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枯れる店

2033年8月、ちょうど10年前に感じた気候の節目はそのまま酷暑の夏を更新していた。
気温42度の東京吉祥寺、2009年に開店したにほん酒やは24年目を迎えたが重なる調理機器の不具合や付き合っていた生産者の高齢による引退、取引先の廃業や流通の変革に伴う遠隔地からの輸送の是非などもあり、どう継続していくべきかを考えていた。
悩むにしてもどうにも暑い。この頃は朝早く出勤を始める人、遅くから始める人それぞれの都合により人々の活動時間はバラけていき、飲食店も長く営業する店、縮小して対応する店など大きく変わっている。

2020年辺りからずっと考えていたことがある。現代の東京の郷土料理とは?

郷土料理を調べていると不思議な組み合わせをいくつも見つける。料理をする時、まずスーパーで好きな材料を買ってから作る。それが当たり前な僕らには想像できないものだった。何かと何かを買って、レシピを見ながら作る。料理はそういうものだと思っていた。
でも郷土料理はその土地から採れたものを組み合わせて作る。好きなものを選んで作るのとは根本的に違っていた。
環境が導く味。それは東京のようにお金を払えば何でも買える場所では生まれるはずがなかった。でも、考えてみればこの暑すぎる夏は一つのチャンスではないだろうか。郷土料理が生まれた時代だって、この野菜しかとれない。冬をどう乗り越えるか。今年はこの魚は大量だけどどう保存すればよいか。塩がない、味噌もない。そんなストレスだらけの中から生まれたはずだ。
暑い。このエネルギーをただのストレスと捉えるのは簡単だが、大切なエネルギーを無駄にしてないだろうか。乾物作りに最適ではないか。
エアコンの室外機を好きな人は世界中探してもいないだろう。室外機それ自体から出される空気は決して害のあるものではない。ただのファンが回っているだけだから。それでも室外機は家の裏や少し湿度のあるところに設置され、なんともイメージが良くない。でも、あれだけの熱風を起こすのはとても大変なはず。そしてそれを僕らは何十年も見過ごしてきた。あれを使うことが、現代の郷土料理、つまり環境に導かれた料理になるのでは。
そんな馬鹿なことを妄想していたら店から電話がかかってきた。

高谷さん、今度はほんとに冷蔵庫が壊れました。

ついに、きた。
今から新しい冷蔵庫を買う気はない。

あと、青森から野菜が大量に届いてます。トマト、茄子、胡瓜、、、それと標津から夏の鰤が10kg、、、

僕は、冷蔵庫のない飲食店をやることにした。

そこで、ひとりの友人の顔が浮かんだアジア各地に足を運び、現地で発酵食や食材のフィールドワークを続けるヤスダヤの存在だ。
彼女の知識、経験を頼りに新しい東京の郷土料理が作り出せるかもしれない。冷蔵庫のない飲食店ができるかもしれない。
その日の晩、馴染みの大槻で2人で深夜まで深く話した。帰り道、確かな手応えを感じ、冷蔵庫のない飲食店が自分の手のひらの上に朧げながら浮かんだ。54歳の手は包丁の傷と皺だらけの手でなんともみっともなかった。

僕は友人に勧められ、いつかの朝というZINEに寄稿したことを思い出した。
自分のばあちゃんの若い頃、1940年頃を思いながら書いた文章だった。その頃農家の息子ながら初めて見た。というよりは今までは素通りしていたので、観えてはいなかったというのが正しい。根菜が役目を終えて繊維だけにカラカラに乾いたもの。野菜から植物としての役目を終えたものを見る機会があった。それはじいちゃんやばあちゃんの皺だらけの顔にも似ていて、自分も年を重ねたらこうなりたいなと感じさせるものだった。
店をリニューアルしながら続けるのも素敵だが、年を重ねた肌の皺のように店も枯れていきたい。冷蔵庫を手放すのはその一歩な気がする。

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