見出し画像

「見られる。」/ショートストーリー

さっきから若い男がじろじろと私の顔を見ている。無遠慮というか不躾というか。私の顔になにかついているのか?それとも。絡まれるような恰好ではないというより充分地味な服装だ。化粧だってそんなに派手にしていない。ひとりで電車に乗っているのだ。よくある女性友達同士で周囲を気にせず大騒ぎで話しているわけでもないのに。それとも知り合いにでも似ているのだろうか。

ほんとに、何故私の顔を見ているのだろう。とにかく、こういう男はやばいに決まっている。難癖付けられないようにうつむいていよう。ああ。それでも視線がうるさい。男の方を見ないようにしているのに、こっちだってどうしても気になってしまう。

あら。隣の女性が何か男に小さな声で話しかけている。母親なのだろうか。息子に注意しているのかもしれない。

そうなんですよ。お母さん。お宅の息子さんが私の顔を絡みつくような嫌な目つきで私を見ているんです。辞めさせてください。もう、暴力です。

母親の注意がきいたのか、私を見ることはしなくなった。かわりに今度はスマホをいじっている。それでも、私の頭の中でとっくにその若い男性は危険人物となってしまった。やはり、次の駅で降りよう。

えー。何なの。降りる駅が一緒って。そんなことあるかしら。次の電車まで待っていられない。早く離れないと。なんだか私の後をついてきているような気がする。

てっきり母親だと思っていたけど違うのかしら。途中で別れたわ。それでなんで男のほうがついてくるのよ。怖すぎる。

私は自然と早足になった。男も合わせて早足になっている。この道がどこに通じているのか見当もつかない。逃げなくちゃ。怖さのあまり、駆け足になった。

そして、男が私の腕をつかもうとしている。つかまれたら最後だと私は思いきりバックで殴ってしまった。男はよろめいた。だが。

「はい。暴行罪です。」

私の前に男の母親だと思い込んだ女性が立って私にそう告げた。

「正当防衛です。腕をつかもうとしていたんです。」

「あなた。清水さえ子さんですよね。署まで同行していただきます。」

パトカーまで来てしまったので私は観念した。私は指名手配されて逃亡中の身の上だったのだ。


先輩の刑事が新人の僕をねぎらってくれた。

「お疲れ様。マスクしているのによくわかったわね。」

「耳です。被疑者の耳はとても特徴がありましたから。電車の乗る前の立ち食い蕎麦屋でマスクをはずして食べていたところを偶然見かけて、どうしても気になって。」

「人間違いでなくて良かったわ。」

「ええ。先輩に言われたので。スマホで画像を送って担当の安達さんにも確認してもらいました。ほぼ間違いないいだろうって、駅からの尾行途中に連絡がありました。」

「それしてもやっぱり新人ね。あんなに見てしまったら気づかれるわよ。尾行だって、私がいなきゃ逃げられていたかも。危なかったわ。それでバックでやられた腕は大丈夫?」

腕は痛かったが僕は苦笑するしかなかった。早く手柄をたてたいという逸る気持ちをおさえることができなかったのだ。もし、人間違いだったら大事になっていただろうな。


あちゃ。気を付けていたにもかかわらずあんな若造に見つかるなんて。それにしてもしばらくはシャバには出てこられないわ。捕まる前の食事が立ち食い蕎麦なんてわびしいこと。せっかくマスクをはずす時間を短くしようと立ち食い蕎麦にしたんだけど。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?