犬山まちづくり自主学校(第3期) 第1回「同意って何?」
2月4日(日)、「まちづくり自主学校」(第3期)第1回こどもと大人のためのオンライン学びの場「同意って何?」を開催しました。参加者は小学生(高学年)から、中学生、高校生、大人という幅広い年代の方々です。
講師は元・保健室の先生で、性教育講師や思春期保健相談士として、全国各地で講演や授業、研修などを行っておられる、にじいろ・中谷奈央子さん。
モヤモヤ体験
はじめに中谷さんのモヤモヤした体験について、いくつか例を挙げて話していただきました。
たとえば、親しかった友達に打ち明けた話が、他の友達にも伝わっていたこと。自分の持ち物を親に勝手に親戚にあげられていたこと。気づいたら幼い我が子が知らない人から食べ物をもらって食べていたことなど。
そのときモヤモヤはしたけれども、相手に何も言えなかったし、自分でも何が嫌だったかよくわからなかった。そのモヤモヤを言語化することができたのは、性教育講師として経験を積んだ大人になってからだそうです。
モヤモヤの原因には何があったのでしょう?
そこには「同意なく境界線を越えられていた」ということがあったのではないかと中谷さんは説明します。
人それぞれの境界線
人にはそれぞれの「境界線」のあり方があります。
大きかったり、小さかったり、相手や時と場合によって伸び縮みしたり。
そして、見知らぬ人に対してはその境界線を守るのだけど、親しい間柄だとそれが勝手に乗り越えられることがありがちです。
どうしたらお互いを大切にすることができるのでしょう?
境界線、バリアの感覚は1人づつ違うもの。
知らず知らずにその境界線を乗り越えてしまって、人を傷つけることがある。
だから「同意」をとって相手の気持ちを確認する必要があるのです。
じゃあ、相手のきもちをたしかめるには、どうしたらいいんだろう? そのために頭に入れておいて欲しい4つのこと。
①声に出して確認
②「やめて」、返事なし→やめる
③「いやだ」は「きらい」じゃない
④「やめて」といっているのにやめないのは暴力
返事がなかったり、笑っていたりすると、同意があったと都合よく解釈しがちではあるけれど、そこは同意は取れていないということをきちんとわかっておく必要がある。さらに、「やめて」といってるのにやめないのは「暴力」になるんです。
「暴力」と聞くと身体的なものを思い浮かべがちだけれど、それだけではありません。相手の境界に勝手に侵入してしまうことが「暴力」につながるという話を聞いて、はっとさせられます。
中谷さんはさらにこう続けます。
このことは本当に1人ひとりが心に固く持っていたい考えです。
知らず知らずに人を傷つけ、傷つけられるということはよくあって、日常のモヤモヤの正体は、そうした傷つきにあるのかもしれません。
「イヤ」と「嫌い」は違うもの
そして、こうした同意や暴力について一つづつ丁寧に向き合っていくことは、必ずしも相手を否定することにはつながりません。
漢字では同じだけど、「イヤ」と「嫌い」は違うもの。
NOと言ってもそれはそのときイヤなだけ。NOと言い合ってもお互いの関係は変わらないことは、何度も確認していく必要があります。
でも、いざ困ったことがあったときに、なかなかNOということは難しい。
NOってあなたは本当に言える?
それに対して中谷さんは自分の体験からこんな話をしてくれました。
NOを伝えなくてはいけない、ではなく、
自分のできる範囲で、少しずつ自分の気持ちを大切にしていけるといいですね。
すべての基本にあるのは、
「あなたのからだも、こころも、あなたのもの」。
自分でどうしたいかを決めて、相手にも伝えていける関係性を少しずつ築いていきたいものです。
だからYESを伝えることや、自分のプレジャー(心地いい、幸せな瞬間)を求めることも、同時にとても大事なことです。
哲学対話:どうして親しい人にNOは言いづらい?
さて、後半は「同意」にまつわる哲学対話です。
進行役は幼稚園教諭で、哲学対話のファシリテーターも全国各地でつとめらている安本志帆さん。前半にお話しいただいた中谷さんも、後半は参加者の一人として、対話に加わっていただきます。
安本さんからまずは哲学対話の4つのお作法の説明があります。
①基本的な対等性をめざす ②安全な場をめざす ③しどろもどろさを楽しむ ④粘り強く聴く
次いで、安本さんから出された問いはこれ。
「どうして親や親しい人にはNOと言いづらいんだろう。」
それに対して、こんな考えが出てきました。
・こどもは親に対しては養ってもらっているという気持ちがある。親になってみると、こどもにはこれだけやってあげているという気持ちがでてきた。
・対等じゃない。
・こどもは親の保護がないと見放されると感じるのかも。
Q どうしてイヤというと嫌われると思っちゃうんだろう?
