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「日本語の年輪」を「D表現」の視点から読み解く

「日本語の年輪」を「D表現」の視点から読み解く
大野晋先生の「日本語の年輪」は一般向けの解説書ですが、これまで見て頂いた日本文化の特性を傍証していただく内容が多く、以下抜粋・紹介・本論の視点からの議論を記させて頂きます。
大野先生は言語学者・国語学者であり岩波古語辞典(1990年補訂版)編集に携わられた方で、この著書では古代-中世の言葉から見た日本文化の様々な特性を解説して下さっています。
以下、「日本語の年輪」の中から、先に挙げたD表現・D感情の議論に関係する部分を紹介、議論させていただきます。

●清・潔・細かなものに美を見る文化
「日本語の年輪」では幾つかの重要な概念を取り上げ日本文化の特性を論じられています。
一番最初のキーワード「美」の説明において、奈良-平安時代、そして室町時代まで概観された上で 

p29『美を表わす言葉は、クハシ(細)、キヨラ(清)、ウツクシ(細小)、キレイ(清潔)、と入れ代って来たことになる。日本人の美の意識は、善なるもの、豊かなるものに対してよりも、清なるもの、潔なるもの、細かなものと同調する傾向が強いらしい。これは中国では「美」が「羊」の「大」なるもの、「麗」が大きな角を二本つけた立派な「鹿」の意味から転じたことを思うと、日本語の大きな特色といえると思う。』
と記されています。

●「なまめかし」-しめやかで、何でもないようでいて、しかも人をひきつける見事さ
「日本語の年輪」では『平安時代の宮廷で最も高い美の範疇の一つとしての位置を占めていたのが、「なまめかしさ」である。』と述べられています。現代では「なまめかしい」は妖艶であるなどの意味がありますが、平安時代はそれとはかなり異なっていて

『もともとの意味をいえば、未熟めいている、未熟らしいのである。その実は決して未熟ではなく、心しらいにおいても、表現も、実現された美しさにおいても、十分の心づかいがされているが、しかも未熟のように見える。、何でもないように見える。それが「なまめかし」であった。
従って、はなやかで、派手で、鮮やかな色や、紅葉の盛りのようなものは「なまめかし」とは言わなかった。「なまめかし」とは、色ならば鈍い色である。もれてくる琴の音が、もののひまひまに聞えて、「なまめかし」。しめやかで、何でもないようでいて、しかも人をひきつける見事さのあるもの、これが「なまめかし」であった。何とない様子、何とないみたいだということは、その実は決して何ともないことではない。花盛りでないように、ぱっとしないように見えるのが、なまめかしいのである。』
と記されています。
男女間の関係においては、源氏物語の「なまめきかはす」と書いているその意味は
『大いに気持がありながら、何でもないようにお互にやりとりを重ねるという意味』であり『そのお互の気持は、決して何でもないことと、見ている者には十分によく見える。』のです。

「日本語の年輪」には、「なまめかし」はこの時代に確立された今に至る日本的な美の感覚の一つである、と記述されています。これら以外にも、

「こころにくい」を『「はっきりしないので、もっと知りたい」つまり、「おくゆかしい」という意味』で使われている例を挙げられ、
『平安朝の宮廷では、才能を鮮やかに示すとか、あるいは、気高い精神を際立って見せるとかいうことよりも、ほのかで、ひそやかで、薄暗いことが美の一つの典型であったのである。』
と、「こころにくさ」を大切にする精神が平安朝以来培われてきたこと、

「かすか」と「ほのか」の違いについて
『「かすか」とは、今まさに消えていこうとするその薄さ、弱さ、頼りなさであり、「ほのか」とは、そのうしろに多くのものがありながら、その片はしだけが弱く、薄く、わずかに示されている場合にいう』
と説かれ
『「かすか」なもの、「ほのか」なものに美を認めるのは、日本の伝統であったと言ってよい。ひたすらなもの、あらわなものは避けられたのであった。』と説明を結ばれています。

 

