見出し画像

検察や裁判官は信じられるのか?

サラリーマンのモチベーションはわかりやすい。手柄を立てて偉くなって高給取りになろうというやつである。

会社にとって悪いとわかっていても、手柄を立てるためにやってはならないことをする人もいる。例えば、百億円の仕事を五十億円で受注するとか。

五十億は絶対額としては大きいので、評価されるが、会社にとっては大赤字。さすがに平成・令和を通してこんな営業は許されなくなってしまったが、昔はあり得た。

検察や裁判官も官僚もサラリーマン。彼らにとっての手柄とはなんだろうか?有名な人を捕まえるとか、有力者におもねって敵対勢力の人間を有罪にするとか?韓国の検察や裁判官をみているとよくかわかる。

日本の司法も似たりよったりだろう。正義をするなんてバカバカしい。神様は信じない。今を生きる自分の栄達が大切。そんな人たちがいても不思議はない。法律に則っていればそれが国益や正義に沿っていなくても関係ない。

勉強していい学校を出たのは、下賤の者たちを救うためではない。そんなことに時間は使いたくないし、彼らに使われるのはまっぴらごめん。たとえそれが政治家でも。

そんな彼らを検察・警察・裁判官に任用するのはただの試験。徳があるから任用されたわけではない。サイコパスもいるだろう。それを識別除外してるわけではないから。

警察に助けを求めて、果たされず死んでしまった人たちは後をたたない。明治・大正の日本のおまわりさんはそこには居ない。

例えば検察は、弁護人不在の中で被疑者を長期間拘束・尋問しあらぬ嫌疑をかけ起訴・有罪にし自らの手柄を捏造することが許されてしまっている。これは、正義とはほど遠いなにかである。

ではどうする?

フールプルーフという考え方がある。フェールセーフでも良い。エンジニアリングの世界では当たり前。司法に携わる人間が善人でなくても正義を強制する仕掛けを用意するしかない。

この仕掛けが導入されるまでは、日本の司法は江戸時代の遠山の金さんとさして変わらない(金さんに失礼か。。。)。

日本の危機を広く知ってもらうため日々noteで投稿しています。あわせて日本復活に必要と考えている新しい技術・産業についても書いています。