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ありえない星の群たち【掌編小説】

 「やっぱり、別れようと思うんだ」
 日付けが変わるか変わらないかぐらいのタイミングで裕樹は恋人のエミーにそう告げた。

 8月、真夜中の公園。
 周りは蝉が激しく鳴いていたにも関わらず、彼女は耳を塞いだようにその鳴き音は一切聴こえなかった。エミーは追いたてられるように声を出さずに静謐に涕泣した。
 時が一瞬止まったように、息を一つ吐いたエミーは声を絞り出すように言った。何となくそんな気がしていた、と。

 プロミュージシャンを目指す裕樹を支えたい、力になりたい、そんな健気な彼女に報いは訪れなかった。そんな残酷な結果を彼女は冷静に受け止めていた。だけど、涙は止まらない。止まるわけなどない。

 「私、裕樹と夢見れて幸せだった」
 今この世にいなくなっても後悔しないように、まるで遺言とも取れる一言をエミーは伝えた。いや、涙を必死に拭った心の底からの本心だった。
 裕樹はニコッと笑ってエミーの目を見つめた。エミーが初めて観客席から、舞台上で熱唱する自分を見ていたキラキラしたあの瞳を思い出していた。
 「でも、私と夢を比べたら夢を取るんだね」
 答えがわかり切っている質問をぶつけたエミーはうっすらと笑顔を浮かべていた。自分が5つ年上だから、もうこれ以上は裕樹に涙は見せないと決めた。
 裕樹は何も言わずに首を縦に振った。蝉がまた一段と激しく鳴いた。
 エミーが(お前、何か言えよ)というような雰囲気を醸し出したからか、彼は数分後に口を開いた。
 「ごめん。俺わがままだから・・・」
 これが自分だ、と言わんばかりに低く消え入るようにボソボソした。エミーは裕樹を情けない、売れないミュージシャンに見立ててやろうと思った。

 二十歳の裕樹は赤ら顔になりながらも、エミーが会社員として自分を1年間支えてくれた日々を思い出していた。そう思うとエミーが恋人では無く、恩人のように見えてきた。
 そんな眼差しを真摯に受け取ったエミーも裕樹を初めて見た瞬間を回想していた。
 「沢山の観客を前に歌っていた裕樹、カッコ良かったよ」
 エミーは何百回言ったか分からないお決まりのセリフを、初めて本心から言った。だけど、これが最後だと思うと、急に足元から寒気が襲ってきた。こんな日にミニスカートなんか履いて来なければ良かったと、後悔した。
 「200人ぐらいだったかなあ、新宿FACEっていう会場で」
 裕樹は照れ笑いを浮かべて、自慢なのか単なる事実なのか伝わりにくいニュアンスで話した。
 「俺もっとビックになるから!」
 あっそう、という表情でエミーはうつむいた。あなたはどうなってもいいと言わんばかりの冷徹なリアクションだった。
 「そしたら、エミーちゃんを迎えに行くから」
 すぐさま微笑したが、(この嘘つき野郎!)と心では裕樹を憎んだ。
 裕樹はズボンのポケットから折り畳んだ一枚の紙を取り出すと、エミーに差し出した。
 「これ新曲。エミーちゃんの為に今から歌う!」
 彼女は驚いた表情で、紙を受け取った。
 意味が分からず、最初は冗談を言っているのかと思った。でも、ルーズリーフ1枚にはビッシリと歌詞が書き込まれていた。
 エミーは腕時計に目を移して帰る仕草をした。突然、裕樹は腕を掴んだ。
 「だめ、エミーちゃん最後に聴いて!」
 腕を持つ手は強く、エミーは観念した。
 裕樹も今日が生涯最後の日になっても後悔はしないと言わんばかりに、命懸けで彼女の腕を掴んで離さなかった。

 裕樹は、エミーを愛していた。

 「ここではなくて、公園の舞台広場で」
 裕樹は彼女の腕を掴んだまま、強引に敷地内に連れた。
 50メートルは歩いただろうか、ようやく舞台がある敷地に到着した。辺りに人影はなく、たった二人だけの世界に、二人は急に無口になった。
 「どうする? もう帰ろうよ。私達、恋人ではなくなるんだし」
 エミーはこの期に及んで、急に淋しくなり、裕樹から離れようとした。最後に聴いて、また裕樹に恋心が芽生えては困ると思ったのである。
 「待って!」
 小さな舞台の上から、携帯電話のライトを顔に向けた裕樹は叫んだ。
 「うっ、ぷぷ」
 エミーは思わず吹き出して、大笑いを始めた。涙が出るほど、舞台方向に指を差して数分間笑った。
 「あー、おかしかった」

 気がつけば彼女は裕樹の15分間もの熱唱を心地良く聴いた。まるで夢の中にいるかのように。今生の別れになる元恋人の熱唱なんか苦痛のはずだ。しかし、気がつけば「アンコール」と叫んでいた。
 「ありえない星の群れ達にぃ〜、僕達は明日も向かう。きっと、誰かが手を差し伸べてくれるから」
 エミーが好きなミスターチルドレンに似たような曲だったから、余計に可笑しくて、また大笑いをした。
 なぜなら、普段裕樹はコミックバンドなのに真面目な曲だったのは、エミーは嬉しかった。
 「君を、星になって迎えに行くから〜、きっと迎えに行くから〜、迎えに行くから」
 歌い終わった裕樹は初めてエミーの前で泣いた。

 エミーは、ほんの少しだけ裕樹に親近感が芽生えた。またどこかで裕樹の曲に出逢ったら、元カレを思い出すかもしれないと思った。【終】


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