「日本語の年輪」には書かれておりませんが平安時代、王朝文化の時代の美には「かすか」「ほのか」と真逆のものも多々あることはあります。東大寺廬舎那仏(るしゃなぶつ)、数多の歌合の記録、そして王朝文化の精髄「源氏物語」の主人公は光り輝くごとき美貌から「光源氏」であり、「朧源氏」でも「ほのか源氏」でもあり得ません。しかし、それら光り輝く豪奢な事物の美を前提としても、その上で「かすか」「ほのか」に最高の美を見いだす美意識も強く存在したと「日本語の年輪」を理解すべきかと思うものです。

 

●D表現の理論-「清・潔・細かなもの」「なまめかし」「ほのか・かすか」の美を見い出す感受性と態度が要求された

ここからはD表現、D感情の理論との関係を論じます。
光り輝く豪奢なものの美を見い出すことは比較的容易と思われますが、「清・潔・細かなもの」「なまめかし」「ほのか・かすか」の美を見い出すには、見る人間に細やかな感受性が必要です。
その感受性に加えて「微かな兆し、ほのかなもの」を常に探し耳を澄ましている、予期し・待ち・願う態度が必要なのではないでしょうか。

先に、古今和歌集の美について
『対象となる神仏が明示されていないながら、古今和歌集の文化には「讃え」「畏れ」「救い」「鎮め」等のメッセージに関わる美的表現があるのです。和歌-王朝文化の『今はこの場にないものを思う・偲ぶ美意識』は、尊い「なにか」に対する『讃え』『畏れ』『救い』『鎮め』の心の動きと結び付けられるのです。』と以下の図で論じました。

https://note.com/nihonos2020/n/nebf5bb81726e

これらは、「日本語の年輪」の「微かな兆し、ほのかなもの」に美を見い出す美意識と整合的と思うものですがそれだけではありません。

先に和歌を詠み聞く場には『予期』と『驚き』の感情が必然的にあることを、以下二首の古今和歌集の和歌を掲げ共に論じました。
  秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
  (藤原敏行朝臣 018)
  谷風に解くる氷のひまごとにうち出づる波や春の初花 
  (源当純 999)
『秋が来たと目にはっきり見えるものではないが、風の音に秋の訪れをはっと気付かされる-驚かされる。谷風に氷が融け、その隙間に現れる波こそ春の初花なのだ…といった意味になりますが、このような和歌が詠まれるには、歌人には生活の中で常に精妙な自然の変化に耳を澄まし待ち続ける祈り待ち-予期する心が必要です。そして、変化を見出した歌人の心には動き-驚きがあり、それが歌となるのです。季節の訪れは、古代においては意識-無意識に、神々の訪れに近い‐等しいイベントであったのです。』
「日本語の年輪」の「微かな兆し、ほのかなもの」に美を見い出す美意識は、この『予期』と『驚き』の感情と非常に整合的に思われます。

「微かな兆し、ほのかなもの」を求め、見つけ聴き、美を見い出す態度-美意識により、王朝文化の時代の人たちは意識-無意識に、神々の訪れに近い‐等しいイベントを体験していたのです。

以下の、和歌-王朝文化に付随するD表現、D感情の議論を、「微かな兆し、ほのかなもの」を求め、見つけ聴き、美を見い出す態度-美意識は傍証してくれるものかと思うものです。

※なお、大野先生の記述と似た美意識を、平安時代に壬生忠岑が著した「和歌体十種」にも見ることができます。梅原猛先生の「美と宗教の発見」を引用させていただきそれを示したいと思います。
 
●梅原猛先生解説の「和歌体十種」に見る「かすか」「かくれたと思えば見える」ものの美(「美と宗教の発見」梅原猛先生 抜粋紹介)
壬生忠岑による「和歌体十種」(平安時代中期945成立)はすぐれた歌の十体の類型を示し、その中では「神妙体」「余情体」「器量体」を優れた体、そして「高情体」が最もすぐれた体とされています。梅原先生によるこれらすぐれた体の解説、これらの体に顕れた平安時代の美意識を見ると、

