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音楽

私が生まれた家ではいつも音楽が鳴り響いていた。
私の母が仕えるご一家は、音楽一家だったのだ。私は生まれた時から、家の中で奏でられた音を聞いて育った。母は仕事でひどく忙しくしていたので、私は基本的に、ゆりかごに入れられて、音楽を子守唄に育った。もちろん、この家の子供たちのように、大騒ぎをするなんていう術も知らない。ただただ、音を全身で受け取っていた。

母と一緒に明日の朝食用のパン生地をこねていたとき、もう10歳くらいになっていた頃だと思う。その家の子どものマリヤが、グざりながらピアノの前に座って、教師とともに弾いていた曲も、私は一瞬で覚えることができた。鍵盤は、客間を掃除する木曜日にだけ見ることができたが、それを弾くことが許されなかった。マリヤにいたずらされて、鍵盤はいつもご機嫌斜めだった。私が上等な絹で優しく撫でてやると、鍵盤は、嬉しそうに艶を取り戻していた。
私の頭の中では、この家で奏でられた音楽が全て入っていたのだ。私の細胞の一つ一つに蓄えられていたといってもいい。聞かれることはついぞなかったが、あの曲の、あの旋律が変調するとき、どういう楽器が次に来るのか、ピアノはどのように叩かなければならないのか、答えはいつでも私の細胞から引き出すことができただろう。

ある時、いつもとは違う音楽家が家にやってきた。私はその宴の準備に追われていたのだが、そこで聞いた音には打ちのめされた。思わず、持っていた食器を落としそうになってしまったが、私は急いで、隠れて音楽を聴くことのできる中二階のスペースへといって、その方の曲を聴くことができた。演奏が素晴らしい時には、人々は食べるのも飲むのもやめてしまうので、ゆっくりと音楽を聴くことができた。私はこっそりとカーテンの影から見下ろして、演奏している音楽家の顔を見た。その人は、聴いている私を知っていたかのように、こちらを見上げた。届けるべき細胞の一つ一つを把握しているように、物陰に隠れて聴く私の存在を知っているかのようだった。私と音楽家は、その瞬間、一つになった。私は彼の音楽の一部になったのだ。この瞬間が生涯で一番幸せだった時の記憶だ。

そのまま歳をとり、この家で私は息を引き取った。金持ちの家で働くというのはきつい仕事だったから、わりと早く旅立ったと思う。あちら側へのトンネルへ向かう時、私のこれまでに聞いてきた音楽が屋敷中に鳴り響いたという。細胞にあった音楽が、ようやく行き場を得て、外に放たれたのだ。

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