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「Thank you 2022」4年 中村健人

皆さん、こんにちは。
文理学部体育学科4年中村健人です。
 
 
 
最後のnoteとなりました。
2022年シーズン感じてきたことを綴ってみました。
最後まで読んでいただけると幸いです。
 
 
 
 
今年再び関東リーグのピッチに戻ることができた。
 
大学2年目に念願の関東リーグデビュー。
 
勝負と意気込んだ3年目、関東リーグのピッチでプレーしたのは、わずか1試合。
練習中の骨折で足の手術を行いサッカーができない日々がしばらく続いた。
怪我がなければ試合に出ることができたかと言われればそんなことはない。
目標を見失いそうになりながらも仲間の頑張っている姿、各大学で活躍している高校の先輩や同期を見た時に「負けていられない」そう思った。
そこからは毎日のように筋トレルームに通い、リハビリと身体作りに時間をあてた。当時はすごく苦しかったが、この期間があったからこそ、今の自分に繋がっている。そう思える3年目だった。
 
そして4年目
「俺は絶対的な存在じゃない」この言葉を今年は特に自分に言い聞かせていた。
これまで関東リーグのピッチに立つことが当たり前ではなかったことを考えると、今年はすごく充実した日々を過ごすことができている。
だが、今年の関東リーグにおいて、私自身、結果も残していなければ、大した活躍もしていない。
 
試合が終わるたびに不安と焦りだけが残る。
就活もほとんどしていない状況で、1試合1試合がアピールの場、そして就活の場である。
どこの大学においても絶対的な存在はいる。
怪我をしても復帰すればすぐにスタメンで使ってもらえるような選手。
俗にいう替えのきかない選手のことだ。
私はこの大学でそういう立ち位置の選手ではない。
だからこそ毎日の練習が勝負だった。
 
多少の怪我では休めなかったし、自分の中で骨折以外、怪我ではないと思っていた。例えどんなに痛くても我慢しながらプレーをし、少しずつ治していく、これが私のやり方だった。
熱がある日でもグラウンドに向かい無我夢中でボールを追いかけた。今思うとそれぐらい必死だった。
 
もちろんチームを勝たせられる選手、チームにとって絶対的な存在であれば、少しの怪我や熱で休んでいたのかもしれない。
だが、私の立ち位置上そんなことが許されなかった。練習を休めば、また試合に出られない。自分より上手い選手はいくらでもいる。
常にそんな恐怖と戦っていた。
 
毎週のように週末のリーグ戦に向けて練習で紅白戦が行われ、その時に大体のスタメンが決まる。紅白戦ではあるがメンバー発表の時はドキドキだった。
先週の調子が良かったからと言って今週もスタメンで出られる保証なんてなかった。
試合に出たくて、ギラギラしている選手もたくさんいた。それが私には少なからず伝わってきていた。それを見て自分もスイッチが入った。
常に意識し、お互いを高めあえる存在がいたからこそ、私も危機感を持ってやり続けられた。結果を出すために貪欲になれた。
 
決して足が速いわけでもない。上手いわけでもない。特別点が取れるわけでもない。でもチームにとってピッチに必要としてくれる選手でありたかった。どんな時でも一生懸命ボールに食らいつき身体を張った。たくさんヘディングも競った。
 
「健人がいるとボールが収まる、ボールが跳ね返ってこない」この言葉が1番嬉しかった。自分の存在価値を示せた瞬間だった。
こんな私を活かしてくれてありがとう。
 
 
 
今年はたくさんの経験をさせてもらった。
そんな今シーズンを簡単に振り返っていく。
 
「お前をサイドバックで使うつもりはない」と言われ始まった今シーズン。
気がつけば右サイドバックで関東リーグ開幕。
毎日が新たな発見で、攻撃の選手としての良さを出そうと必死だった。
楽しかったが、すぐにサイドバックはクビだった。
今だから言える。早めのナイス判断だと。
 
 
6月の3週間は教育実習がありチームを離れ母校で先生をやっていた。
毎日授業をしながら、朝練、午後練すべてをこなしていた。
これだけは言える。
教育実習の3週間の練習で走った距離はこの大学4年間に匹敵すると。
毎日高校生からパワーをもらい、みんなに負けないように頑張っていた。
 
 
3週間の教育実習期間が終わり、翌日は関東リーグの試合だった。
みんなが暖かく迎えてくれた。
チームを離れていたにも関わらずメンバー入りを許してくれた、仲間、スタッフ。
なんとか勝つことができ、ここから6連勝につながった。
 
 
7月アミノバイタルカップ1回戦の産業能率大学戦。
今シーズン公式戦初ゴールは勝負を決定付けるロングシュート。
小田島さんとのグータッチは大学4年間で1番嬉しい瞬間だった。

 
 
8月チューブトレーニング、体幹トレーニングを導入
「ドローイン」を合言葉に毎日信じて取り組んだ。
 
 
9月トレーニングの成果は早くも現れた。
軸がしっかりして倒れなくなった。
練習試合でも毎試合点を取っていた。
仲間からは「練習試合はいいから、リーグ戦で取ってくれ」と言われる。
 
