やっぱり体育会系組織は無理・・・

 久しぶりに書きました。

 ぼくがずっと恐怖を感じるものの中に、体育会系組織、もっと言えば旧帝国陸海軍を連想させる組織や人があります。
 今でも忘れられないのは、小学校一年生の時。山奥の木造校舎で複式学級。ぼくの同輩はぼくともう一人の2人でクラスは一つ年上の二年生2人の4人でした。担任の先生は昭和一桁生まれの軍隊チックな女先生。算数での九九なんかのときは、「Hiroくん、立ちなさい。九九!!!」と言われ、直立不動で「いんいちがいち、いんにがに、いんさんがさん・・・・くわしちじゅうに、くくはちじゅういち!」といい、先生が「よろしー!!!」という感じ。少しでも詰まろうものなら、「蛍光灯!!!」と言われます。そう、スイッチを入れてもすぐにつかない蛍光灯ではいけない、バルブの白熱電球のようにすぐパッとつかないといけないという、今ではあり得ないものでした。

 少しづつ大人になり、社会科や語学に興味が出てきて、いじめとかに遭う中で人権について考え始めました。法律を勉強したいと思いましたが、大学に行くお金がなく高卒で働こう、でも独学で技能を身につけようと思い、高校時代は休みの日の家の百姓仕事のかたわら、語学や一級の知識人が書いた本を読み漁ってました。

 幸い、思いもよらず大学進学を強力に進めてくれる人がいて、もったいないことに東京の大学に行きました。が、大学であまり見るべきものを感じることができませんでした。ぼくは「中退して就職しようか」と正直考えることもしばしばでしたが、一つのことを成就させて帰ろうと思い卒業。その後、地元の役所に就職しました。

 役所は以外に体育会系な人が多く、何か小学校に逆戻りした感じでした。そのうち精神を病み始めついにはパワハラでうつ病に。一昨年に辞めるまで22年3ヶ月間、老後の公務員年金の積立をせねばというその想いだけで繋いできました。

 今、大学時代に学んだ法律を生かし、消費生活センターの仕事をしています。その中で思うことがあります。それは、ぼくは人並みのことができないということ。ただ、興味あることには文字通り没頭するということです。

 普通に真面目に組織の不条理に耐える、いわゆるこの日本社会で標準とされる生き方が、僕にはやはりできませんでした。その意味では、幼い頃に感じた恐怖は不幸な形で的中したように思います。

 また、自分が一人でやっていくことに自信さえ失ってしまった感もあります。「公務員もできない者に、そんなことできるわけがない」と。

 ただ、消費生活センターに寄せられる多重債務、悪いサイトでお金を何百万も使い込んでしまった・・・という相談に、意外にもさくさくっと対処できる自分も発見しています。150万円の返金ができて相談者に感謝されたときは、「僕も捨てたもんじゃないのかな」とぼそっと考えてしまいます。

 体育会的な「鍛え」を食らうとパニックになって無能宣告されるけど、自発能動やるとどんどんはかどる僕の特質を、肯定的に見て伸ばしていきたいなぁと、ふと思ってます。

※一人で旅したカナダ・モントリオールの郊外・モントランブランの秋のメープル紅葉です。レンタカーで走った道路は壮観でした。ふるさとに帰った安らぎを感じました。

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