・全面的に露わではない、隠された「実在者」、見えたと思えばかくれ、かくれたと思えば見える遠い希望の光への憧れ思慕、期待の感情 距離の美学、おおわれの美学
・存在の深い光をヴェールのこちら側からかすかにのぞみ見る美学
・見えたり、かくれたりする実在者は、単に自然現象ではなくして、永遠で神聖なる存在 この永遠で神聖な存在物は、深くかくされて、ひそかにその姿を現わすものである
・実在する光を否定するヴェールがとりのけられている場合の美も描かれている 実在者をおおいかくす遮断物がとりはらわれ、実在物は広々として限界に展開している(器量体)

などが特徴的に示されていると思われます。

(以下「美と宗教の発見」抜粋です)

『高情体の歌の感情の形
(1)対象に向う意識である。(この点、自己に向う意識である写思体とちがう。)
(2) 同時にそれは、実在する対象に向い、しかも対象は、既に現在その存在の兆候を表わしているのである。(イ)では雪=花、(ロ)では時鳥の声、(ハ)では花見て帰る人、(二)は半分見える月など。
 (この点余情体とは異なっている。余情体では対象と自己の間が切断されている。)
(3)しかもこの光として の実在者は、現在すでにその姿を全面的にあらわにしているのではなく、むしろあるおおいを通じて現在の自己から遮断されているのである。
遮断の度合があとの歌ほど少なくなるが、とにかくどこかがかくされているのである。光はこういう遮断物を通じてちらほら見えるということになる。遠いむこうの希望の火、それはあくまで遠い距離にある。 見えたと思えばかくれ、かくれたと思えば見える遠い希望の光なのである。距離の美学、おおわれの美学である。
(4)次に高情体は感情の質として、もはや、余情体や写思体のような悲哀感、絶望感をもたない。それはむしろあこがれの感情、遠いものへのかすかな期待の感情なのであろう。

・・・たしかに高情体は後世「幽玄体」と称せられるものであろう。
これはたしかにおぼろでかそけく実在の光が示される美学である。存在の深い光を、ヴェールのこちら側から、かすかにのぞみ見る美学である。

おそらくこの高情が平安的な 「幽玄」の概念といえるであろう。俊成、定家においてこの幽玄の概念は変質する。いかに変質するか、それは他日の問いである。』

※「和歌体十種」では高情体に以下の歌を挙げています

 (イ)冬ながら空より花の散り来るは雲のあなたは春にやあるらむ
 (ロ)行きやらで山路くらしつ時鳥いま一声の聞かまほしさに
 (ハ)散り散らず聞かまほしきを故郷の花見てかへる人もあはなむ
 (二)山たかみわれても月の見ゆるかな光をわけて誰に見すらむ
 (ホ)浮草の池のおもてをかくさずはふたつぞ見まし秋のよの月

『余情体対象に向った欲望が、ふさぎ止められながら「無」となった 対象に、延々とまとわりつくような愛着の余韻嫋々たる悲哀感が、余情体の典型的な感情の形であろう。』

『器量体
この一連の歌を読んでみると、一つの意識の形がはっきりしてくる。春霞、雪、山吹、紅葉、月、いずれも読まれているものが、意識の前に現にここに実在しているのである。
霞や雪や山吹が、正に今ここに、広々と遠々と広がり、私に自己の存在をはっきりとあらわにしているのである。

器量体は、高情体とちがって、もはやそこに実在する光を否定するヴェールがとりのけられているのである。
実在者をおおいかくす遮断物がとりはらわれ、実在物は広々として限界に展開しているのである。
高情体と器量体の区別を明らかにするには、月を歌った高情体の日付の歌と器量体の体の歌を比較すればよい。
高情体の歌は全面的にあらわになった月ではない。月はどこかに見えない部分をもっているが、器量体の月は全面的にあらわになった皓々たる月なのである。・・・

