天罰

御無沙汰しております。
我が愛すべき御父様、御母様。
お変わりございませんようで安堵致しました。いえ、ね。先日の風雨でせっかくの満開の桜が散ってしまったように、我が父母もまた私の知らぬ間に儚く散ってしまっているのではないかと思うと気が気ではなかったのでありますよ。
私がこうして久方ぶりに御父様、御母様にお目にかかったのにはある重大なる理由がございます。お心当たりあれば幸いでございますが、それ所ではないといった御様子ですね。実の両親にこのような事を改めて申し上げるのは照れくさいというものですが勇気を振り絞ってお伝えしたいと思います。伝われば幸いですが伝わらなかったとしても致し方ない事と覚悟しております。
御父様、御母様。私はあなた方の子供として生を授かりとても幸せでした。もし生まれ変わりというものがございましたらまたあなた方の子供として生まれたいものです。なんて事は言いません。そんな頭にお花を植え付けられた可哀想な子供染みた事は申しませんし思いもしていません。事実、私は周囲からは優しく真面目で気が利く良い子と評判の者でありますが、一体どんな育て方をすればこんな立派な子が出来るのかしら一度御両親を伺ってみたいものだなどと評判の若者ではありますが、微塵も思わないのです。私の評判は言わば私の努力の賜物。冷徹なる道徳心。迷いなき遵法精神によるものなのですから当然と言えば当然です。いいえ、“微塵も思わない”は事実ではありませんね。私という人間の土台は確かにあなた方と過ごした幼少の頃に積み上げたものなのですから。

所で私、御父様の口癖で心に残っているものがあるのです。身を美しくすると書いて躾。なんて素晴らしい言葉なのでしょう。御父様はよく「これは躾だ!」と厳しく接してくれたものです。お陰で私は自分を厳しく律する人間になる事が出来ました。対して御母様は「これはあなたの為よ!」と愛情深く接してくれました。時にヒステリーな声をあげる御母様を私自身心苦しく思いましたが、御母様は私の為にしているのだ、私の出来が悪いから御母様は私の為に身を削って厳しくしているのだ、御母様も辛いのだと思う事で私は大切な人へも厳しく律する人間になる事が出来ました。

そうそう所で、最近私は言葉の類語を調べる事に凝っているのでありますがどうも腑に落ちない項目がありまして。それは愛という言葉なのですが。愛という言葉は人を想う事、無償の情を提供する事という意味ですが、世間一般では肯定的な意味合いで受け取られています。ですがそれは事実でしょうか? いいえ、事実ではあるもののそれは愛の一側面でしかないのです。氷山の一角と申しましょうか。僭越ながら私は愛の類語としてこれらを付け足したいのですよ。押付、歪み、隷属、身勝手さといった類いを。

それはさておき、愛の本質とは何か。それは神に仕組まれた種の存続への解、目的の為の非情な装置、つまり個を無視した傲慢さなのですよ。
ああした方が良い。こうした方が良い。
あれをしてはならない。これをしてはならない。
ですが得てしてこういったものは利己的に陥るもので。神の意思を勘違いした人間のなんと多い事。そんな愚か者に裁きを下さねばならないのは当然の事。それが例え愛すべき肉親であったとしても。

そんな目で私を見ないで下さい。
私だって辛いのですから。

所で、個性という言葉は大変使い勝手の良い言葉だとは思いませんか? 個のサガと書いて個性。世のあらゆるものも個性という言葉で言い表す事が出来てしまうというものです。
優しさも真面目さも、喜びも悲しみも、強さも弱さも、気高さも醜さも、暴力も癇癪も、若気の至りも更年期も、健常も精神疾患も、尋常も異常も、被害者も加害者も。
何でも個性で流す事が出来る。便所紙のような利便さと言えます。
だからあなた方の行いも個性故の結果。
迎える結末も個性故のもの。
こうして花を散らさんとする風雨な私もまた尊重すべき素敵な個性。

そう思うと少し、救われた気持ちになりませんか?

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