後、インターホンに応答はなかった。私はくるべきときがきたと、かえって肝がすわった。玄関の鍵をあけて上がる。誰もいない。テーブルはきれいに片づけられて、白い封筒が置いてあった。表には「中島佳代子さん」と私の名が書かれてあった。封を開けて、一枚の紙切れを取り出して読んだ。
『お世話になりました。これ、もらってくださいませ。 恍惚のモナリザ』
 封筒の中を探ると、パズルの1ピースが出てきた。細い鎖をつけてペンダントにしてある。私は何かやりきれない気分に見舞われた。黒い蝶のようなそれを首から下げたとき、視界に飛び込んできたものがある。それは夫の写真に寄り添うように壁にかけられたパネルだった。それはあのモナリザのパズルにほかならなかった。人物の部分だけがすっかりなくなって、背景の景色の中に白い人型が浮かんでいた。梅雨の蒸し暑さを吹き飛ばすほどの冷気が背筋を走った。
 封筒をバッグにしまい、逃げるように玄関を出たとき、白い乗用車が家の前に止まった。運転席から降りてきたのは、50代ぐらいの小柄な女性だった。顔立ちがどことなく多美子さんに似ている。彼女も黒い四つ葉のクローバーのようなピースを首からぶら下げている。女性は家から出てきた私をけげんそうにじろじろと見ていたが、私の胸のピースに目を止めると、自分の胸元のピースを指先でおさえて微笑んだ。私も自分の胸元のピースをつまんで笑顔を返した。多美子さんの家へ向かう女性も、多美子さんの家をあとにする私も、自分の胸に手を当てながら、一言も言葉を交わすことなく笑顔ですれ違った。それだけだった。ただ、そのとき、私の中で、謎が、謎のまますとんと腹に落ちたような気がした。#創作大賞2024 #オールカテゴリ部門

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