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「枯れていく様」4年 佐藤 誠也

こんにちは。



一年生の入部して間もない頃、峰松君(22卒)に



「お前、書け。」



とだけ言われ、訳もわからず自身の思いや考えをこのnoteに綴ったことを懐かしく感じます。




約1ヶ月前から4年生の最後のnoteが始まり、みんなの語彙力の高さに驚きながら、





部屋で一人、みんなのnoteを読んで泣いています。




※まとまった面白い文章は書けません。




この4年間で感じたこと、変化したことなど、自身の言葉で書きたいと思います。

最後まで読んで頂けると幸いです。





関東第一高校出身、文理学部国文学科4年、源氏物語ゼミ、ゼミ長の佐藤誠也です。



同期から




「一番性格が悪い。」「性格が終わってる。」




だの言われています。



多少自覚はあります。



みんなが思ってても言わないことをちょろっと言ってみたりして、反応を楽しんでしまう節があります。



でも、それはみんなに心を開いている証です。初対面でそんなこと絶対にしませんよ。
そんなやばい奴ではありません。










さて、ここから本題に入っていきます。





「プロになりたい。」





正直、サッカーを幼少期から始め、常に持ち続けていたこの気持ちは、大学2年を終える頃ぐらいには、まだ淡い期待を持ちつつも、徐々に無くなっていました。
入部当初はCチームで活動し、そこから4年生になるまでは、ずっとBチーム。



自身の実力、伸びしろに限界を感じるようになりました。



大学に入ってサッカーをする中で、途中まで心の中で思い描いていた夢、目標、理想は打ち砕かれ、現実を見ることになったのです。



今まで


「プロになってね!」



と応援される度に



「がんばります!」



と意気込んでいた自分が恥ずかしくなり、



「ちょっと厳しいですかね。」


「いや〜どうだろう。」



と誤魔化し答えるようになっていました。





そんな現実を感じ、抱くことは、






「あれ、なんでサッカーやってんだろう。」





「プロになれないのに。」




この思いは、私が大学に入学した1年生の頃、上級生に対して思っていた事と同じでした。



しかし




なぜここまでサッカーを続けてきたのか。
続けてこれたのか。




要因としては二つある。




一つ目は、



タケヒロ(4年/Vファーレン長崎U18)がnoteで書いていたように、自分には唯一、喜怒哀楽を表現できるものがサッカーだったから。



点を決めた時、試合に勝った時、勝ちロコをやってる瞬間は最高だし、



ミスしたり、試合に負けた時は、落ち込む。



練習中に削られたりすれば(特に、ジエイ3年/ベガルタ仙台ユース)、
頭に血が上り絶対に削り返すと思ったり、やり返したりもする。



このような感情は、本気でサッカーをしているから得られる感情だし、それが醍醐味。




結局、"本気"でやるサッカーが好きだったのだ。





二つ目は、



同期、地元の友達の存在があったから。

同期は、



常にプロを目指し、オフの日でもIPCで筋トレをやる寮の番人と化した奴。



チームの為に、オフ前日にも関わらず部費の管理や仕事をしてくれる奴。



出場機会に中々恵まれず、苦しいはずなのに、練習メニューを考えて火曜の全体練習を仕切ってくれる奴。



不満を持ちながらも、カテゴリー、立場に関係なく、本気な奴。



いつも自分を犠牲にして、チームが良くなるために声を張り続けるキャプテン。



そんな彼らの姿を知っているし、刺激を受けて、「もっと頑張ろう」とか「自分もまだまだだな」なんてことを思えた。



彼らの他にも様々な価値観を持ち、目指す方向性は違えど、がむしゃらに頑張る同期を誇り思うし、大好きだ。




地元の友達は、



何をするわけでもなく、ただ話を聞いてくれたり、熱く語り合ったり、旅行に行ったり。
いつも帰り際に、



「頑張れよ。」


「やり切れよ。」



と言ってくれる友達の存在が、



言葉が、



私の心の支えとなっていました。




同期や地元の友達のことを考えながら、noteを書いていますが、涙がボロボロ溢れ出てきます。





ありきたりかもしれないけど、
これら二つの要因があったからこそ、
プロという夢や目標にしていたものが無くなった、大学サッカーで、こいつらの為にとか、友達が応援してくれたから、途中で折れることなく"本気"で続けているのだと思います。








