超短編小説 湯気の箱詰め

は熱さとの勝負だった。だが誰にも礼も文句も言われないから気楽ではあった。そもそも彼らには、直也の姿が見えてさえいないようだった。
 ところが閉店まで残り10分を切ったとき、一団の中の一人が立ち止まって直也の顔をじっと見上げた。それは、一年前に85歳で死んだ祖母ではないか。
「おばあやないか……」
 感極まった直也に、祖母は丸い頬を光らせてうなずいた。もともと小さかった祖母は、さらに小さくなっていた。むにゃむにゃと動かす唇が、「しっかりやりや」と動いた気がした。
「おばあ、どこ行くんや」と直也は聞いた。
「また来るけえ。それまでここにおんなさいや」
 祖母は直也が差しのべた手を握らずに、ひょいと勢いよく跳ね上がり、一番上の段の箱に膝をかかえて納まった。こちらに向けた丸い背はびくとも動かない。直也はそっと触れてみた。人肌のぬくみに、「おばあ、おばあ……」と呼ぶ声が、涙にかすれた。湯冷めをさせてはならない。早くふたを閉めなければ。箱はあと一つ空きがある。
「もう一人いけまーす。急いでくださーい」と、もうもうと立ちこめる湯気に向かって叫ぶと、直也の前にぬっと顔が現れた。おじいだ。おじいもバスローブをはおっていたが、まるでミニのワンピースを着ているようだった。
「じいちゃん、なんでおるんな」
「直也、わしもあすこに入れてくれ」
 祖父はあごで祖母の隣の箱を指した。
「じいちゃんはあかん」
「なんでそげえんこと言うんじゃ」
「もっとちいそうならなあかん。足が見えとるやないか」
 祖父はちらと自分のなりに目をやった。
「せやからお前に頼んどるんやないか。どないかして折りたたんで入れてくれや」
「無理なこと言うなよ」
「無理やと? それがお前の仕事なんやろうが」
 直也は祖父が挙げたこぶしを掴んだ。
「久子……」祖父は急に涙声になった。「わしは久子と一緒に行きたいだけなんじゃ……」
「おい」と背中を一つ叩かれた。はっとして振り向くと、バイトリーダーの黒川さんが、矯正中の歯を見せて笑っていた。
「野原君、また考え事して……」
 背後でバイト仲間がくすくすと笑っている。
「ほら、眺めてないで、早く詰めなさいよ」
 碁盤に仕切られた紙箱には、酒まんじゅうが詰めてあり、最後の一つの空席が、客を待っていた。しかし、その客は、まだ温かいまま、直也の手に握られて、ぺしゃんこになっていた。

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