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台湾地震被害のマンション解体、住民らの思いは 日本人との交流も


マンションの1階で洪盛雄さんが経営していた酒屋=本人提供

台湾東部沖たいわんとうぶおき発生はっせいした地震じしん震度しんど6じゃく観測かんそくした東部とうぶ花蓮市かれんしで、かたむいたマンションの解体工事かいたいこうじすすんでいる。住民じゅうみんらは、それぞれのおもいをきながら工事こうじ見守みまもっていた。
 「25年間住ねんかんすんだおもいえがなくなるのはつらい」。最上階さいじょうかい息子夫婦むすこふうふまごらと6人で住んでいた林天賜りんてんしさん(67)は7日なのか解体作業かいたいさぎょうながめながらためいきをついた。重機じゅうきたかびたアームが林さんの部屋へやをかきくずし、かべ家財かざい道具どうぐおとてて落下らっかしていった。
 このマンションにうつんだのは1999年。当初とうしょ下層かそうんでいたが、同年どうねんに2千人以上せんにんいじょう死者ししゃした台湾大地震たいわんおおじしん発生はっせい最上階さいじょうかい部屋へやえたという。
 今回こんかい地震じしん下層部分かそうぶぶんくずれておおきくかたむき、1度いちどなかはいれないまま解体かいたいまった。部屋へやのこされた家具かぐや、食品包装業しょくひんほうそうぎょう仕事しごと使つか機器ききは200万台湾まんたいわんドル(やく950万円まんえん相当そうとうだという。
 林さんは「わたしたちの財産ざいさんまも方法ほうほうがあったのではないか」と不満ふまんをもらした。
 一方いっぽう、マンション1階いっかいで13年前ねんまえから酒屋さかやいとなんでいた洪盛雄こうせいゆうさん(62)は「このみせとおして外国人がいこくじんったり、日本にほん友達ともだちもたくさんってきたのに」とやんでいた。マンションは、花蓮市かれんし観光地かんこうちひとつとなっている夜市よるいちちかくにあり、日本人観光客にほんじんかんこうきゃく紹興酒しょうこうしゅやビール、タバコをいにさいには、洪さんの母親ははおや家庭料理かていりょうりったこともあった。
 しかし洪さんのみせがあった1階部分いっかいぶぶんはつぶれ、がれきのやまとなった。「おとうととゼロからはじめ、13年間心血ねんかんしんけつそそいできた店がなくなってしまった」。店をひらいたさいりたおかねはまだすべかえせていない。今後こんごの店の再開さいかいについては「かんがえても無駄むだだ」となみだをにじませた。
 災害対策本部さいがいたいさくほんぶによると、8日夜時点ようかよりじてん死者ししゃは13にん、けが人は1146人となった。9日午前ここのかごぜん10から、市内しない犠牲者ぎせいしゃ法要ほうよういとなまれる。
            (2024年4月9日朝日新聞 花蓮市=岩田恵実)
 


〈ことば〉
発生…なにかがこること。
不満をもらす…もの足りなく、満足まんぞくしない気持きもちがおもわずそとに出ること。
悔やむ…失敗しっぱいしたことや十分じゅうぶんできなかったことをあとから残念ざんねんおもう。
がれき…かわら小石こいし。また、破壊はかいされた建物たてもの残骸ざんがい
心血を注ぐ…全力ぜんりょくでことを行う。
法要…死者ししゃ供養くようのためにおこな儀式ぎしき。 


1 林天賜さんについてまとめた。文中の( )にはい言葉ことばさがしなさい。
 ・林さんがこのマンションに住み始めたのは( ① )年、当初は( ② )に
  住んでいたが、( ③ )を機に( ④ )に変えた。林さんは( ⑤ )業を
  営んでいて、そのための機器や家具の損害額は( ⑥ )にのぼるとい
  う。
2 取り壊されたマンションについて、次からまちがっているものを2つえら
 なさい。
 ① マンションが取り壊されたのは、1階部分がこわれて傾いたためだ。
 ② 最上階の住民は、必要最小限のものを持ち出すことができた。
 ③ マンションは花蓮市の観光地の一つとなっている夜市の近くにある。
 ④ 洪盛雄さんは、1階でコンビニと料理店を営んでいた。
 ⑤ 洪盛雄さんが店を開くのに借りた金を返すめどは立っていない。
3「かき崩す」の「かき」はあとのことばの勢いを強める接頭語です。例を
 あげます。
 ①ふと見ると、彼の姿はかき消すようになくなっていた。
 ②父の一言がわたしの気持ちをかき乱した。
 ③迷子が見つかって、母親はその子をかき抱いて喜んだ。
 ④空は急にかき曇って風が吹いてきた。
 


*もう一度読んでみよう。

 台湾東部沖で発生した地震で震度6弱を観測した東部の花蓮市で、傾いたマンションの解体工事が進んでいる。住民らは、それぞれの思いを抱きながら工事を見守っていた。
 「25年間住んだ思い出の家がなくなるのはつらい」。最上階に息子夫婦や孫らと6人で住んでいた林天賜さん(67)は7日、解体作業を眺めながらため息をついた。重機の高く伸びたアームが林さんの部屋をかき崩し、壁や家財道具が音を立てて落下していった。
 このマンションに移り住んだのは1999年。当初は下層に住んでいたが、同年に2千人以上の死者を出した台湾大地震が発生。最上階に部屋を変えたという。
 今回の地震で下層部分は崩れて大きく傾き、1度も中に入れないまま解体が決まった。部屋に残された家具や、食品包装業の仕事で使う機器は200万台湾ドル(約950万円)相当だという。
 林さんは「私たちの財産を守る方法があったのではないか」と不満をもらした。
 一方、マンション1階で13年前から酒屋を営んでいた洪盛雄さん(62)は「この店を通して外国人と知り合ったり、日本の友達もたくさん付き合ってきたのに」と悔やんでいた。マンションは、花蓮市の観光地の一つとなっている夜市の近くにあり、日本人観光客が紹興酒やビール、タバコを買いに来た際には、洪さんの母親が家庭料理を振る舞ったこともあった。
 しかし洪さんの店があった1階部分はつぶれ、がれきの山となった。「弟とゼロから始め、13年間心血を注いできた店がなくなってしまった」。店を開いた際に借りたお金はまだ全て返せていない。今後の店の再開については「考えても無駄だ」と涙をにじませた。
 災害対策本部によると、8日夜時点で死者は13人、けが人は1146人となった。9日午前10時から、市内で犠牲者の法要が営まれる。
 


〈こたえ〉
1 ①1999   ②下層   ③台湾大地震   ④最上階   ⑤食品包装
 ⑥200万台湾ドル(約950万円)
2 ②、④



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