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第27章 自然治癒力

夕方、校庭に立ち、ボーっと向こうを眺めていると、マリーのポケットで、スマホが鳴った。

電話の主は、「界だ!」

慌てて、スマホを落っことしそうになりながら、マリーは、スライドした。肩で、ポポ子がクスクス笑ってる。

「も、もしもし?」

マリーの声が裏返って疑問形のもしもしになった。ポポ子が更に笑った。

「マリー、さては仮病だな!」

懐かしい声に浸りたかったのに、いきなり仮病扱い。ほんとにそうなんだけどさ。

「いま、どこにいるんだよ!」

「ど、どこって、うちで療養中ですけど」

「またまたまたまた。嘘ばっかり!」

界は、なんだか、子どもみたいなふくれっ面が想像できるくらいのふてくされ声である。

「お土産買ってきてよ!」

「え?!」

マリーの肩で、ポポ子が「文鎮!文鎮!」と歌ってる。

「わかった! 浅草にいるんだね! 演芸場だね! さては!!」

「ち、ちがうよー!!」

ん? と、マリーは思った。

「界!! 聴こえるの?」

マリーが叫んだ。界は、意味わかんない!と言い、お土産に人形焼をリクエストして、電話は切れた。

「電話、切れたみたいですよ〜」

放心状態のマリーの肩で、ポポ子が言った。マリーは、ポポ子を見ると、

「界にも、ポポ子の声、聴こえたみたい...」

と言って、ふぅ〜とため息をついた。「うっわぁ〜」と、ポポ子は飛んで行った。

校庭の向こうは、影絵のような森と、細く長く伸びた雲達が。まるで、オレンジ色の燃える空に、指で白絵の具を塗ったみたいな空だった。

マリーは、ボソッと。

「帰りたくない...」

と言った。

「うそぉ〜」

ポポ子は、そこらを浮遊しながら笑ってる。

そう。界には会いたい。声を聴いたら、いますぐにでもね。だけど、帰るということは、マリーにとって、受け入れ難い真実と、また、向き合う日々に戻るということなんだ。

マリーの受け入れ難い真実。

それは、職場でのいじめと、あと一つは...

「十三さ〜ん! ごはんだよ〜!」

校長室から、蘭子さんがおたまを振って呼んでいる。

「夢みたい...」

マリーは、涙ぐんだ。こっちの世界のがいい。界に会えなくても、こっちの方がどれだけマリーの心を救ってくれるか。


お味噌汁をすすりながら、蘭子さんはニッコリして言った。

「ああ、そうなの、そうなのぉ? そんなにここを気に入ってくれたのねぇ」

「はい」

うんうん、と、蘭子さんは顔をクシャらせて、ニコニコしている。

「いつでも来たらいいよ。別にここは、異世界でも何でもないんだし。十三さんの家から、地続きであるんだし」

美優ちゃんの大きな目が、ウルウル光りながら、マリーを見ていた。

「うん...ありがとう...」

白米が、柔らかくて、ふっくらとしてる。白菜のお新香も、ほうれん草のおひたしも。きんぴらごぼうも、魚の煮付けも。

普段、マリーが食べないご馳走ばかり。

「カップラーメンばかり食べてるでしょ?」

蘭子さんは、マリーにごはんのおかわりをよそりながら、まるでお母さんのように言っていた。

ここの子ども達も、よく野菜を食べている。子どもだったら苦手そうなほうれん草のおひたしも、蘭子さんに、山盛り小皿によそられても、ペロリとたいらげた。

「ビール飲もうか!」

美優ちゃんが言った。

「うん! 飲も飲も!!」

蘭子さんも、マリーも。

「オレもー!!」

コウタくんが手を挙げた。「あんたは、牛乳だよ!」蘭子さんが、コウタくんのコップに、なみなみと牛乳をついだ。

まるで、あったかい湯気の中にいるみたいだ。美優ちゃんは、異世界じゃないんだからと言ってたけど、次来たら、すっかり消えてなくなってしまってないかしら? まるで、注文の多い料理店みたいに、ただの寒々した草原になってないかしら?

そんなふうに不安になるくらい、ここは、マリーにとってのユートピアになっていた。


「自然治癒力だよ」

二階のベランダで、美優ちゃんが、「はっ」と空に向かって湯気を吐いた。今夜もしばれる。秋なのに。

美優ちゃんは、月の明かりに照らされて、綺麗だった。こんなに綺麗な人を、男どもはおもちゃにしたのか。なんて下劣なクソなんだ。

「聞いてる?」

美優ちゃんは、結構真剣に話しているみたいだった。

「ごめんごめん! 美優ちゃんがあんまり美人だから、見とれちゃった!」

マリーは、頭をかきかき、「えへへ」とした。

「だから、人の心の傷やしこりなんて、自然に治るもんらしいよ。あれこれ、薬塗ったりしないで、自然に任せるが一番!」

美優ちゃんは、得意そうに言っていた。

「なにそれ! 名言! 蘭子さんの受け売り?」

「そう!」

と言って、美優ちゃんは吹き出した。2人で、ケラケラ笑った。

「そっと、見守ってる。必ず、復活する」

美優ちゃんは、自分の右手を胸にあてた。

「うん」

マリーも、右手を胸にあてた。トクトクと鳴っている感覚が手のひらに伝わってきたようだった。

生きてる。

目を瞑ると、なぜか、子どもの頃のマリーが現れた。昔飼っていた犬も、近所のおばさんも。そして、両親...

あの歌が...

美優ちゃんのあの時の顔。界の泣き顔。

自然治癒。わたし達には、治っていく力がある。影絵のような森の上で、チカチカと瞬いていた。

続く


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