・言うことを聞くのがいい子という刷り込みがある。
・こどもがうまく表現できないでいるときに、親がどうしたいの?と聞いてあげると違う展開があるかも。こどもの問題だけじゃなくて、保護者の問題もあるかも。
・こちょこちょがいい例。大人はこどもがやだやだといってもくすぐるのをやめない。やめるときはこどもが泣く時。大人もその感覚をもって育ってる。みんながこどもの言葉をきちんと受け取る練習をしていかないといけない。
さらに、安本さんはこんな問いを投げかけます。
Q 刷り込まれているのも大きな要素だけど、刷り込み以外で何かない?
その問いに対して、小学生のこどもがチャットにこんなメッセージをくれました。
「僕がNOを言えない理由は、お願いされてると思うと自分の優しさが試されている気がするからやってやろうという気がするからです」
それに対し、またこんなチャットのメッセージも。
「ぼくはNOと言えます。理由はNOと言うと友だちがわかってくれるから」
こどもからの「自分の優しさが試されている」という言葉に、大人からはなるほどとの言葉も漏れます。
本当なら、「優しさとは何なのだろう?」とか、ここからまた1時間くらい対話を続けて深めていきたいところですが、今回はあっという間に終わりの時間がきてしまい、ここで終了となりました。
いろいろな問いがぐるぐると頭を回ります。
同意をとることは大事だけれど、その前に私たちはNOと言える?
少しイヤな気持ちがあっても人のために何かすることは優しさだと教わってこなかった?
どうやったらNOが言える関係性が作れるんだろう?
中谷さんが準備してくれたスライドにはこういう例もありました。
「いいよ」は本当に同意になってる?
本当の同意と本当でない同意の見分けはどうやってつければいい?考えれば考えるほど難しい気もしてきます。
でも、その一方で、
複雑な同意をめぐる関係性のなかから、一歩を踏み出して考える基本には、やはり「自分のからだも、こころも自分のもの」であり、少しずつ自分で気持ちを言葉にして伝える練習を積み重ねていくことが大事なのかなと思いました。
最後のアンケートでも、こんな感想をいただきました。
中谷さんから最初に紹介いただいた本のなかに、たきれいさんの「性の絵本」がありましたが、そこでは「自分の心と体は自分だけの大切なもの。同じように、相手の心と体は相手だけの大切なもの」ということを、0歳から伝えていける工夫がこらされていました。
小さい頃からの積み重ねが、きっと自分と相手の境界を大切にしながら、同意を伝えられるような心を育んでいくに違いありません。
「境界線」と「同意」については、ピルコンさんのこちら👇の記事もとてもわかりやすいので、ぜひご一読を!
★自分も他者も尊重するための 「バウンダリー」
講師の中谷さん、対話進行役の安本さん、ご参加のみなさま、ありがとうございました!
参考図書
【中谷さん執筆・制作協力の本】
にじいろ『10代の妊娠 友だちもネットも教えてくれない性と妊娠のリアル』合同出版
たきれい、にじいろ『性の絵本6』キンモクセイ(共著)
アクロストン『思春期の性と恋愛 子どもたちの頭の中がこんなことになっているなんて!』主婦の友社(制作協力)
蒼井まもる『あの子の子ども①~⑦』講談社(制作協力)
【その他の参考図書】
レイチェル・ブライアン『子どもを守る言葉 同意って何?』集英社
遠見才希子『うみとりくのからだのはなし』童心社
ジェイニーン・サンダース他『からだのきもち 境界・同意・尊重って何?』子どもの未来社
ジェニー・シモンズ他『いえるよNO!わたしらしく生きるための大切なことば』大月書店
【安本さんの哲学対話の実践例】
ミナタニアキ、安本志帆『こどもと大人のてつがくじかん てつがくするとはどういうことか』Landschaft
みんなの社会部NOTE:身体と心を守るおやくだち情報もご参考に。
text by aki
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