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わたしの中の清少納言

今年になって何かと平安時代がクローズアップされている。

NHK大河ドラマ『光る君へ』が影響しているのは間違いない。本屋には平安時代の関連本が並らび、遂にはJR西日本の米原駅(滋賀県)と上郡駅(兵庫県)の間を紫式部のラッピング列車が運行を開始した。
流行りに安易に乗っかって、大津をPRしたい魂胆丸出しの大津市には辟易してしまうが、平安時代の女流作家たちにスポットライトが当たるのは喜ばしい。

何を隠そう(別に隠してはいないが)、わたしは昔っから清少納言が好きだ。このnoteの自己紹介でも「清少納言が好き」と書いちゃうくらいに。

清少納言の「好きなものは好き! 嫌いなものは嫌い!」とはっきり書いちゃうところはすこぶる小気味いい。

わたしも毒気が多い自覚がある。
会社勤めで避けられない腹立たしいことには、毒をまき散らさずにはいられないたちだ。
机を並べる入社4年目のエンジニアF君には「また始まった」と思われているのは間違いないが、毒を吐かなければ体に悪いから仕方がない。許してもらおう。

清少納言は千年以上前に生きた人なのに、「分かるわ~」と共感しかない。
最近特に刺さったのはこれだ。

あなたこなたに住む人の子の、四つ五つなるは、あやにくだちて、物とり散らかしそこなふを、ひきはられ制せられて、心のままにもえあらぬが、親の来るに所得て、「あれ見せよ、やや、母。」などひきゆるがすに、大人どもの言ふとて、ふとも聞き入れねば、手づからひきさがし出でて、見騒ぐこそ、いとにくけれ。それを、「まな」とも取り隠さで、「さなせそ。そこなふな」などばかり、うち笑みて言うこそ、親もにくけれ。我はた、えはしたなうも言はで見るこそ、心もとなけれ。

【拙現代語訳】
近くに住む子で(4つか5つか)、いたずら盛りなのだろうけど、勝手にものを触っては壊すこともあるから、いつもは「ダメでしょう!」とたしなめるのだが、親と一緒の時にはこちらが叱りにくいのをいいことに、図に乗ってやりたい放題するのは憎たらしい。
そんなわが子を真剣に叱りもせずに「あら、だめよ~」とか「壊してはだめですよ」と言うばかりのにこにこ顔の母親にも腹が立つ。
だけど、心のなかで「ちゃんと躾しやがれ!」と思っているだけで、何も言えない自分が一番不甲斐ない。

『枕草子』百五十二段「人ばへするもの」より

娘の友だちの弟がこれと全く同じで、無茶苦茶し放題なのに、あろうことかその母親は姉と一緒にバレエ(ピアノも)を習わせているのである。
バレエの送迎には車を使っていたのだが、ひとの車をバンバン触りまくるし、その上勝手に乗ってきたりもする。全く叱らない母親に「バレエを習わす前に躾しろよ!」と言いたいのだが、気まずさを考えると何も言えないでモヤモヤするばかり。
お行儀がいいから他人の子でも可愛いのであって、聖母マリア要素ゼロのわたしには行儀の悪い子はお断りなのである。


史実としては、清少納言と紫式部は会ったことはなかったであろう、とされている。
『光る君へ』では清少納言をファーストサマーウイカが演じるので、紫式部(吉高由里子)との絡みはあるだろう。
もしかしたらシスターフッド的な描かれ方になるのかもしれないな。
ちなみに、ファーストサマーウイカを清少納言にあてた配役は、意外性があって面白い。登場回が楽しみだ。

『光る君へ』の藤原道長(柄本佑)は今のところは定説を覆す人物像で描かれている。
だが、道長が権力を完全なものにするために、清少納言が仕えた定子をいじめ抜いたのは事実である。この事実と相反することなく、道長をどのように魅力ある人物として描いていくのか。脚本の大石静には期待している。

そして最後に清少納言に捧げます。
わたしがあなたを好きなのは、潔いまでにブレないからです。
初めて中宮定子に会ったときから、11才も年下の定子に魅了され、最後まで仕え抜きました。
その定子に「書いてみて。応援するから。」とその才能を認められたのは、無上の喜びだったでしょうね。
定子が没落し、悲劇的な死を迎えても、その恨らみつらみを一切記さなかったあなたは本当にかっこいい!
時の権力にあっさり寝返る輩もいたであろうに、道長側につくことなく宮中を去ったあなたにわたしは拍手喝采をおくります。

#権力なんてくそくらえだ

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