「人生100年時代」について思う

 43歳の私ですが、過去医者にかかり薬を飲み始めてからでも16年、実際はそれ以前からうつ的な状態にあったので、人生の半分以上はうつ状態のなかを過ごしてきたことになります。

 そのなかでも、婚活パーティ、お見合い、ネット婚活などなどに費やした時間と、そこから得た虚無感とどうしようもない非モテな気分は、人生をますます悲しみに突き落とすものになりました。加えて、思春期あたりには周りに比べて老成した感じの雰囲気もかもしだしていたようなので、口の悪い人にはよく、「子ども時代から、遊んで楽しむ普通の青春をスキップして中年の入り口にきてしもうたのぉ。」と言われてしまうことがあります。

 かの有名なダンテ「神曲」ではその冒頭の「地獄編」の始まりで、ダンテが30歳のときに人生の迷いに入ってしまい、否応なしに地獄を回らなくなってしまったとあります。僕の場合は、それより早い20代で地獄に入り、現状を楽観的に見ても地獄編の次の「煉獄編」にまだいるような気分です。

 ただ、ちょっと心を落ち着かせ、また慰めを感じているのは、当時との平均寿命の違いです。ダンテがいきた頃は、50歳とかだったのかなぁと思うのですが(1300年当時のヨーロッパの平均寿命は何歳だったのでしょうか?)、いまは日本人男性でも81歳、もっと言えば100歳まで生きるのが珍しくなくなるだろうということです。65歳で仕事を辞めても、その後の人生がまだまだ長い。これをどう過ごすのか、考えてしまいます。

 もちろん、「こんな人生もう嫌だ。認知症になり介護のお世話になる、そんな惨めな人生になる前に、早くお迎えが来てほしい」という気持ちもあります。その一方で、もし元気に生きてしまったらどうするか。もちろん、それまでの人生の苦しみから逃れるために隠者のような生活をおくることも考えますが、どうせなら内面の健康を保ちながら外界ともつながり、心身ともに健康にすごし、物心両面にわたって恵まれた生活をしていたいとも思います。

 そして考えるいまあるべき生活を考えるとき、定年まで我慢して勤め余生を安楽に過ごすか、我慢をやめて自分のあるべき生活を探求し、少しは生活レベルが落ちるけれども長くできる仕事をすべきか、考えます。いままで、前者の生き方にしがみついた生活をしてきたので、後者を選ぶことは奈落の底に落ちるような気分にも正直なります。ただ、歳をとって世を去るときに、「自分の人生は我慢の連続だった」というのも、嫌なものです。

 うつでの決断はつらいものです。いま、連日の悪夢にうなされて過ごしていますが、どうすればいいのか、思沈する毎日です。

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