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世界に誇る技術と真綿(まわた)によるやわらかい着心地 茨城県の結城紬

古くは奈良時代(712~774年)から伝わり、日本最古の絹織物ともいわれる結城紬。

2010年には「本場結城紬」の名でユネスコ無形文化遺産にも登録されました。

奈良時代から今に至る各時代ごとに活躍の場と名称を変え、結城紬が世界に認知されるまでを追っていきたいと思います。


~今日の伝統工芸~
茨城県結城市の結城紬

【結城紬とは】

茨城県結城市を中心に、栃木県の鬼怒川流域で生産されており、その起源は奈良時代にまでさかのぼる。

真綿の使用により軽く温かいことに加え、丈夫でシワになりにくいという機能性をもつ。さらに、「結城紬」は湯通し・洗い張りによって真綿のケバがとれ、着込むことによって絹本来の光沢を増していくことから「三代着て味が出る」と言われる。

模様は、小さな亀甲を無数に使って形成するのが主な手法。亀甲の細かさ、あるいは模様の規模や精密さによって製作期間と価格が大きく異なる。

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参照:今こそ結城紬を買う。上級者が必ず押さえる4つのポイントを公開いたします。


【技術】

結城紬は製作工程そのものが高く評価されており、30以上の分業によって完成する。

特に、国の重要無形文化財として認められる「本場結城紬」となるには、
・糸つむぎ 真綿(まわた)を使用し手つむぎであること
・絣くくり(かすりくくり) 染める前に防染部分(染めない部分)を綿糸でくくること
・地機織(じばたおり) 地機を用いた手織り
この条件を満たす必要がある。

真綿とは、蚕を生きた状態で煮ることで得られる綿で、この手法を「上生(じょうなま)」という。

これにより綿の鮮度が高くなり、粘りとコシを与える。手触りはやわらかく、空気をたくさん含み温かさを生み出す。

「糸つむぎ」は、真綿を「つくし」という道具に巻き付けて先端をつまんで引き出し、唾液でまめる。引き出す際はふわふわ感を生かすためにひねらずに行う。

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参照:結城紬とは。世界が認めた独自の技法と歴史 | 中川政七商店の読みもの

「絣くくり」は文様付け(染色)前に行われる工程で、染色しない部分を綿糸で縛り、染料が染み込まないようにする。

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参照:結城紬とは。世界が認めた独自の技法と歴史 | 中川政七商店の読みもの

「結城紬」の地機織りは「いざり機」とも呼ばれ、全身を使った作業が特徴的。糸をつむぐ際にひねりをいれていないことから、張りすぎるとちぎれてしまうため、微妙な力加減が必要となる。「いざり機」では、経糸(たて糸)を人の腰に固定して糸の張り具合を体で感じ、微妙な力加減の調整を可能とした。

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参照:小千谷 縮の歴史 -高級和風インテリアの和佐美-

「本場結城紬」では唯一、経糸(たていと)、緯糸(よこいと)の両方につむいだ糸を使用している。


【歴史】

奈良時代、多屋命(おおねのみこと)が現在の茨城県常陸太田市で始めた織物が結城紬の原型といわれており、もともとは生糸で織った荒い絁(あしぎぬ)であった。

絁は常陸国から朝廷へ献上され、「常陸紬(ひだちつむぎ)」と呼ばれるようになり、その一部は東大寺正倉院に保管されている。

その後、その地域の城主であった結城氏の名前をとって「結城紬」となる。幕府や菅領に献上されたのに加え、質素で丈夫なことから関東の武士にも好まれ、「結城紬」の名は全国に広まった。

江戸時代、結城氏の後にこの地を収めた伊奈備前守忠次(いなびぜんのかみただつぐ)が京都、信州(長野)の職人を呼び寄せて染色や機織りの技術を発展、「結城紬」の知名度を高めた。

織物の名称が変更した時代には諸説あるが、1638年(江戸時代)に発行された「毛吹草」と呼ばれる書物にて「結城紬」の名が確認されている。


【結城紬の現在】

結城紬のスカーフや名刺入れなど、現代受けを狙った商品開発も見られる。

しかし、ピーク時(昭和55年)の31,288反という生産量と比べると、平成28年には1,200反という当時の3.8%にまで落ち込み、歯止めがかからない状況となっている。

栃木・茨城県の本場結城紬生産者数:86名
糸取り者(手で糸をつむぐ者)の年齢別割合:
60台 20%、70台 54%、80台 17% 平均年齢68.1歳
平成28年度時点

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