夫婦と男女の話

まずは我が家について。生なましい話をする気は無いですけど、男女の話です。苦手な方はご遠慮ください。

近頃の悩みは、息子がすぐ脱ぐことですね。
なんでしょうね、センシティブな部分が気になるお年頃です。
次に夫婦の話です。よく二人でラジオを聞くのですが、そこでとんでもないおハガキを聞きました。

「このたび溺愛していた息子(40歳)が、ようやく結婚しました。産まれてからずっと、お風呂で体を洗ってやっていて、その役目は結婚後も私が続けるとお嫁さんに譲りませんでした。本当はもっと条件出したいけど、幸せを祈っています」


お茶を吹くとか
「ファー?!」という、とか、
コミカルなことにはならなかったけど、

耳を疑い
正常性バイアスが働き、
なにかこう、息子さんは介護が必要な状態なのかと(それでお嫁さんがすぐ上手くはできるとは思わないから、母親がやる)なのかな、と思いました。


とりあえずそういうお話はされていなかったので、それゆけメッセンジャーの黒田有さんは、シンプルに「それはアカン」と言っていたのですが、一体どういうことなんでしょうか。

そのあと、関西の某私立学校で、学生が買った大麻を没収したものの学校の評判が落ちることを恐れ、あろうことか保護者に返した、というニュースを聞きました。


人間の情緒というのは不思議なもので、後者の教職者たちには、子どもの将来を考えない行動に嫌悪感はありますけど、前者のお姑さんよりは

気持ちが理解できる。

ね、前者は犯罪では無いけれど、後者は犯罪を知っても届けない、これは犯罪なのに。不思議ですね。


さて、私の別れた夫はまあまあろくでもない人で・・・いくら浮気や不倫の行為自体を許せても、家庭の外で子どもが増えるとトラブルになるので、かねてより
「奥さんは裁判で夫を去勢させることができたら良いのに」と、過激思想をぶっていました。

けれど、昨今の、海外で聖職者が児童や同性に対する性犯罪で訴えられているのを聞き、
これにもまた憤慨していると、主人に言われたのです。

彼らは中国の、昔の宦官と同じで、本能を強権的な力で奪うと、妙なベクトルに向かうことがあるらしい、と。


そうなの?!いや、そうなのかも。

映画知識は思想に歪みを与えます。

暴力的な解決方法は即効性はあるかもしれないけど、新たな問題を産むだけですね。
歪みを与えたらしい名作ご紹介。


ハードキャンディとジュノは、映画館で見たインセプションのエレン・ペイジに感銘を受けて、一人暮らしをしていた当時、ツタヤで借りて見ました。

どれも面白かったです。



ハードキャンディとドラゴンタトゥーの女は、主演の女性のカラーが似ています。
ハードキャンディとジュノは、主演の女性は一緒ですが、作品内で語られる女性のイメージは異なります。

こうしてみると、私の関心が女性の内部に向いているのが分かります。今後は男性を多方面から見ていきたいのですが、どんな感じの作品を見ていったら良いでしょうか。


男女をよく知り、男女関係を把握することは、なにも自分で物語を作るだけでなく、現実で人間関係を築くのにとても大事なことです。

同志少女よ、敵を撃て、でも、

セラフィマが第二次世界大戦中において、各国の女性がどの立場にいたか、わかりやすい比喩で語っていました。

アメリカ
 チアリーダー
ドイツ
 台所
ロシア
 戦場に立たせ、男女同権をアピールした。


今でも、どの国にも、男女の差はあり差別は存在します。ただし、差別には少なからず「差別を許してもらうための特権」も見受けられ、それを保持したまま男女同権を訴えることは、さらなる歪みを生じえます。


これは知人の話なのですけど、旦那さんに浮気され離婚した女性がいるのです。彼女の印象は、分かりやすいけれど表しにくい人で、まず第一に悪い人ではありません。けれど、言いにくい家庭のご事情を、すぐに人を信用して話してしまう人で、しかも、「浮気された」という経験が彼女の中で咀嚼できておらず、すべての判断の軸になってしまっているのです。

鬱と診断されたそうなのですが、その話を聞いた時点で、離婚から一年が経過していました。
また、元旦那さんの浮気相手は別部署に飛ばされているものの、別れた旦那さんと浮気相手が同じ会社というのが針の筵らしく、病状は一進一退を繰り返しているとのことでした。

会社を辞めたいけれど、生活基盤が揺らぐ懸念、「なぜ悪くない私が辞めなくてはならないのか」ということです。

旦那さんへの不満はさらに、養育費を出し渋ったことなどに続きます。
ただ不幸中の幸いといいますか、どうも慰謝料は事例における相場満額を相手方に払ってもらったらしく、美容費に使っているようです。

心情としては理解できる事が多いのですか、制裁、精算は済んでいるのにも関わらず、なおも元旦那さんと浮気相手への怒りが消えないこと、それだけなら良いのですが、更にそれが
「なぜ私が会社を辞めなくてはならないのか」という意地が、自分を幸せにする以上の優先事項になっていることが問題です。


