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30年ぶりのフェンシング!記憶もよみがえる?

私がフェンシングを始めたのは、小学6年生の時の担任から、先生の教え子が、高校生でフェンシングを始めて、わずか6カ月で全国大会で入賞したという話を聞いたことがきっかけでした。
先生はフェンシングについて詳しくはないものの、短期間でも目標をもって努力をすることや大きな大会で活躍することを熱く話してくれました。
私の周りに、フェンシングをしている人は一人もいません。誰もしていないことができる、白いユニフォームに剣とマスクを使って戦う、目立ちたがり屋な自分にはそれがとっても魅力的に思え、フェンシングを始めたのでした。小学6年生から始めて、高校3年生の夏まで続けました。
目標としていた大会に出場できず、これ以上続けていても、先が見えないと思い、少し中途半端な、あきらめるような気持ちでやめてしまいました。
それ以降、フェンシングをしたいと考えたこともありませんでした。
あれから、およそ30年後の2019年の年末に新聞記事を読んで、旭川で車いすフェンシングの活動を知ったのです。しかも、フェンシングクラブを立ちあげたクラブの代表は、職種は違うのですが、同じ職場です。
私は看護師。夫は事故で左腕に障害があります(夫のことは、別の機会にでも)
職業柄なのか、家族の障害の影響なのか、私にも何かできるんじゃないかとおせっかいな性格が顔をだしました。
年明け早々、フェンシングクラブの代表に連絡しました。
仕事終わりに、「フェンシングクラブの記事を新聞で見たよー。私、昔フェンシングしてたんだけど何か手伝えることあるかな」と私。
「土曜日、練習に来てください。」と、気持ち良いお返事をいただき、さっそく次の練習に参加。
私が最後にフェンシングをしたのは、高校3年生のインターハイ予選以来、実に30年ぶり。高校生の時と今の体力では比較にならない。
クラブの人たちのレベルもわからない。
勢いだけで来てしまった私。
簡単な自己紹介を済ませ、軽く体操をして、男性コーチの掛け声で「マルシェ(前へ)、ロンぺ(後ろへ)」と、フットワークが始まりました。
(これくらいの言葉は覚えている。体も指示通り動けている)それが、最初の実感。 
女性コーチからユニフォームを借り、クラブ所有の剣とマスクをお借りして、久しぶりのフェンサーが誕生。
誰かに誘われたのか、自ら始めたのか全く覚えていないのだが、勢いそのままに、ファイティング(試合)をすることになったのです。
小学生相手にファイティングをして、『あれっ、意外とちゃんと動けてる』(あくまで本人の感想)
今度は、相手を変えて大人の方とも。しかも、楽しい~。
体が覚えていると言うのでしょうか。
相手との距離を保ち、バッテ(剣を叩く)アタック(攻撃)と、脳内で昔の記憶を再生していく感じ。
フェンシングは、深めていくといろいろすること、考える事あるけれど、ルールは簡単。剣で先にもしくはアタック権をとって、トュッシュ(突く)すればいいのです。
結果、30年ぶりでも楽しくできてしまった。
その日のうちに、ユニフォームや剣・マスクなどフェンシング用具一式を注文し、晴れてクラブの一員になったのでした。


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