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いい故郷を残す一歩

ずっとイメージしてきた、【我が子に残したい故郷】の第一歩。

田舎に生まれた私は、同級生の誕生日も家の場所も親の顔もほとんど知っていたし、近所の友達と近所のおお寺や会館でよく遊んでました。

そして、友人のお母さんも自分のお母さんのように送り迎えしてくれたし、私のお母さんも私の友人のことを当たり前に気にかけてお世話してくれてました。

また、お母さんが地域の集まりに行くときはいつもくっついて行ってた私は、お母さんのお友達と顔見知りで、今でも家の周りをあお君と散歩してたら、色々な人に声をかけてもらえます^_^

そして、我が家にはいつも近所の人からのおすそ分けが届くし、お母さんも何かもらうといつも近所の人におすそ分けします^_^
なので、私の友人が来ると、あれやこれやって持たされて帰らされます笑笑

しかも、最近はお父さんも区長してたり、お母さんも色々な役員をしてて、ますます地域の中で生きる両親のおかげで私は、「〇〇さん家の娘さんか…」って自ずと地域で顔が広くなっています。

いや〜よく考えたらお父さんお母さんだけではなく、おじいちゃんも区長をしてたし、ぶどう園の組合長などしてたので「お父さん・お母さん・おじいちゃんにはお世話になったんやわ〜」ってよく言われる。

ホントに当たり前のような暮らしだったけど、私は両親やおじいちゃんのおかげで田舎の良さでもある地域の中で生きることが出来ていた。

この横のつながりがある素晴らしさを知ったのも、田舎の暮らしの素晴らしさを知ったのも正直最近!

しかも、この横のつながりは両親や祖父母がつないでくれていた事に気づけ、感謝したのは息子が生まれてからでした。

そして、そのつながりを感じ感謝したと同時に、自分の代のつながりが全く無いことに気づきました。
私たちの代は、長男でも実家をでて近くに家を建ててしまう家庭も増えて、田舎なのに核家族が増えています。

また、私の代には地域の集まりも役員もめんどくさいっていってやろうとする人がいなくなっていました。

ふと、今は両親のつながりで生きれてるけど、あお君が家庭を持ち、子どもが生まれて育ててる頃には田舎の良さが全くない、ただの不便な田舎になる。

私が、地域の中に入り、私の代を繋げる必要があるって思っていました。

そんな想いから、どうしたら私の代がつながっていくか考えた結果生まれたプロジェクトがあります。

それは、次のブログで…

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