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「M-1グランプリ2018」によせて - たまにのエッセイ テレビとラジオ no.5

 漫才を観る理由。そんな事も考えず、ここ最近はGYAOで漫才をよく観ていた。M1グランプリの3回戦や準々決勝のネタが1つ1つ選んで観ることができた。それも片手で好きな時に。そんな時代に逆らい、先日テレビで観た『M-1グランプリ2018』の決勝戦はテレビの楽しさが詰まっていた気がする。スポーツ中継に関心の無い僕は、CM中に次の漫才を心待ちにする時間や「昨日のM1観た?」で始まる翌日の友人との会話など、放送時間以外のところで感じるテレビっぽさに懐かしさも感じた。大会の後日、M1の話を芸人がパーソナリティのラジオ番組で聴くのも楽しい。とくに今年は漫才のスタイルについて様々な見解が聴けた。フリップ芸のような漫才、伏線が散りばめられた漫才、言葉の音で笑いを生む漫才、舞台上の空間を利用した漫才。スタイルは様々ながら、決勝に残る漫才には構成や仕掛け的な驚きが目立つ。漫才とコントの境が曖昧になるように、漫才と演劇の境も曖昧になっているような気がして僕はドキッとした。

 「驚き」多めのお笑いが増えた近年、僕はお笑いに加えて幸福感を求めてしまう。漫才に限った話ではないが、ささやかな人の温かさがほしくなる。ちょっと何言ってるか分からない。そんな人はM1のかまいたちの漫才を見返してほしい。ボケ担当の山内が話す言葉を1つ1つ理解しようと真剣な表情で話を聞くツッコミ担当の濱家。その濱家の表情が山内の持論でジワっと笑みに変わる。松本人志が言った「イタチ多め」のイタチとは、この刹那の事ではないだろうか。漫才を楽しんでいるあの表情あの瞬間に、僕は何かが救われている。そんな矢先に聴いた『ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン』。ゲストで出演していたノンスタイルの石田が、笑みを滲ますかまいたちの漫才に対し「今のお客さんに合っていた」と話した。そしてその数日後、フジテレビで放送された『THE MANZAI 2018』 にて、ウーマンラッシュアワーの村本が「みんな見たくものを見たくないだけで、本当に見るべきものは沢山あると思う」という言葉を漫才中に放った。その言葉は時事ネタを扱った漫才においての発言だが、僕はノンスタイル石田の言葉と対になって聞こえた。

 見たいもの・見たくないもの・見るべきものが散らかっている今、モノを探して選ぶことに少し疲れも感じている。どんなものにも偶然出会えるテレビとの距離感が僕は心地良い。

2018.12.20

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