夜、そして朝、独占する風景

夜中まで本を読み耽ったり、調べものをしたりして寝る時間が遅くなりがちな私は、真夜中になってもつい寝室のカーテンを閉め忘れたままにしていることがある。そんなある深夜1時過ぎ、寝る前にカーテンを閉めようとしたとき、1ブロック先のアパートの明かりが点いている部屋が目に入った。向こうからすれば北側に当たる部屋だが、トイレと違って部屋の電気を消し忘れているとも思えない。私のように本にでも夢中になっているのだろうと思い、そのままベッドにもぐりこんで寝た。

翌朝、ベランダで栽培している6株のバラのうち、小輪ではあるが寒さに強く、優雅な香りを持つ粉粧楼(Fen Zhuang Lou:フェンジュアンロウ?日本語名:ふんしょうろう)の硬い蕾が、冷たい風にコロコロと揺れているのを眺めるついでに、その窓に視線を移したが、特に意識することはなかった。しかし一日が終わり、真夜中になって外を見ると、やはり明かりがついている。一人暮らしだろうか?それとも?余計なことだと分かっていながらも私は考え始めた。部屋の広さはこことさして変わらないと思われる。まあ2DKから2LDKといったところだろう。こちらは5階建ての5階、あちらは3階建ての3階。こちらは古くて殺風景でいかにも団地タイプ、あちらは外壁がレンガ建材で覆われている。そのエレガントな佇まいは、私が昔、別の街に住んでいた頃のアパートとどことなく似ていて、懐かしさを感じる。

数日経つあいだ、カーテンを引いたりブラインドを閉じたりするたびに、住んでいるのは男だろうか女だろうかと考えるようになった。5階と3階。昼間でも窓から外を見れば、意識がおのずと私の視線を決定する。昼間は外出しているのか寝ているのか、ベージュのカーテンは引かれたまま襞さえピクリとも動かず、裁判で黙秘権を行使する被告のように沈黙を貫いている。でも私は部屋の主が何時頃に明かりを灯すのかということには興味がなかった。ただ夜のあいだぶっ通しで明かりがついていることにのみ興味があった。しかし明かりの点いたやや大きめの長方形の窓がいくぶん温かさを帯びても、窓際に人影が動く様子はない。

男でも女でもどちらが住んでいても構わないが、何度も窓と目を合わせているうちに、あの深夜の窓を知っているのは自分だけのように思えてきて、何となくシンパシーを覚えるようになった。そして私は、こんなとんでもない時間に起きているのはあなただけではないわよ、と心で呟くようになっていた。

職業は水商売だろうか?水商売ならカーテンの隙間から朝日が差し込むことすら許さないようなあの昼間の拒否感も説明できそうだし、深夜に帰宅して明かりを点けてくつろいでいるのかもしれない。それとも執筆業なのだろうか?多忙で名の売れた作家なら自宅よりホテルで執筆することが多いだろうから、売れない貧乏作家だろうか。売れようが売れまいが作家には酒豪が多いが、もし貧乏作家が村上春樹や村上龍のような年寄りなら、どれだけ飲んだところで体力が持たずにこの時間は爆睡しているだろう。私は、もっと現実的に考えろ、と自分に言い聞かせ、べつの路線を考えることにした。

案外、証券会社のIR担当者かもしれない。彼らの話を新聞で読んだことがある。朝から海外市場をチェックして、出勤中でも金融サイトを確認する。出社と同時にアナリストのレポートを読んで、メールを処理し、機関投資家と面談する。東証が終了したあとだって、欧州市場が待っている。夜に帰宅した頃には米国市場が目を覚ます――これなら分かる。寝る時間がない。電気が付けっぱなしになるわけだ。金融業とは何かと課題の多い業界だな。
・・・と、そこまで考えたところで自分のほうが眠くなり、もう知るかと、自分の偏狭な発想に嫌気がさして寝てしまった。

それから更に数日後の朝7時半頃、ベランダに散ったバラの葉を箒で集めているとき、突然あの部屋のドアが開き、中から人が出てきた。若い女性だった。

真っ赤な細身のコートを着ていて、遠目にもその可愛らしさが分かる。どう間違ってもIR担当者ではないだろう。では電気は消したのかとドアのすぐ隣の窓を見ると、ベージュに僅かな金色が混じり、ほんのり明るいままのようにも見える。気づかなかったが、昼間も点けっぱなしのようだ。
そうか、そうなのか――自分がそうでないので分からなかった。
帰って部屋が真っ暗だと寂しい、真っ暗な部屋で寝るのは怖くて心細いという女性は案外と多い。

7時半に部屋を出て出勤。今の私とは大違いだ。沈黙の窓の向こうには勤勉で可愛い女性が住んでいた。それが分かったところで私は何をするわけでもないし、関心が増したわけでも減ったわけでもない。彼女がふとこちらに視線を上げたとしても、そこには飾り気のない冬のベランダ以外、何もない。

私はバラに目をやる。数少なくなった粉粧楼の蕾が最後の力を振り絞って開こうとしている。花の外側は白く、内側に向かってピンクが濃くなっている。見ている側が毒気を抜かれるほど健気で清廉でありながら、あくまで優雅。あのクリムゾン・グローリーよりさらに古い19世紀のオールド・ローズだ。冬のバラは長い時間をかけて、見る者を焦らすようにゆっくりと開いていく。全体の花数こそ少ないものの、花弁数が多く、姿形が締まり、凍てつくような寒さの中で人々の鑑賞に堪え得る存在感を示す。

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年が明けて春になっても彼女があの部屋にいて、このベランダで咲き誇るバラたちに気づいてくれたら、彼女は元気が出るだろうか?

彼女は手に手袋をつけて息を吹きかけ、歩き出した。それは行くべき場所がはっきりしている人の足取りだった。真っ赤なコートは冬の灰色の景色の中で、唯一の美しい差し色だ。彼女はどこへ向かうのだろう。私はベランダの粉粧楼と並んで、彼女が視界から消えるまで見つめていた。



#日記 #バラ #粉粧楼

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