ここからさらにもう少し、踏み込んでみます。

短編〜中編小説、「うさぎの校舎」には、主人公のセクシーな行為を書いています。

※noteで公開しています。

ただのポルノシーンではなく、男女の意識の違いを描いた(つもり)です。 

この男女差は血なまぐさい争いになること、古今東西少なくないです。

あとは、そうですね、


そういえば
ぼくはお金を使わず生活してみた の、作者のマーク・ボイルさんが

ギブファーストの精神を
「恋人同士のセックスか売春の違い」と、表記していました。

あと、池澤夏樹さんの、すばらしい新世界の続編「光の指で触れよ」には、いくらか官能的なシーンがあります。

文学にセックスのシーンは珍しくないです。


けれども性の問題、男女の関係というのは、有史どころか地球生誕以来から生物全てにからみつく問題でありながら、

逆に「一体なんなの?」

漫画でもセックスレスをテーマに扱ったものが多くあり、関心はあって読んだりもするんですが、私はあまり深くハマりません。なぜなら巷では「一ヶ月以上、夫婦の行為がなかったらセックスレス」という定義はあるらしいのですが、私としては「問題視したときに問題になる」ことだと思うので、夫婦の関係をセックスに限り掘り下げるほどの関心が無いのです。

夫婦間の感情を、リアルに、うまく描いている漫画ほどよい作品と思うのですが、やはり結論として白黒ハッキリしてしまうものほど興ざめです。

と、いうのも
 性の問題というのはもっとも身近な哲学のテーマと感じるからでしょうか。

作品に性を全く出さないほうが難しいです。
神様にだって性別はある、両性具有、アンドロギュヌスという妖怪か神様みたいな存在は知っていますし、生き物として一個体に男女両性で生殖するものもありますけど、やはりそれは無性ということと違います。


時代としては、「幸せ」という獏としたものでもお手軽な、ショートカットが好まれる傾向は、あると思います。特にエンターテイメントコンテンツなら、もし男女の幸せを描こうと思うと、男女差を出さないよりもむしろ、露骨に差を出すほうが物議を醸しますし、嫌われますね。

たとえばざっくりとしたストーリーの大枠で、主人公が弱いなら、物語終盤に向かうにつれ強くなりますよね。
なにかのサービスを受けるとき、目的のものと反対の状態が現在です。
不可逆のはずの時間ですら、アンチエイジングということばがありますね。

けれど、男が嫌だから女になる、とか、女が嫌だから男になる。これは決してそんなことないわけです。一事が万事、好みで決まるような世の中になりつつあっても、これはまたLGBTQという違う問題で、性は「先天的に与えられたもの(?)」を自認することが必要なのであって、優劣をつけられることでは無いそうです。どう考えても性的マイノリティは、「語ってはいけないこと」とされる故にマジョリティよりも艱苦を味わっているのですが。

これってとても不思議なパラドックスです。

優劣をつけられないのなら
好みで決めてもよくないですか?

けれどもこの問題について、男だからキライ、女だからイヤ、と他者に伝えることは、

 差別

だと言われます。


私達人間が、まず最初にやらなくてはならないことは、生まれ持った性質について不満があっても、受け入れ諦めるということです。
しかし、その後の教育というと何かにつけて諦めないで頑張れ、と教えられるのですね。
はやくから頑張ればなんとかなるって。
本当だろうか。
それならまず、産み分けからしてどうにかなっても良い気がしますね。

注意してほしいのですが、これは私の願望では無いです。なぜ諦めない人がいるのか、わからないです。私の中では問題になっていないけど、問題に感じる人が多いなら解決策が講じられても良いのに、というお話です。

なんだかんだ、性差を縮める動きは著しく鈍いのは、企業やはては世界という大きなものが、(どちらかというと)男性主体で動いているから、という話に感じるのです。

だから差別だと言いたいのではないです。
これを女性主体にすると、それまでは無かった別の問題が噴出しそうだし、男女同権にすると、衝突するポイントが増えて弱者が置き去りになりそう、と思う。

個人の問題とか定点的に、
 男だから、女だから、という話はできても、結局絶対的にどちらが良い悪いの結論は出ないからです。


世界の運営にイニシアチブを取ることについて、男女同権が良いという理想はわかりますけど、それは未だかつて現実になったことのない世界ですし、必ずしも、50/50が良い状態なのかどうか?は分からないですね。



さきほど不倫の例を出しましたが、パートナー以外とのセックスが幸せのすべてを破壊するのが真理なら、性は無いほうが幸せという極論にもできます。

この結論には違和感を感じられる人が多いと思います。ポリティカルコレクトネスを無視していうと、性別とはもっとも分かりやすい人間の欠陥です。だから「愛おしい」と感じるわけです。


「困った知人」でお話していた彼女の夫婦関係は、どうも彼女には家庭を支えているという自負と、共働きであったり男女逆転しているご家庭で、これまでに無かったような問題を見聞きすることがあいまって

 昔ながらのやり方が良い

と、固執しているのを感じます。


国単位でも、ひとつの家庭単位でも、言えるのは、変化の多い世の中で不完全な人間だからこそ、コミュニケーションが大事です、と、

月並みながらそういうことですね。

セックスという行為にもコミュニケーションがあるかどうか?です。言うまでもないですが、お金がからむと目的へのショートカットになる代わりに、コミュニケーションが省略されます。で、あるなら意味のない行為にもなります。

バレンタイン・デーは終わりましたが、4月23日は、サン・ジョルディの日と言って、スペインカタルーニャ地方で大切な人に本と薔薇を送る日だそうです。

夫婦や男女の問題、あらゆる人間関係の問題は、セックスレスではなくて、コミュニケーションレスから生じるので、こういったカップルのイベントをきっかけに動いてみるのが近道と思います。





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