神妙体
忠岑のいうように、たしかにこの歌は、高情体や、器量体とまぎらわしいのである。ちがいはその名のように、高情体及び器量体が多く自然の美を歌っているにたいし、 神妙体は神または天皇のことを歌っていることにある。
ここで見えたり、かくれたりする実在者は、単に自然現象ではなくして、永遠で神聖なる存在なのである。
この永遠で神聖な存在物は、深くかくされて、ひそかにその姿を現わすものであり、その意味でそれは高情体にも器量体にも通じるのである。

・・・

このように十体論を見ると、われわれには忠岑の「十体論」がかなり精密な美的感情の分類であるばかりか、そこに一種の感情の発展運動さえみとめられるように思われる。』

以上、 忠岑の「十体論」 の美意識を紹介させて頂きました。
・全面的に露わではない、隠された「実在者」、見えたと思えばかくれ、かくれたと思えば見える遠い希望の光への憧れ思慕、期待の感情 距離の美学、おおわれの美学 存在の深い光をヴェールのこちら側からかすかにのぞみ見る美学
をみると、和歌-王朝文化の美意識の美意識が先に記した6つのD表現-D感情と整合的なことは明らかと思われます。
さらに神妙体が「神または天皇」を歌っていることを見るとき、和歌-王朝文化の美意識が「D表現」と「宗教表現」双方を架橋していることも垣間見えるのではないでしょうか。


日本人の「隠す」美意識。
富や権力や、力強さを見せ付けるのではなく、敢えてそれを「隠す」ことが賞賛される美意識。
悲しみ怨みを主張するのではなくそれを「隠す」ことが称揚される美意識。
同時に、「隠された」ものを適切に察知し振る舞うことを要求する美意識。

良くも悪しくも日本人を未だに規定している美意識ですが、その源流は平安時代にまで遡れるようであり、それはD表現・D感情と深く結びついたもののようです。

 

ここからはまた「日本語の年輪」の内容を紹介に戻ります。
●日本人が持っていた宗教的な意識-アニミズム、「自然」に対し「かしこ」まる心持
「日本語の年輪」には日本人が持っていた宗教的な意識について以下のように記されています。
『日本人が持っていた宗教的な意識として、奈良時代と、それ以前の世界で強かったのは、アニミズムの観念、またアニミスティックな観念と呼ばれるものであるように思われる。
自然界のあらゆる物事が、生物と無生物とを問わず、すべて精霊を持つと思い、その精霊の働きを崇拝する。これがアニミズムであり、古代日本人の意識を特色づける一つの代表的なものである。人々は、海や、波や、沖や、山や、奥山や、坂や、道や、大きな岩や、つむじ風、雷などに霊力があると思い、その精霊や威力を恐れ、それらの前にかしこまった。その気持が「かしこし」という気持である。これが拡張されて、神に対する畏敬の念となり、天皇、また皇子、さらには天皇のお言葉に対する恐れの念についても「かしこし」と表現したのである。
日本人が、「自然」を人間の利用すべき一つの物としては考えず、「自然」の中のさまざまのものが持つ多くの霊力を認めて、それに対して「かしこ」まる心持を持っていたことは、『古事記』や、『万葉集』の歌に、はっきり示されている。』

そして「かしこし」に似た言葉に「ゆゆし」があり、これはポリネシア語で言われる「タブー」と同じ意味を現わすところがあり

『「ゆゆし」も、神聖だから触れてはならないとする場合と、汚れていて不吉だ、縁起が悪いから触れてはならないとする場合との二つがあった。』のです。

 

●敬語には「日本人の自然や神への畏怖の気持ち」が今も痕跡を残している
「日本語の年輪」では日本語の敬語についても説明されています。
敬語として、「話している相手に対する敬意を表わすもの」(部下が上司に向かい「荷物が着きましたよ」と言う場合など)、「話題にしている人の動作や持ち物に対する敬意を表わすもの」(客が到着した際に「お着きになった」と言う場合、客の財布を「お財布」、目上の人の仕事を「お仕事」と言う場合など)、更にその話題の場全体を尊敬的な、丁寧なものとして考えていることを示す場合(料理屋で「おビール」という場合など)がこの本では最初に挙げられます。

