見出し画像

ガーナの村で暮らした話

憧れのアフリカ

アクラの車窓

死ぬまでに1度アフリカに行ってみたい。
そう思い始めたのはいつからだろう。
日本の遥か遠く…
全く違う気候に人、食べ物に歴史…
テレビでしかみた事のない世界。

そんな私の夢の1つが叶った。
ア福リカとチョコレートブランドを営む田口さんによるビレッジステイのプログラムに参加したのだ。
見つけた瞬間これダァぁぁああああと私は思った。
場所は「あぁ、チョコレートの?」とよく言われるガーナ。
この国がどんな国でどこにあるのは知っている日本人はなかなかに少ないだろう。
私も知らなかったし…

首都アクラの空港に入り、トロトロという乗合バスに5時間ほど揺られる。
(このトロトロは乗客がいっぱいにならないと出発しないので運が悪いとかなりの時間車内で待たされることがある笑)
すると現れるエンプレッソアマンフロム村。
ここが私たちが暮らす村だ。
この村は田口さんが長年信頼関係を築いてきた村で彼女のチョコレート工場がある想いの詰まった場所でもある。
その辺にカカオやキャッサバが生い茂り、ニワトリやヤギが散歩している。のどかな村。

いい意味で期待外れ

お散歩風景

日本とは全く違う世界を期待していた私にとってガーナは私の期待を存分に打ち砕いてくれた。
見た目も言語も違う人々に生活がそこにはあった。
そして私が見落としていたたくさんのものもそこにはあったのだ。

豊かな生活

私たちより明らかに金銭的に貧しい彼ら。
毎日が秒のように過ぎ去りITに飲み込まれBusyな私たちにはない豊かな生活を彼らはしているのだと期待した。
お金ではない心の豊かさがここにはあるのではないかと…

想像以上にあった。

一番感じたのは人間関係の豊かさだ。

0距離なコミュニケーション

子供たち


とりあえずあったらハグハグハグ、挨拶、ハグ。。。
村が一つの家族のようだった。
私たちへの珍しさもあっただろうが村を散策していると会う人会う人に呼び止められる。おはよう元気?どこ行くの、何してるの。名前は・・・
最初は少し面倒くささもあった。呼び止められることによって目的地まで到達できない日が多々あったから笑
だが彼らのこのコミュニケーションには深い愛が詰まっている。
病気やマラリアの脅威に晒されながら暮らす彼らにとって今日も健康で会えるというのはとても嬉しいこと。今日も元気でいてくれてありがとうのハグ。相手の体調を気遣う会話。生きることが当たり前で延命措置が物議を醸す日本にはないもの。
それを知ってからは毎日みんなに挨拶するたびに心が温かくなった。
今日も生きててくれてありがとう。

情の経済の成立

子供たち


幸せをお裾分けというやつだ。
この村の人々は資本のやり取りではない経済の動きが大きい。
誰かが病気になれば周りの人々がお金を出して助けたり、たくさん儲かった時には村の子供達やみんなのために美味しいご飯を食べたり。金銭的な見返りを求めないお金のやり取りがよくある。
ここでは働き者だねというのはすごく褒め言葉になる。
そんな彼らにどうして働くのか聞くと決まって一番に出てくるのは家族のため、友人のため、、、
愛する人のためなら惜しみなく、、、

ここにくる前は貧しい国や人々にはお金が必要だと信じて疑わなかったが、寄付だ支援だといいただお金をあげる行為は彼らの経済や生活、関係を壊してしまう行為なのではないかとも感じた。
第三者から見れば歪んだ歯車が軋んで動いていないように見えても当事者にとってはそれが正解でそれが幸せな時もある。
私たちの幸せを押し付けることは彼らを否定することでもある。
お金があれば幸せ?教育が受けられれば幸せ?日本人基準の衛生環境があれば幸せ?
この村が1年後2年後どのように変化していくかはわからないけれど彼らのペースでその深い愛と共に豊かになっていってほしいと心から願う。

私より人間

彼らは私よりも遥かに人間をしていた。
これはヤギを捌いて調理の過程をみていて思ったことだ。

縛られたヤギ


響き渡るヤギの声、溢れる生命、焦げ臭い匂い、その隣で笑う子供たち。
今も目の奥に焼きついている。
彼らにとってはこれが当たり前で生活の一部。
生と死が循環している。

日本にいると生きるということを軽視しがちだ。
その原因は行き過ぎた便利さ、分業の仕組みにあると思う。
常に捌かれ実体も知らない肉、魚。毎日食べているということは毎日誰かが殺しているということ。今は機械がやっているのかもしれない。
でもそれもどうよ。
命の循環を知っている彼らは私より人間をしている。
生を全うし、人を愛し、心から喜び悲しみ、今を生きている。

ふと思った。私は一人で生きていけない。
肉も捌けなければ、服も作れない。
お皿も作れないし、家も作れない。
きっと彼らと生き残りサバイバルに出たら私はすぐに場外。

私は日本に住んでいてそれを必要とされる環境ではないが、人間という地球上の生物として真っ当に生きれてはいないのかも。
別にどちらが正しいとかそういう話ではないがそう思った。

豊かさって?

村でお世話になったコフィさん

本当の豊かさってなんだろう。どんな状態だろう。どんな気持ちだろう。
確かにこの村では良い人間関係を感じた。
村のおばあちゃんや若者たちと話していて思った。
その豊かさに気づいているのは気づこうとしている人かご老人の方達だけ。
どこにいっても若者はITに憧れ、都会に行きたがる。そこには理想の生活があるのだと。
今あるものに気づかず満たされることを知らず。

気づいたこと

いい意味でも悪い意味でもこの村には
日本になくてあるものがあり、日本にあってないものがたくさんあった。
数日間の生活を通して、ただ人間がそこで暮らしているだけだった。
優しい人もいれば、嘘つきもいるし、せっかちもいれば、心配性な人もいる。日本人とかガーナ人とかじゃない同じ人間。

きっと答えはないのだけれど豊かさとは何か、幸せとは何か
私自身や私の愛する人たちのために考え続けたいと強く思った。

最後にたくさんのありがとう

ここに書ききれないくらいに感じたことや考えたことはたくさんあって今の私にとってガーナでのビレッジステイは意味のあるものとなった。
受け入れてくれたアマンフロムのみんな、親愛なるコフィ、
現地で共に過ごした家族のような日本人のみんな、
プログラムを作ってくれたア福リカのみんな、
私たちを巡り合わせてくれた大好きなアイ…
心からのありがとうを伝えたいです。
あいしてるよ。

最後まで読んでくれたあなたありがとう。
心のままに生きれる日々を💐

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?