※最後のnoteになるので、もう少しお付き合い頂きたいです。





一個上の先輩が引退し、最上級生となり、



「引退」



という2文字が頭の中を駆け巡り、



「最後どうなっていたいかな。」と考え始めるようになりました。



有難いことにこれまで関わった先輩方がその在り方を見せつけてくれました。



2年前、社会人カテゴリーでの関東参入戦。



結果はトーナメント一回戦での敗退。



社会人カテゴリーはトップチーム以外の4年生が主体となり構成されたチームの中で下級生が何人か入るそんな構成だった。



4年生のサッカー人生引退を間近で体感し、やり切った顔の先輩、悔しくてなんとも言えない表情だった先輩がいた。




自分にもこんな日がいつか来るのだと感じたのを覚えている。



帰りのバスで気持ち切り替えた4年生たちが曲を流し歌い出すなかで、
1人、大号泣している八重(22卒)さんがいた。



悔しいからなのか、



やり切った安堵感なのか、わからない。



1年間一緒にプレーをする中で、チームメイトにボロカスに文句を言われようが、自分がスタメンから外れようが"本気"で取り組む姿勢を見てきた。



そんな八重さんが大号泣している姿は、とてもカッコよくて、こんな風に大学サッカーを終えたいなと思った。



また今の2年生以上ならわかると思うけど、



去年の、社会人リーグ最終節。



鳳馬や豊羽君のやり切った姿。



昇格を決めた後の梶の涙。



"本気"でサッカー、チームと向き合ったからこそのものだと思う。



その他にもたくさんの先輩方が見せてくれた。



特にこの1年間、トップチームに在籍し、サッカー場の階段を降りれば、本気でやってきた。
今までとってきた行動に後悔は今のところない。


どのポジションでも構わないし、自分がスタメンだろうと、ベンチにいようと、応援席にいようと、このチームの


勝利の為、

インカレ出場、

そして、日本一の為に全力を注ぐ。




「やり切った」

「もうサッカーに悔いはない」




と思えるよう終わりたい。



どれだけブサイクな顔で泣いたっていい、



思いっきり泣きたい。



そんな枯れていく様



を今度は私が見せれるように。





これまで私に対して多大なる声援、支援をして頂いた方々へ。
誠に勝手ながら、全力でやり切って、枯れていく様を見せることが一番の恩返しになるのではないかと考えています。
会場にお越し頂き、枯れていく様を見届けて頂けると幸いです。





話が少し重複しますが、


日本大学サッカー部は現在
トップチーム、社会人、アイリーグ、新人戦、全てのカテゴリーが"日本一"、"昇格"を果たす可能性があります。
是非、会場にお越し頂き、激アツな試合を応援して頂けると幸いです。







※まとまりのない、書きたいことを書いただけの文章になっていますが、最後に1番、書きたかったことを書きます。














家族。
幼稚園の年中から始めたサッカーを成人を過ぎた22歳まで、続けさせてもらったこと、感謝しても仕切れない。
学費、部費、寮費、遠征費、生活費、それ以外にもたくさんの金銭面での支援をしてもらった。
大学に入って、親元を離れ、私が1年間サッカーをするだけで何百万円とかかっていること、身に染みて感じました。
多分一生かかっても、親孝行というか恩を返しきることはできないけど、最後全力でやり切る姿を見せたいな。



卒業後、社会人になる訳だけど、偉大な父、母、兄のように、自分自身で選んだ道を正解にして行くことをここに宣言し、このnoteを締めさせて頂きます。




長くなりましたが、最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。


佐藤 誠也(さとう せいや)

〈経歴〉
FC八幡→柏レイソルU-12→VIVAIO船橋→関東第一高校

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