続いて「お着きになる」の「なる」を挙げられ、これは

『「なる」というのは、「木の実がなる」、「寒くなる」という例でわかるように、自然にものが移って行って、ある状態に至ること。「木の実がなる」というのも、自然に、木が実を結ぶことをいう。すると、「お着きになる」とは、「着く」状態に敬意をこめて言った「お着き」という言葉と、その「お着き」という状態に自然に「なる」と表現したのが、そのもとの意味であるということになる。』と説明されています。

似た言い方では「なさる」があります。「なさる」は「なす」に「る」がついたものであり

『「なさる」となった場合には、「つとめてするという状態に自然になる」という意味である。「お着きなさる」、「お着きになる」とは、いずれも自然の力で、自然にそうなるというのが原義で、この言い方は、昔は「着かる」とか「見る」とか、「る」「らる」という言葉を使って表わされた。』とあります。

このような「自然になる」ような表現がなぜ日本語では敬語になるのでしょうか。「日本語の年輪」では

『だいたい日本人の尊敬の意識は、自然に対する恐怖、畏怖にはじまり、神や天皇に対する畏敬に移り、人間に対する尊敬の念に発展したのであり、さらに進めば、尊敬から語親愛へ、そして軽侮へと進むのが基本的な道すじである。畏怖は大自然の暴風雨・地震などに対するものが、その最大のものであったろう。日本人は、その自然を、人間の力で左右しようなどとは考えず、ひたすらその自然の威力、霊力の前にかしこまった。それほど「おそれ多いもの」と考えていた。』

と日本人の尊敬の意識の起源を説明されており、続けて

『「自然」のすることは、人間がもっぱら服従すべきものである。それゆえ、自分が今畏敬している人の行為を表現するには、その人の動作が、あたかも「自然」のするがごとくであるといえば、自分の服従の意志、畏敬の念を表現するに適切であった。また「自然」に出来上ったものであると表現することは、自分の意志が何も介入していないことを示すのであり、それは相手の意志のままであることを裏から表明しているわけで、これもまた、相手の行為を高く評価していることになる。それゆえ、自然に成立する意味をもつ「る」「らる」を添えることが尊敬の表現となる。』

と記されています。

これ以外にも

『「たてまつる」とか、「たまふ」の形で現在でも尊敬、謙譲を表わすのは、やはり、畏怖する神に物を供えて、その心を慰めようとした、日本の古い習慣が今日の敬語表現においても根強く残り、われわれがその起源を忘れてしまっても、なおかつ、それが見えない形で生きているということになるのだろう。』と記されているのです。

以上「日本語の年輪」に説明されている敬語とは
・「話している相手に対する敬意を表わすもの」「話題にしている人の動作や持ち物に対する敬意を表わすもの」「その話題の場全体を尊敬的な、丁寧なものとして考えていることを示すもの」
などの、対人、対社会的に理解できるものの他に、

・自然や神への畏怖の念を前提とした「その人の動作が、あたかも「自然」のするがごとくであるような表現」「畏怖する神に物を供えてその心を慰めようとした名残の表現」があるのです。 

さて、私たちが過去から現代に至るまで使っている敬語とは
・「直接的に宗教的な行為」ではない と言えるでしょう。しかし
・敬語を使う場には軽重の差はあれどある種の緊張感が伴い
・敬語とは、適切に使うことで場を精神性の高い場にするもの、あるいは精神性の高い場にすることを目指し使われるもの
つまり
敬語とは宗教ではないがD感情を喚起する、D表現の行為と思われます。

「日本語の年輪」では
『日本人は、自然を恐れ、自然に親しむという気持が強い。そこから、物事を「自然」にあずけることによって、敬意を表現する』と記されています。

「日本語の年輪」の敬語に関する詳解は、 
・私たちが日常で使い続けてきた「敬語」というD表現のコミュニケーションが、その源流において自然や神への畏怖の念を前提とした表現であり、神に対する「祀り」にも似た行為であること を示していると思われます。

以上

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