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イヤならやめちゃいましょう 苦しいなら逃げちゃいましょう でも、好きなことだけは死んでも離すな

 タイトルのキャッチコピーが使われた東京モード学園のCMが大好きだ。心が救われたような気がする。

 しかし、YouTubeでこのCMのコメント欄を見たら、こんな意見が多かった。

『好きなことをやるためにはその過程で嫌なことや苦しいことと立ち向かわなければいけない。それからも逃げていたら成功できない』

 だいたいこんな感じのこと。

 これを見て私が感じたのは、言葉を選ばないのならば“読解力の低さ”だった。もう少し配慮した言い方をすれば、“解釈の違い”になるだろう。
 私としては、このCMは嫌なことや苦しいことからは“基本的に”逃げてもいいと言っているのだと思う。具体的には、いじめや煩雑な人間関係などだ。そういうことからは逃げてもいい。

 ただし、例外的に逃げてはいけないことがある。それが、“好きなことを手放さないために必要なこと”なのだ。逃避を肯定した後に、“でも”と逆接を使い、“死んでも離すな”という強い言葉を選んだことには、そのような意図が含まれていると考えるのが一番自然だ。

 もしこれが「好きなことだけして生きていく楽しさ」を伝えるキャッチコピーなら、「イヤならやめちゃいましょう 苦しいなら逃げちゃいましょう」の後に例えば、「そして」と順接でつなぎ、「好きなことで、生きていきましょう!」とでもするのではないのだろうか。それをわざわざ「でも」と否定してからの「死んでも離すな」。ポジティブで、ハッピーで、お花畑だけじゃない“激励”がそこに潜んでいるのだと私は思う。というかぶっちゃけこの解釈が正しいと思っている。

 ここからは、本当にただの悪口になってしまうのだけれども、このキャッチコピーの意図にも気づかずに字面だけ捉えてインターネットで叩くのが、嫌なことからも苦しいことからも逃げず社会に迎合して生きてきた人間の末路なんだなぁと思うなどしていたりするのだ。もちろん、逃げないで生きることを否定しているわけではない。私は逃げてしまう側の人間なので、逃げないで生きていける人は素晴らしいと思うし、本来はそうあるべきなのだ。私が言いたいのは、たとえ逃げずに生きていたとしても、決して良い人間になれるわけではないのだなあという寂しさというか虚しさというか、そういったものを感じるということだ。

 さらに言うならば、冒頭で“読解力の低さ”なんて煽る様なことを言ったけど、それが悪いことだとは思っていない。人には向き不向きがあるし、そもそもこのキャッチコピーについて真面目に考えるような人は逃げてしまう側の人間なのだ。これを叩いているような人は逃げない側の人間で、おそらくこのキャッチコピーを“読む”まで達していなくて、なんとなく“見て”なんとなく嫌だと思ってなんとなく叩いてるだけなんだろうな、と思う。それは本当に良くないことだと思うけど、現実はだいたいこんなもんだ。あぁ、やるせない。鬱々としてきたのでもう今日はここで終わっておく。
 

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