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映画「ガタカ」感想

アマゾンプライムで観た。
有料だったけど400円だからまぁいいと思う。
97年の作品らしい。名前だけはいろんなところであがるので、たぶん名作なんだろうなということはなんとなく思っていた。

★映像美

 映像が美しい。HD画質だからなのだろうか?90年代の作品てこんなにきれいなの?と思う。美しい。
 セットとかもあまり安っぽさを感じない。
 色遣いが美しく、映画全体の幻想的な雰囲気を作っている。
 こういう映画は正直話がわけわかんなくても映像美だけで観られてしまう。

★ストーリー

 でもストーリーもちゃんと面白い。
 「2001年宇宙の旅」みたいに、世界観がすごくて、話は難しくてなんだかよくわかんないけどとりあえずすごい、みたいな方向で逃げ切ってもぜんぜんよかったと思うのだが、話もちゃんとおもしろいのだ。
 ・人工授精による胎外出産が当たり前の世界
 ・「不都合な」遺伝子をあらかじめ排除するのが当たり前の世界
 ・旧式の方法で生まれた人間は「不適正者」として差別の対象になる世界
 ディストピアものが好きな僕にとっては、この設定だけでテンションブチ上がり!
 ブチ上がり!
 である。
 なんなら本編なんてなくてもいい。
 この設定とトレーラーだけあれば、あとは頭の中で勝手に話を作るので別にいいまである。
 でも親切にちゃんと話を作ってくれている。
 ナイスだね。
 主人公は不適正者として生まれ、適正者の弟としていろいろな劣等感や差別に苦しみながら生きていたが、宇宙飛行士になる夢を捨てきれず、自分を適正者だと偽って、宇宙飛行をビジネスだかなんかにしている企業「ガタカ」に就職する。
 そんで事故にあった不遇な適正者の協力を得て彼になりすまし、最終的に無事宇宙に飛び立つ。

★スリッパを履け!

 冒頭で主人公が部屋の中でモーニングルーティンをするシーンがある。
 主人公は不適正者としての自分の痕跡を残さないために、毎日ブラシで垢を落とし、近眼をごまかすコンタクトレンズをし、適正者の爪を貼り付けている。
 彼は部屋の中では裸足でぺたぺた歩き回っているのだが、そういうことをしていると床に指紋がつきまくって掃除が大変になるから、スリッパを履いたほうがいいんじゃないかと思った。
 あるいは未来においては、そんなことしなくても床はきれいに保たれるのかもしれない。
 あと肌の弱い僕からすると、あんなブラシで毎日肌を磨いていてよく血が出ないものだと感心してしまう。
 やっぱり欧米人は違うぜぇ。
 ちょっと保湿をさぼったらすぐに湿疹ができる自分は不適正者だと感じだ。

★酒とタバコ

 これは90年代的ゆるさなのか、遺伝子による厳しい差別がある世界のわりに、酒やタバコについてはみんなわりとゴクゴクプカプカやっている。
 少しでも良質な配偶子を残そうと思ったら、こうしたものが弾圧されていてもおかしくないのではないかと思ったが、その辺も遺伝子操作で影響を受けないようにチューニングされているから、別に飲酒や喫煙を制限する必要がないのかもしれない。
 似たような世界観のアニメ「PSYCHO-PASS」では、飲酒や喫煙はサイコパスに悪影響を与えるとして推奨されていなかったから、その辺の対比がおもしろいなと思った。

★偶然性への憧憬

 全体的なテーマとかかわることだと思うのだが、偶然性に賭けたくなる人間の性、みたいなものを強調するシーンが繰り返し出てくる。
 ・セックスでの主人公誕生
 ・兄弟の遠泳バトル
 ・レンズなしでの道路横断
 などである。
 この作品世界では不都合な因子を排除して人生の管理可能性を上げている。
 人生の秩序化だ。
 でも主人公の両親や主人公は、不適正者として生まれた人間が、科学的な予測をはみ出す達成をするのではないかという期待を込めて行動している。
 その期待には根拠がなく、ただの信仰心に過ぎない。
 それは「自然」への信仰かもしれないし、「未知の可能性」への信仰かもしれない。
 管理可能な社会は、楽園を追放された人類が科学を用いて作った人工的な楽園であると言える。
 人間は神に背いたからこそ楽園を追われたわけだが、この作品においては、人工的な楽園から逸脱することが、むしろ「神の御業」に対する信仰心の表明になっている。
 二重否定による信仰の再生とでも言えばいいのだろうか?
 そもそも、操作可能社会のエリートが到達する先が未知の領域を目指す宇宙飛行であるというのは、構造的な矛盾だと思う。
 どうなるかわからないものに賭けるのが愚者の行為であるなら、宇宙を目指すのは不適正者に追わせるべき仕事のはずなのだが、実際には逆だ。
 この社会は偶然性を蔑視しているのか、神聖視しているのか、どっちなのだろう?
 宇宙飛行をエリートに任せることで、偶然性を神聖視していることにどのくらい自覚的なのだろう?
 差別と崇拝は表裏一体だから、偶然性に対する相反する意識が社会に反映されていること自体は不思議ではないのだが、そのことを社会がどれくらい自覚していて、意識的に社会システムに織り込んでいるのかは気になった。
 注意深く見ればわかるのかもしれないが、僕の頭では一度の視聴ではそこまでキャッチできなかった。
 
 ここまでで一旦公開する。
 
 

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