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精神性よりも知識という時代

私は沢山の知識を持っている人に関して、「すごいな~」と思う一方、人によっては知識だけの人!?って感じられる人もいる。知識をただひけらかしているような人に対しては、その知識が本当にすごいものであったとしても「え?」とか「は?」とか思えてしまう。何でもそうかもしれないけど、知識って活かされてこそ。みなさん、そう思うことってないですか?
人って他人より優位に立つようになる(立とうとする)と、つい威張ってしまったり、別に必要のないアピールをするようになったりもする。また他人より何か秀でている部分があった場合も同様。つまり口調や態度に出てしまったり、そんな雰囲気が出てしまう。多分そう思えてしまうのは、その人の人格的にというか精神的なものが備わっていないと思えるからなんだと思う。

知識についてはあればあった方がいいとは思うけど、それゆえに知識に頼ってしまい、どこか中身が伴っていないというか、薄っぺらさを感じてしまうことがある。また逆にそこに感情が入ったりすると逆に知識の内容そのものの信憑性が欠けやすい面もあるかもしれない。
私は感情と精神性を分けたいと思っている。感情はその瞬間起こるもので、精神性とはその人が過去に思考した形跡や経験から吸収して形成されたもの?だと思っていて、しかし確かにどちらもだけど人間として(人間であるため)の所以であることも確か。
厳密には「知識だけの人」ってのは存在しないと思うし、どんな人だって精神性はある。でもその精神性を高めないとというか、重要に思っていなければ、折角の知識も状況によって右往左往してしまい、結局のところ肝心な部分を貫けないような気がする。

YouTube等のメディアでいろいろな知識は頭がホントパンパンになるくらい、いやそれ以上山のように得られる時代でもある。欲しい情報もすぐに得られる点は便利だ。その副産物として取捨選択の難しさもある。
いろいろな知識人や有識者がそれこそいろいろな発言や議論をしているのだが、場合によっては発言や議論の空中戦のように見えて心に届いてこない、響かないこともよくある。もしかしたら、政治家や官僚というのが最たる例のように思えてならない。私自身「本質」は魂や精神性の中に宿っていると思っているからなのかもしれない。それなくしてはどれだけ知識がある人だとしても(人や地球等に)本当の意味で生かされることがないように思うから。今は知識だけならAIに任せてしまえばいいようにも思う。スマホだって尋ねれば、まぁそこそこなんでも答えてくれる。今のところ精神性というのは人間だけが持てるもの。そんな精神性を大切にしたいし、大切にしてもらいたいと思う。


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