人生初入院。

生まれて初めて「入院」した。9月下旬の土曜日の午後、気がついたら病院のベッドに横たわっていた。腕には点滴が繋がっている。その朝、朝食を食べたところまでは覚えている。しかし、その後の記憶がぽっかり抜け落ちている。不思議な感覚だ。

数時間の記憶が飛んでいる。

あとで家人に聞いた話から経過を再現してみる。朝食の後、8時からzoom会議に出た。その後、メンバーを変えた2回目のzoom会議に出ていた。どうもこの2回目の会議の途中で「発作」が起きたらしい。家人よると、2回目の会議から様子がおかしかったようで、横で会議の様子を見ていたという。送られてきたきた資料を開くべきなのに、すでに終わっている1回目のzoom会議の招待メールを何度も開こうとしている。様子がおかしいと感じた家人はzoom会議に割り込んで「体調が急に悪くなったようなので会議を一旦中断してほしい。2〜3時間後に再開してほしい」と言って会議を中断させたという。休ませようとしても、パソコンから離れようとしない。何度も最初のzoom会議の招待メールを開いて会議に参加しようとする。「もう終わっているんだから」と言っても聞かない。現在、自宅のマンションが現在大規模修繕工事で足場が組まれているが、それを見て「あれは何?」と不思議がっていた。血圧を測ってみると200を越えていた。脳梗塞や認知症を疑った家人は、救急に電話ををかけた。症状を聞いた救急隊員は脳神経外科のある病院に行くことを提案し、宝塚市内の2つ病院、隣の川西市と伊丹市の病院を教えてくれた。家人は市内の2つの病院に電話をかけて問い合わせたが、担当医が不在とかで2院とも断られた。川西市の方は自宅から少し遠かったので、伊丹市の病院にかけると、すぐ来院するように言われた。タクシーを呼んで病院に向かった。病院に向かう間も、僕は「え、なんで病院に行かなあかんの?」と問い続けていたらしい。病院で診断を受けると、手足の動作など、身体機能は異常なし。自分の名前や生年月日などは正しく答えられたという。簡単な計算もできた。唯一ぼんやりとだが、MRIのトンネルの中に入ったことだけは覚えている。よほど強烈な記憶だったせいなのかな。医師の診断を受けたことも全く記憶にない。病院のベッドに横たわりながら、頭の中にはいくつもの「?」が浮かんでいた。「何が起きた?」「なぜ、ここにいる?」「何の病気だった?」しかし、その日の記憶が一切存在しないため、僕に何かが起きたは全く不明のまま。家人や医師と何を話したのかも記憶になかった。ただ、自分の脳に何かまずいことが起きたことは漠然と感じていたと思う。

一夜だけの入院生活。

夕方、担当を引き継いだ看護士がやってきて、いくつかの質問をして、血圧を測った。トイレに行きたいと告げると、ついてきて、「ドアの鍵はかけないで」と言われた。ベッドに戻ると、看護士は「だいぶ落ち着いてきたので、週明けには退院できると思いますよ」と言った。『え、僕は入院したわけ?』『いつまで?』『そんなに重症だったの?』それと同時に『仕事はどうなった?誰か他の人に代わってもらわないと』『翌朝10時からマンションの防災委員の会合、欠席すると伝えなきゃ」と心配事が続出。この頃にはもう「発作」は収まっていたらしい。周りも見回すと私物が一切無い。スマホも時計も、財布も無い。テレビも付いていない。家人と連絡を取りたかったが連絡の方法なし。先ほどの看護士が通りかかったので、家人に電話したいことを伝えると、彼の携帯電話を貸してくれた。家人に電話すると、「Mさんに連絡した。仕事は大丈夫。明日の防災の会議も欠席すると連絡ずみ。診断は一時的な記憶障害らしい。脳梗塞の疑いもあるらしいよ。明日、9時に色々持って行くから」という。スマホと読みかけの本を何冊か持ってきてもらうように頼んだ。多分夕方5時ごろに、人生初の病院食。美味しくはないが、昼食を食べていなかったので完食。ベッドの場所は、看護士ルームのすぐそばで、隣のベッドの患者には頻繁に看護士が様子を見にくる。時々呻き声が聞こえてくる。様々な機器の作動音やアラームの音が気になって眠れない。病院の夜って、こんなにうるさいものだったのか。本もスマホもなく、時間が耐え難いほど長く感じた。

翌日曜の朝、再びMRI検査を受ける。MRI検査から戻ると、4人部屋に移動になった。部屋に戻って朝食。9時過ぎに、看護士が家人が持ってきた荷物を届けてくれる。面会に来ないのか?現在はコロナ禍で面会はできないらしい。荷物がやたら多い。洗面道具、着替えなど数日ぶんもある。『週明けには退院できるのだから、こんなに要らないのに』と思った。この時点では、まだ脳梗塞などの疑いがあり、その場合は1〜2週間入院する可能性があったようだ。その後、医師がやってきて「MRI検査の結果、脳梗塞、脳萎縮などの異常がありませんでした。今回は、いわゆる一過性の健忘症だと思う。再発の恐れも少ないので、ご希望なら今日にでも退院できるけど、どうしますか?」と聞かれる。即座に「退院したいです」と答える。その場で家人にスマホから電話をして迎えに来てもらうことにする。ベッドに戻ると点滴も外された。届けてくれた服に着替えて、荷物を片付け、本を読みながら家人を待つ。

診断は「一過性健忘症」

家人が来たので、3階の病室から1階の待合室に降りる。家人と一緒に医師と面談を受ける。「診断は『一過性健忘症』。ある日突然、記憶に障害が出る。自分がどこにいるか、何をしているかが急にわからなくなる。症状は1〜8時間程度続き、多くの場合、24時間以内に回復する。再発はほとんどない。脳の海馬の部分の血流が関係していると言われているが、原因は分かっていない。年に3名ほど、そういう患者が来る。脳梗塞などでも同様の症状が出ることがあり、その場合、発症直後のMRIの検査では異常が見つからないこともあるため、今朝、2回目のMRI検査を受けてもらった。今朝の検査でも脳梗塞、脳の萎縮、血管の異常も見つからなかった。治療の必要はないので、退院していただいて結構です」血圧が高いことは関係あるかという質問に、「今回、直接関係はないが、高血圧は、脳梗塞などに繋がる可能性があるので、要注意。しばらく安静にしたほうがいい。循環器系の病院で一度検査を受けたほうがいいかもしれない」とのこと。

退院した翌々日、市内の病院の循環器内科を受診。心電図などの検査を受ける。結果はほぼ異常なしで、血液中の塩分が高いのではないかという診断。減塩を心がけるように言われる。当日からしばらく減塩生活が始まった。高血圧はしばらく続き、2週目の後半からようやく下がり始めた。これを書いている時点で、ほぼ正常に戻っている。ネットで「一過性健忘症」を検索してみると、たくさん出てくる。正しくは「一過性全健忘」というらしい。割とポピュラーというか、ありがちな病気なのだなと納得。ただ一つ残念なのは、発作(と呼ばれている)が起きた時のことを僕自身が全く覚えていないということ。だから、恐怖も不安も感じることなく、不思議な感覚だけが残る体験だった。今回のことで迷惑や心配をかけた皆さんには、心よりお詫び申し上げます。




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