指揮者の小澤征爾さん死去、88歳 戦後日本のクラシック界を牽引
世界の楽壇の第一線に立ち続け、戦後日本のクラシック音楽界を牽引した指揮者の小澤征爾さんが6日、心不全で死去した。88歳だった。葬儀は近親者で営んだ。後日、お別れの会を検討しているという。
小澤さんの師匠はドイツ仕込みの斎藤秀雄。ウィーン国立歌劇場の音楽監督を務め、ベートーベンの交響曲の全曲演奏に挑む。そんなキャリアを振り返るほどに、小澤征爾さんが正統的なドイツ音楽の継承者だったという印象を持たれる人も少なからずいるに違いない。
しかし小澤さんの個性は、実は形式に縛られぬ、洒脱なフランス音楽と最も相性が良かった。恩師となったカラヤン、バーンスタインのみならず、フランス音楽を得意とした名匠シャルル・ミュンシュから絶大な影響を受けたと小澤さん自らよく語っていた。ミュンシュの後任として音楽監督に就任したボストン交響楽団との録音や、2014年にサイトウ・キネン・オーケストラと奏でたベルリオーズ「幻想交響曲」の演奏に、理屈を超え、原初的な感興で人を結ぶミュンシュの音を濃厚に聴きとることができる。
そんな小澤さんはまた、まったく独学で音楽の深淵(しんえん)に分け入った武満徹の最大の理解者でもあった。ゆるやかな内的衝動が波紋となって広がってゆき、墨がにじんだような茫漠とした輪郭をつくる、否、聴く人に多様に感じさせる武満の音楽は、鉄線をはりめぐらされた形式の檻のなかで痛々しい増殖をめざす20世紀の西洋音楽の歴史において、やわらかな革命を起こした。
音楽はシステムではなく人間がつくるもの――。1967年、小澤さんと武満が「ノヴェンバー・ステップス」をもってニューヨークで巻き起こした熱狂は、音楽へのモチベーションをシステムから人間へと取り戻すための道を、いみじくも2人の若き異邦人(いほうじん)に示されたということへの衝撃の反動でもあったのではないか。 (2024年2月9日朝日新聞 吉田純子)
武満 徹(たけみつ とおる)1930年〈昭和5年〉10月8日 - 1996年〈平成8年〉2月20日)は、日本の作曲家、音楽プロデューサー。ほとんど独学で音楽を学んだが、若手芸術家集団「実験工房」に所属し、映画やテレビなどで幅広く前衛的な音楽活動を展開。和楽器を取り入れた「ノヴェンバー・ステップス」によって、日本を代表する現代音楽家となった。(Wikipedia)
〈ことば〉
楽壇…音楽家の社会
牽引…ひっぱること。
正当…法規、道理などにかなっていて、正しいこと。
継承…財産、地位、権利、義務、仕事などを受け継ぐこと。
洒脱…俗っぽくなく、さっぱりと洗練されていること。
独学…学校に通わないで、先生にもつかないで一人で勉強すること。
衝動…押さえられない要求によって理性を失い、発作的、本能的に行動
しようとする心の動き。
茫漠…ぼんやりして、つかみどころがない。
檻…猛獣を閉じ込めておく、鉄の柵をなどで作った箱や室。
増殖…増えること、増やすこと。
1 この文章は、内容によって3つに分かれます。最初は指揮者小澤征爾さん
の死去についてで、間に写真をはさんで分けてあります。2つめ、3つめは
どこで分けるのがいいですか。3つめの段落の最初の言葉をあげなさい。
2 2つ目、3つめの段落に見出しをつけるとしたらどんな言葉をキーワード
として入れるのが適切だと思いますか。次から1つずつ選びなさい。
a. ドイツ音楽 b.ミュンシュ c.フランス音楽
d. 20世紀の西洋音楽 e.若き異邦人 f.武満徹
3「2人の若き異邦人」とは、だれとだれのことですか。また、なぜ「異邦
人」と言われたのか、次から当てはまるものを選びなさい。(いくつでも)
ア 西洋人ではない2人の日本人。
イ 自らは楽器を演奏しない音楽家。
ウ 自らが作った楽器を使った演奏。
エ 西洋音楽に和楽器をとりいれた演奏。
オ 形式にのっとりながら新しいものをめざすこと。
*もう一度読んでみよう。
世界の楽壇の第一線に立ち続け、戦後日本のクラシック音楽界を牽引(けんいん)した指揮者の小澤征爾(おざわ・せいじ)さんが6日、心不全で死去した。88歳だった。葬儀は近親者で営んだ。後日、お別れの会を検討しているという。
小澤さんの師匠はドイツ仕込みの斎藤秀雄。ウィーン国立歌劇場の音楽監督を務め、ベートーベンの交響曲の全曲演奏に挑む。そんなキャリアを振り返るほどに、小澤征爾さんが正統的なドイツ音楽の継承者だったという印象を持たれる人も少なからずいるに違いない。
しかし小澤さんの個性は、実は形式に縛られぬ、洒脱(しゃだつ)なフランス音楽と最も相性が良かった。恩師となったカラヤン、バーンスタインのみならず、フランス音楽を得意とした名匠シャルル・ミュンシュから絶大な影響を受けたと小澤さん自らよく語っていた。ミュンシュの後任として音楽監督に就任したボストン交響楽団との録音や、2014年にサイトウ・キネン・オーケストラと奏でたベルリオーズ「幻想交響曲」の演奏に、理屈を超え、原初的な感興で人を結ぶミュンシュの音を濃厚に聴きとることができる。
そんな小澤さんはまた、まったく独学で音楽の深淵(しんえん)に分け入った武満徹の最大の理解者でもあった。ゆるやかな内的衝動が波紋となって広がってゆき、墨がにじんだような茫漠(ぼうばく)とした輪郭をつくる、否、聴く人に多様に感じさせる武満の音楽は、鉄線をはりめぐらされた形式の檻(おり)のなかで痛々しい増殖をめざす20世紀の西洋音楽の歴史において、やわらかな革命を起こした。
音楽はシステムではなく人間がつくるもの――。1967年、小澤さんと武満が「ノヴェンバー・ステップス」をもってニューヨークで巻き起こした熱狂は、音楽へのモチベーションをシステムから人間へと取り戻すための道を、いみじくも2人の若き異邦人に示されたということへの衝撃の反動でもあったのではないか。
〈こたえ〉
1 そんな
2 第2段落…b 第3段落…f
3 小澤征爾と武満徹
ア、エ
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