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学校と塾

日本の学校と塾について考えてみたいと思います。

「学校と塾」というと、私自身、もう何十年も前の話になってしまいますが、進学塾に通っていました。当時でも数千円~1万5千円くらいの費用だったと思います。今はもっと高いのでしょうか?当時、特に中学の頃になると「いい高校」に進学するべきという風潮があって、全員ではないにしても、かなりの生徒が塾へ通っていたと思います。塾に通う他の選択肢としては、自宅で学習できる教材でという人もいました。田舎でしたから、家庭教師というのはメジャーではありませんでした。私が中2の時に父が他界、母の再婚で家族離散(と言っても、母や兄弟は近くには住んでいたのですが)、祖母と2人暮らしという状況下だったこともあって、電車やバス通勤ではない自転車で通える公立高校を選んで単願受験、進学しました。自分の学力的にまぁまぁ丁度良い高校?だったように思います。
私の身の上話はこの辺にして、今や中学受験があるというのですから驚きと共に、私の頃よりも更に受験がヒートアップしているのかもしれませんね。でも少子化、実際どうなんだろう?とも思ってしまいます。私の住む地域には、ほんの一部そういったものがありますが、中学受験はメジャーではなく、地域によって決められた中学校へ普通に行くという感じです。

塾に行けば、月謝(授業料)がかかります。私も当時塾に通っていましたが、今思えば、親には感謝しなければなりません。子供の時は、いい高校に行きたいから(ほとんど洗脳状態)、仲のいい友達が行くから、という理由で行っていたように思います。塾に行けば行ったで、学区外の人とも接したり友達になれるなんて楽しさもありました。中学では普通に部活(私は運動部でした)をこなし、その後塾に行くという今考えれば相当ハードな生活だったように思います。高校では、バスケ部を継続し、塾が規則違反のバイトになりました。中学ではそんなことありませんでしたが、高校ではあまりに疲れすぎて体が動かず学校を休むなんてことも度々ありました。

塾の役割というのは、勉強内容を理解するというよりは、受験の為であり、その過程である中間・期末テストなどでいい点を取る為でした。とはいえ、予習復習の側面も当然ありますから、最終的には「理解する」というのもまぁまぁ達成されます。もしかしたら世代的なものもあるかもしれませんが、当時はそれが共通認識だったように思います。だらだらとした学校の授業に比べ、かいつまんで要点を教えてくれるのでわかりやすく、頭に入っていきやすかった。家で黙々一人で勉強するよりも、皆がいてその為の時間と空間というのが良かったように思います。自分をよっぽど律しないと、家ではアニメやマンガを見まくってしまって、勉強なんて…という状況に陥ってしまっていたかもしれません。それでも実際TVもマンガも見まくっていましたが…当時はトレンディドラマやザ・ベストテン、トップ・テンという歌謡曲ランキングプログラムもあったなぁ~、懐かしい。

学校では能力別のクラス分けもされていなかったし、教えられる内容そのものも当然教科書に沿った内容だったので、だらだら感というのは否めないし、テストの内容も、その授業だけでは解けない問題というのも実際あったように思います。ですから塾の存在は結構ありがたかった。塾は勉強の効率の良さというのが特徴的なように思います。

親からの視点はどうでしょう?子供には少しでもいい高校、いい大学に入ってもらいたい、その為に無理してでも高い月謝を払ってまで塾に行かせたいと思ってしまうものなのかもしれません。当時、いい高校いい大学に行くことが、子供の幸せをつかむ道と迷うことなく思っていた時代でもありましたから。時代的な風潮が大きく作用していました。塾に行けば成績が伸びると妄信していたとも思うし、塾に行けば家にいても本当に勉強するか否かはわからないのだから、安心感というのもあったことでしょう。またその妄信は、『勉強ができるようになる→いい高校いい大学に進学できる→高収入が望める=幸せになれる』でもあったように思います。
当時「鍵っ子」という言葉もあって、特に核家族の家では夫婦共働きで、子供が家に帰った時に父母が家にいない為、家の鍵を持たされた子供のコトを指す言葉です。親は子供の為に一生懸命働き、子供はそれを知ってか否か勉強していい高校を目指すというのがごくごく一般的な認識だったように思います。現在でもそんな感じなのでしょうか?もちろん当時だって専業主婦もいて、今よりは多かったように思います。

今の子供達は普通にスマホを持っていますから、いろいろな情報を簡単に手にすることができ、思考もそれこそ多様化していることでしょう。それに比べたら、私達世代というのはまさに「知らぬが仏」世代だったのかもしれません。勉強の為に勉強するという感じでしょうか?学校生活後、あるいは人生の何か別の目的の為にという感覚は、私にはなかった。それでも高校一年の時に仕事面の方向を見出しましたが。兄や姉がいる人はそれでもいない人よりはいろいろな情報を得ることができたかもしれませんが、それでも今の若者とは比にならないでしょう。
一方、今もなおいい高校いい大学という意識は変わっていないのだろうか?その人にとって「いい」とはどういうことなのかも考える必要がありそうです。何のための勉強なのか?勉強のための勉強と思えるなら、ある意味それはそれで幸せなのかもしれませんが、ある時自らの人生を考えた時には悲しみや切なさが倍増しそうです。

相対的に見て、塾は学校での学習を補完する役割があると言っていいでしょう。私は勉強という点において、学校の授業の在り方を見直し、学校と塾とが合わさったような学校があれば、親も決して余計ではないにしても、出費が抑えられるはずだし、これだけ一般市民の年間所得が低迷している日本には必要なことだと感じます。
そもそも学校の学習内容と受験内容との整合性が合っていないと思うのです。学校での授業ですべてが賄えられれば一番いいですよね。
塾をなくして…というのではなく、塾もかなり大きなビジネスになっているし、ということはそれにかかわる多くの人がそれによって生計を立てていて、学校と塾を掛け合わせ、時間をもっとコンパクトにしたような仕組みがあったらいいと思います。

しかし今振り返ると、私達は学生の頃から、人として全てとは言わないまでも「点数」で評価されてしまっていたのだと気づかされます。

勉強そのものの内容、また勉強のことだけではなく、教育という面でも考え直さなければならないことも沢山あると思っています。

このような議論というか話は、ずっと前からあると思いますが、このことに関しては政府の方針で決められているのですから、よほど大きな力、あるいは衝撃的な力が加わらない限り絶望的なのかもしれません。政治家、彼らを選ぶ国民の意識から変わらなければならないでしょうし、それには多くの時間をまだまだ費やしそうです。その前に絶対的な「社会」を前に、その「方向性」をどうしていくのかも問題です。「どうしていく」というある種の勇気も必要でしょう。

私はこの日本は他国と比べ、独自の路線を築きやすい国だと思っているのですが、世界に倣って…ばかりをしている今の日本では厳しいかな?それでも歴史を振り返ったりすれば、日本は他国にはない独自の思考や文化があって、その歴史上にいるには間違いなく、もっともっとよく考えて誇れる国にしていければと願います。

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