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指揮者の小澤征爾さん死去、88歳 戦後日本のクラシック界を牽引

世界せかい楽壇がくだん第一線だいいっせんつづけ、戦後日本せんごにほんのクラシック音楽界おんがくかい牽引けんいんした指揮者しきしゃ小澤征爾おざわ・せいじさんが6日むいか心不全しんふぜん死去しきょした。88歳だった。葬儀そうぎ近親者きんしんしゃいとなんだ。後日ごじつ、おわかれのかい検討けんとうしているという。

1994年、サイトウ・キネン・フェスティバル松本で指揮する小澤征爾さん

 小澤おざわさんの師匠ししょうはドイツ仕込じこみの斎藤さいとう秀雄ひでお。ウィーン国立歌劇場こくりつかげきじょう音楽おんがく監督かんとくつとめ、ベートーベンの交響曲こうきょうきょく全曲演奏ぜんきょくえんそういどむ。そんなキャリアをかえるほどに、小澤征爾さんが正統的せいとうてきなドイツ音楽おんがく継承者けいしょうしゃだったという印象いんしょうたれる人もすくなからずいるにちがいない。
 しかし小澤さんの個性こせいは、じつ形式けいしきしばられぬ、洒脱しゃだつなフランス音楽ともっと相性あいしょうかった。恩師おんしとなったカラヤン、バーンスタインのみならず、フランス音楽を得意とくいとした名匠めいしょうシャルル・ミュンシュから絶大ぜつだい影響えいきょうけたと小澤さんみずからよくかたっていた。ミュンシュの後任こうにんとして音楽監督おんがくかんとく就任しゅうにんしたボストン交響楽団こうきょうがくだんとの録音ろくおんや、2014年にサイトウ・キネン・オーケストラとかなでたベルリオーズ「幻想交響曲げんそうこうきょうきょく」の演奏えんそうに、理屈りくつえ、原初的げんしょてき感興かんきょうで人をむすぶミュンシュのおと濃厚のうこうきとることができる。
 そんな小澤さんはまた、まったく独学どくがくで音楽の深淵(しんえん)に分け入った武満徹たけみつ・とおる最大さいだい理解者りかいしゃでもあった。ゆるやかな内的衝動ないてきしょうどう波紋はもんとなってひろがってゆき、すみがにじんだような茫漠ぼうばくとした輪郭りんかくをつくる、いなく人に多様たようかんじさせる武満の音楽は、鉄線てっせんをはりめぐらされた形式けいしきおりのなかで痛々いたいたしい増殖ぞうしょくをめざす20世紀せいき西洋音楽せいようおんがく歴史れきしにおいて、やわらかな革命かくめいこした。
 音楽はシステムではなく人間にんげんがつくるもの――。1967年、小澤さんと武満が「ノヴェンバー・ステップス」をもってニューヨークでこした熱狂ねっきょうは、音楽へのモチベーションをシステムから人間へともどすためのみちを、いみじくも2人の若き異邦人(いほうじん)しめされたということへの衝撃しょうげき反動はんどうでもあったのではないか。                (2024年2月9日朝日新聞 吉田純子)

武満 徹(たけみつ とおる)

武満 徹(たけみつ とおる)1930年昭和5年〉10月8日 - 1996年平成8年〉2月20日)は、日本作曲家音楽プロデューサー。ほとんど独学で音楽を学んだが、若手芸術家集団「実験工房」に所属し、映画やテレビなどで幅広く前衛的な音楽活動を展開。和楽器を取り入れた「ノヴェンバー・ステップス」によって、日本を代表する現代音楽家となった。(Wikipedia)
 
 


〈ことば〉
  楽壇…音楽家の社会
  牽引…ひっぱること。
  正当…法規ほうき道理どうりなどにかなっていて、正しいこと。
  継承…財産ざいさん地位ちい権利けんり義務ぎむ仕事しごとなどをぐこと。
  洒脱…ぞくっぽくなく、さっぱりと洗練せんれんされていること。
  独学…学校に通わないで、先生にもつかないで一人で勉強すること。
  衝動…押さえられない要求によって理性りせいうしい、発作的ほっさてき本能的ほんのうてき行動こうどう
     しようとするこころうごき。
  茫漠…ぼんやりして、つかみどころがない。
  檻…猛獣もうじゅうめておく、てつさくをなどで作った箱や室。
  増殖…えること、増やすこと。
    


1  この文章は、内容によって3つに分かれます。最初は指揮者小澤征爾さん
 の死去についてで、間に写真をはさんで分けてあります。2つめ、3つめは
 どこで分けるのがいいですか。3つめの段落の最初の言葉をあげなさい。
2 2つ目、3つめの段落に見出しをつけるとしたらどんな言葉をキーワード
 として入れるのが適切だと思いますか。次から1つずつ選びなさい。
  a. ドイツ音楽   b.ミュンシュ    c.フランス音楽
  d. 20世紀の西洋音楽   e.若き異邦人    f.武満徹
3「2人の若き異邦人」とは、だれとだれのことですか。また、なぜ「異邦
 人」と言われたのか、次から当てはまるものを選びなさい。(いくつでも)
  ア 西洋人ではない2人の日本人。
  イ みずからは楽器を演奏しない音楽家。
  ウ 自らが作った楽器を使った演奏。
  エ 西洋音楽に和楽器をとりいれた演奏。
  オ 形式にのっとりながら新しいものをめざすこと。


*もう一度読んでみよう。

世界の楽壇の第一線に立ち続け、戦後日本のクラシック音楽界を牽引(けんいん)した指揮者の小澤征爾(おざわ・せいじ)さんが6日、心不全で死去した。88歳だった。葬儀は近親者で営んだ。後日、お別れの会を検討しているという。
  小澤さんの師匠はドイツ仕込みの斎藤秀雄。ウィーン国立歌劇場の音楽監督を務め、ベートーベンの交響曲の全曲演奏に挑む。そんなキャリアを振り返るほどに、小澤征爾さんが正統的なドイツ音楽の継承者だったという印象を持たれる人も少なからずいるに違いない。
 しかし小澤さんの個性は、実は形式に縛られぬ、洒脱(しゃだつ)なフランス音楽と最も相性が良かった。恩師となったカラヤン、バーンスタインのみならず、フランス音楽を得意とした名匠シャルル・ミュンシュから絶大な影響を受けたと小澤さん自らよく語っていた。ミュンシュの後任として音楽監督に就任したボストン交響楽団との録音や、2014年にサイトウ・キネン・オーケストラと奏でたベルリオーズ「幻想交響曲」の演奏に、理屈を超え、原初的な感興で人を結ぶミュンシュの音を濃厚に聴きとることができる。
 そんな小澤さんはまた、まったく独学で音楽の深淵(しんえん)に分け入った武満徹の最大の理解者でもあった。ゆるやかな内的衝動が波紋となって広がってゆき、墨がにじんだような茫漠(ぼうばく)とした輪郭をつくる、否、聴く人に多様に感じさせる武満の音楽は、鉄線をはりめぐらされた形式の檻(おり)のなかで痛々しい増殖をめざす20世紀の西洋音楽の歴史において、やわらかな革命を起こした。
 音楽はシステムではなく人間がつくるもの――。1967年、小澤さんと武満が「ノヴェンバー・ステップス」をもってニューヨークで巻き起こした熱狂は、音楽へのモチベーションをシステムから人間へと取り戻すための道を、いみじくも2人の若き異邦人に示されたということへの衝撃の反動でもあったのではないか。


〈こたえ〉
1  そんな
2  第2段落…b      第3段落…f
3  小澤征爾と武満徹
 ア、エ



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