 
10月待望の今シーズン関東リーグ初ゴール。
友喜のシュートを防ぎ、耳で押し込んだ。
得点王がかかっている中でも私のゴールを喜んでくれた。
あの時はごめんな。
 
 
11月ヤクルト1000に出会う。
プレーの質は上がらなかったが、睡眠の質は爆上がり。
お陰様で寝坊しそうな時もあった。
 
 
あっという間に最後の1年が終わろうとしています。つまり大学サッカー引退の時です。この仲間と戦えるのもあと1週間、あと1試合です。
関東1部でプレーするという目標は叶いませんでしたが、18年ぶりに日本大学が関東1部の舞台で戦える瞬間が訪れるかもしれません。この4年目にして昇格争いをピッチの上で経験できたこと、声出し応援が可能になり、心強い仲間の前でプレーできたこと、本当に幸せでした。ありがとう。
 
 
 
同期へ
4年間ありがとう。
辛い時、苦しい時、どんな時も横を見れば同期の存在があった。この同期だったからこそ、ここまで頑張ることができた。泣いても笑ってもラスト1試合。それぞれの立ち位置で全力を尽くそう。そして最後笑って終わろう。
 
3年生へ
ラスト1年はあっという間。
後悔しないようにやりきれよ。
来年いい報告を待ってるぞ。
 
2年生へ
まだ2年あると思うなよ。
あと2年しかないぞ。
3年目は勝負の年。
期待しているよ。
 
 
1年生へ
良い新入生は入ってくるぞ。
浮かれていたらすぐ抜かされるぞ。
サッカーになれば学年関係なく自分の良さを出していけよ。
 
 
 
この大学生活において、僕に欠かせない存在、感謝を伝えたい人が4人いる。
 
1人目
Switchのゲームではライバルであるが、サッカーでは足元にも及ばなかった。
サッカー面では、常に目標とする選手だった。
私たちにはできない経験をして大学に還元してくれた。
これからはファンとして応援したい。
いつか同じピッチに立てるように頑張るよ。
その時はユニフォーム交換しような。
 
2人目
小学校の時から一緒にサッカーやってきたが、やっぱりうまかった。
高校3年の時、「大学で一緒にやりたい」と言い続けてよかった。
常に意識する存在であり、彼だけには負けたくなかった。
これからもそれぞれの道で頑張ろうな。
 
3人目
なかなか公式戦に出場できず本人が1番悔しかったと思う。
そんな状況でも悔しそうな顔をせず、黙々と努力し続ける姿を見て俺が勇気もらったよ。
勝負の世界は厳しいけど必ずチャンスは来るぞ。
良い準備をし続けろよ。
あと2年期待しているぞ。
ずっとついてきてくれてありがとう。
 
4人目
あなたという存在がいたから、ここまで頑張ることができた。
この4年間真剣にサッカーに向き合うことができたのもあなたのおかげ。
辛いことや苦しいこともたくさんあった。
その度にあなたの存在の大きさに気付かされたよ。
今までも、今も、そしてこれからもあなたという存在が私の原動力。
夢を叶えるためにこれからも走り続けるよ。
 
 
 
どんな時も私の味方でした。
川津さんは私にとってお父さんのような存在でした。
高校3年生の夏、実績もなければ、実力もない私を、快く日本大学に向かい入れていただきました。
試合に臨む時はいつも背中を押していただきました。
サッカーはもちろん、人としても成長させていただきました。
一緒に戦うことができるのもあと1試合です。
昇格が決まれば、私を優しく抱きしめてください。
 


晴暉がみんなからいじられている時の川津さんの笑顔だけは忘れません。
これからも四中工の後輩をよろしくお願いします。
 
 
4年間厳しい言葉をかけ続けていただいた小田島さん。
この4年間怒られた記憶しかありません。
それだけ私に真剣に向き合っていただきました。
どんな指示に対しても、全て私なりに受け止めていました。
 
私は練習前のスタッフルームで話す時間をすごく大切にしていました。
小田島さんにとっては、ただ、練習メニューを伝えるだけだったかもしれません。
でも誰にも邪魔されない、小田島さんとの時間は私にとって特別でした。
こんな私を今シーズン使っていただきありがとうございました。
 
 
 
そして家族へ
これまでサッカーでたくさんの経験をさせてもらいました。試合が終わるたびに連絡をくれるお父さん。自分の活躍を遠くから見守り続けてくれたお母さん。私のスパイクのために電車で往復3時間弱もかけて買いに行き、届けてくれた兄。4年間で1番大事な試合で2点も取ることができました。そして、どんな時も我慢して私のお古を使い続けてくれた弟。家族の存在があり、今の私があります。感謝してもしきれません。諦めが悪いですが、幼い頃からの夢であるプロサッカー選手になるために頑張ります。これからもよろしくお願いします。
 
 
https://youtu.be/uIOMVhocrA4
上記のURLより皆さんに見ていただきたい動画があります。
昇格が決まるまでは、たくさんの不安や恐怖があります。
そんな中で、少しでも自分の活力にしていただければと思います。
 
最後になりますが
日本大学サッカー部を日頃より応援してくださる関係者の皆様、
いつもありがとうございます。
今後ともご支援、ご声援のほどよろしくお願いいたします。
11月12日(土)11時キックオフ 最終節 明治学院戦
今年初のホームでの有観客の試合です。
引き分け以上で昇格が決まりますが、必ず勝利し関東1部に昇格させます。
ぜひ会場に足を運んでいただきたいです。
 
 
 
私なりに一生懸命綴ったnoteを
最後まで読んでいただきありがとうございました。

中村 健人(なかむら けんと)
〈経歴〉
SAN FC→伊勢市立宮川中学校→四日市中央工業→日本大学

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